みやこ忘れ

みやこ忘れと最初に出会ったのは大学の二年生だった。
多少不純な動機で、中央大学の華道部に籍を置いたところ、関東華道会連盟が主催する展示会があり、それに出品するよう依頼された時のことである。
中央大学の華道部は「草月流」の先生が指導していた。
当時草月流と云えば、斬新な流派で有名だった。例えばタイヤを用いて、それと花を巧みに組み合わせた作品や、竹の素材を生かし、まるで日本庭園のような作品を発表したり、ワクワクするような流派だった。
技術も知識も乏しかった私は、なかなか作品が思いつかず悩んでいた。草月流が抽象華道といっても基本的な形はある。そのことを充分理解できていない者がお花を生けるのは厚かましい話である。
締め切りも迫ってきたので、一年上の先輩に教えを請うことにした。
「香山さん、いまさら細かなことを言っても無理だから」と言って提案してくれたのが、二種生けで《真》《控》のみで、真に木瓜を、控にみやこ忘れを使用し、出品したのである。意外と好評で新人賞を戴いた。
自宅の玄関わきに毎年ゴールデンウィークの時期には、薄紫色のみやこ忘れを観るのであるが、今年はその姿を発見できないので家内が雑草と間違えて処理をしてしまったと思い、近くのショップでピンク・薄紫・白の三色のみやこ忘れを買い求めた。家内に植え替えるように言うと、まだ花を咲かせていないがこれらがみやこ忘れだと指摘された。
今薄紫色のみやこ忘れは、志澤塾の玄関わきでその可憐な姿を見ることが出来る。
そろそろみやこ忘れとお別れの時期である。
一年間待ち遠しい日々が続く…

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伝説健在

今年の野点は少し趣向を凝らしたお茶会を演出した。 
今給黎女史のネットワークで、和菓子職人さんに来てもらい、我々の眼前で和菓子を作って頂いた。
   
亭主側も招客もお菓子作りに参加し、自らが作った主菓子を食し茶を戴いたまた一方では、お茶を点てたい人には、実際にお点前の手ほどきをしながら進めていった。
塾生の林さんファミリー、前神戸新聞姫路支社長一家、パナソニックの可愛い女子社員、前姫路市副市長現社会福祉協議会理事長、舞踏家、etcそして奥様(私の)……  
約50人近くのお客様がお見えになり賑やかなひと時が経過していった。
予報を覆し開催前に雨は上がった。
今年も雨には縁のない伝説は健在であった。

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鈴木紀子女史

今回で4回目の講座である。毎年この時期にお願いをしている。
鈴木女史とはかれこれ30年以上の付き合いである。
そもそもの出会いは、水口先生が当時開かれていた《潜在意識》の講座に主席したことがきっかけで知り合い、そのご縁で今日まで継続している。
水口先生の講座では、薄暗い部屋の中でひたすら寝転んで、腹式呼吸を繰り返しながら、目に見えないパワーを宇宙から頂くのである。
『名刺で割り箸を切る』『スプーン曲げ』『催眠術』etc
今にして思えば奇妙な訓練だった。
でも現在は科学として認識されており、私の経営実践に大いに役立っている。
さて今回のテーマは「職場の報・連・相」である。
言い尽くされた言葉であるが、実践するとなると、これがなかなかどうしてほとんど出来ていないのが現状である。前回の「ビジネスマナー」の振り返りをしながら、対話形式での講座は大変有意義な3時間であった。
私の持論であるが、業績は外部環境と内部環境に左右されるが、重要なのは外部環境よりむしろ内部環境であると思っている。
内部環境で大切なのは《コミュニケーション》である。報・連・相が行き届いていると、明るくて活気ののある職場になり、業績の向上に繋がってゆく。
一年に一度お会いするのであるが、この度も年齢を感じさせない鈴木女史だった。
車で駅までお送りする車中で
~香山さんはいいわね!いつも楽しく自分の好きなように生きて~
と言われた。そのままそっくりお返しします、鈴木さん!
ではまた一年後。

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グランパの休日

私には3人の子供がいる。
長女はウィーンに住んで15年以上になる。2年前に我々の反対を押し切って結婚をした。
長男は6年前に結婚をし、4年前に男の子を授かった。
次男は未だ独身で、もう38歳になる。
長男の子供、いわゆる孫、名前は《倫太朗》と言う。
5月3日、その倫太朗と母親である義娘《真己》と、私たち夫婦4人で、赤穂の『唐船ビーチ』へ潮干狩りに行った。もちろん倫太朗は初めての体験で、大いに燥ぎ、バケツ一杯のアサリを採取した。
昼食を近くの「かもめや」で取った後、隣接する赤穂海浜公園で夕方近くまで遊んだ。
多少時間待ちはあったが、さまざまな乗り物で倫太朗と一緒に過ごした。観覧車では途中倫太朗が便意をもよおし、私を大いに慌てさせた。
昨年は《原の滝》を訪れ、マイナスイオンを満喫した。
さて来年は?

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わが町の選挙

4月30日、我が宍粟市において、市長選挙と同時に市議会選挙が行われた。
市長選は、福元氏の信任投票の様相で、下馬評通り現職である福元氏の圧勝に終わった。一方市議選は大変興味深い選挙だった。定数も18議席から16議席へと2議席減り、かつての有力な実力者が様々な理由で不出馬だったこともあり、当初から混沌とした状況であった。立候補者は20人で、現職9人に新人11人が挑む選挙戦だった。
結果的には、現職8人、新人8人が当選した。
投票前に家内と4人の落選者の予想をしたが、家内の予想はことごとく的中し、私は大きく外した。家内の言い分は、あの人は実績はあるが主婦層には全く人気がないとか、同じ地元からの出馬では実力がないとか、恐るべし主婦の口コミ。
何十年ぶりかで我が地元《須賀沢》地区から津田君が立候補した。
昨年の秋くらいに出馬の話は耳に入っていたが、家族や隣保が反対していると聞き、断念したと思っていた。年末になり、立候補の意志が固まったことを知り、年が明けて本格的に運動を展開していった。直接関係しなかったので詳しくは知るところではないが、準備期間が短かった割には素晴らしい成績で見事当選した。
先ずは大いに称賛したい。
望むことは、当選が目的にならないで欲しい。地元のために、宍粟市のために、最初は小さなことでも構わないので、継続して仕事をしてくれることを心から願っている。
『がんばれ!津田あきのぶ君!』

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こうちゃん先生登場

今回の講座は椿野浩二氏に特別講師としてお願いをした。
氏は土と廃材をモチーフに独特の世界を作り上げ、自然でほのぼのとした作品を通じて、但馬の地域から日本はおろか世界に向かってオリジナル性の高い遊び感覚あふれるアートを発信し続けている。
 
途中実演も交えて我々に芸術の楽しさを体感させていただいた。例えば、和紙に塾生にアトランダムに落書きをさせ、それを素早くデッサンも下絵もなしに見事に絵画作品に仕立ててゆく。一枚は椿・もう一枚はアジサイ・今一枚は竹という風に。彼の頭と体にはあらゆる物体が凝縮されており、イメージするだけで作品化されていくのであろう。数十年の付き合いであるが、あらためて彼の真実に触れたような気がした。
彼はまた週二日、生野学園で講師を務めている。教鞭をとりだして二十数年になるそうである。生野学園は不登校の子供達のための学校である。(最近は障害者も受け入れているとのこと)その卒業生の中から芸術に芽生え、多くの作家を輩出している。
何年か前にその生野学園の生徒たちと一緒にギャラリー(ルネッサンススクエア)にお見えになったことがある。
すべての生徒たちに《こうちゃん先生!こうちゃん先生》と慕われていたのが、印象として今も残っている。《こうちゃん先生》その言葉が彼の作品に充満している。
心洗われるひと時であった。

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当世ペット気質

我が家にもペットがいる。官兵衛という名の柴犬で、14年目を迎える老犬である。人間の年齢に換算すると72歳だそうで、我々より少し年上になる。官兵衛は二代目で、初代は「三太」と言い同じく柴犬であった。「三太」は17年間我々と一緒に暮らした。人間で例えるなら84歳で亡くなったことになる。息を引き取る3日前まで元気で散歩もし、食事も普段通り摂っていた。1か月の間に、何年か前に岡山の音大に通っていた長女が連れ帰り、そのまま香山家の一員として寝食を共にしていた愛猫「かーこ」と両方を失った家内は、所謂ペットロスになり49日を終えると、ウィーンに留学していた娘の元を訪ね2週間ほど過ごした。
初代愛猫「かーこ」は白血病を患い7歳(人間年齢44歳)で、二代目愛猫「くろちゃん」は肉腫を発病し9歳(人間年齢52歳)で亡くなった。三太は病気(やまいけ)が全くなく、老衰で静かに息を引き取った。官兵衛は数年前から肝機能障害を起こし、投薬を余儀なくされている。そのため食欲も前程なくなり、あれほど好きだった散歩も控えめになり、自宅周辺に留まっている。
2年前のゴールデンウィークが終わるころ、会社の倉庫の中で2匹の子猫が誕生した。早速私は、親猫を「ジュン」子猫をそれぞれ「太郎」「アン」と命名した。社員や出入り業者の人達に可愛がられながら今も元気に生きている。家内と私は会社がお休みの時、三人の外孫たちのお世話をしている。我が家の愛猫たちは箱入り娘として一歩も外に出さずに育てたが、この子たちは朝食をとり、シャッターが上がるや否や、よほど寒い日以外は別として、自由気ままに飛び回っている。
時々近くの畑や溝の中で見つけたカエルやトカゲを咥えてきて、自慢そうに見せるそうである。アンちゃんはスレンダーでスタイルは良いが、母親であるジュンちゃんは少々太り気味で、太郎君はその中間に位置している。アンちゃんは比較的なついているが、他の子たちは私が呼んでも見向きもしない。家内が時間を取れない時は、私が隣市の動物病院へこの子たちを連れて行く。院内は親子や夫婦連れでごった返しており、半日仕事である。
当世は、《ペット》という概念は存在しない。家族そのものである。《犬派》?《猫派》?の論戦は尽きないが、ワンちゃんは忠実・猫ちゃんは哀愁。果たしてどちらがお好みですか?あなたは?

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最近のちょっといい話

私のこれまでの人生に大いなる影響を与えた出来事が三つある。(人物を列挙したらきりがないので次の機会にする)
一つはこの世に命を授かり、宿命的に父の事業を継承したことである。
二つ目はJC(青年会議所)に入会し、奉仕と云う概念が芽生えたことである。
三つ目はビーコン(ビジネスコンサルタント)との邂逅で、組織論を体得したことである。ビーコンと言えば吉田氏である。講義開始前に始まる彼の雑談形式によるお話は実に含蓄のある内容だった。そのつぶやきともいえる講話は私の『十八か条の憲法』に数多く取り入れられている。例えば、《企業経営に良い、悪いはない。あるのは合うか合わないかである。》《仕事の成果は、能力×意欲×システムである。その配分は、能力が40%・意欲が40%・システムが20%である。しかも厄介なことに、意欲はある日突然ゼロになる。》等々。
STMのトレーニングは私に強烈なショックを与えた。
先日ビーコンから二人の訪問者の来庵があった。
その会話の中で、私がパナホーム兵庫の社長時代、最後の営業担当者であるY女史が「私は営業として数多くの企業を訪問しましたが、その中で私が一緒に仕事をしたいと思った企業が二つあります。その一つがパナホーム兵庫です。」と彼らに漏らしていたそうである。
聞くところによると、吉田氏はまだご存命とのこと。
一時期、吉田氏と秋山小兵衛(剣客商売の主人公)をだぶらせた小説の構想を練ったことがあった。
自然界は、桜からハナミズキに変わりつつある・・・
もう一度挑戦してみようかな?

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花冷え

   散る桜 残る桜も 散る桜

良寛禅師の辞世の句である。

播磨地方の桜はほぼ散ってしまったが、丁度一週間前満開の時、久しぶりに花見をした。花見となるとお城しかない。と料亭『鷺風』さんのお弁当を持参し、総勢六人で行った。アマゾンで買い求めた《シート》で開始一時間前から場所取りをした。
ライトアップされた白鷺城を背景に、千姫ぼたん園を横目で見ながらの、まことに風流そのもののお花見である。
夕方から夜になると一層寒さが増し、ある程度防寒対策はして行ったつもりであったが、それをはるかに超える冷え込みだった。
高級弁当だから大変美味しく頂いたが、寒さには勝てず、味の余韻を楽しむ間もなく、食べるや早々にお城を後にした。
冷え切った体は帰宅し、湯船に浸っても回復するまでには中々至らなかった。
~花冷え?~
そんな生易しい表現では許されない思いだった。
来年リベンジ!
お昼間、しかも四温の時。と誓いを立てた六人衆である。

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21世紀に生きる君たちへ

今年はグループ併せて15名の新入社員が入社して来た。
私はその席上で、もう何年もの間恒例になっている司馬遼太郎が、我々に残したメッセージの中から『21世紀に生きる君たちへ』を朗読する。
新入社員に贈る言葉であるが、それは全グループの社員に贈る言葉でもある。読んでいるうちに私自身も新たな感動が湧いてくる。

              ~二十一世紀に生きる君たちへ~

私は、歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは-もし君たちさえそう望むなら-おすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう。
二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は、―くり返すようだがー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
-人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
ニ十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
-自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きていける。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりとう感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちも湧き出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしでくらせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。

君たち。君たちはうねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地を踏みしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
                              司馬遼太郎
                                -十六の話より―  

1996年2月12日に司馬遼太郎は亡くなった。72年の生涯だった。
私もその年齢に近づきつつある。
《やさしさ》《いたわり》《思いやり》いい響きである。
世界も日本も混迷さが増すばかりである。
21世紀になってもなかなか平和は訪れそうもありません、司馬さん!

 

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