最近のちょっといい話

私のこれまでの人生に大いなる影響を与えた出来事が三つある。(人物を列挙したらきりがないので次の機会にする)
一つはこの世に命を授かり、宿命的に父の事業を継承したことである。
二つ目はJC(青年会議所)に入会し、奉仕と云う概念が芽生えたことである。
三つ目はビーコン(ビジネスコンサルタント)との邂逅で、組織論を体得したことである。ビーコンと言えば吉田氏である。講義開始前に始まる彼の雑談形式によるお話は実に含蓄のある内容だった。そのつぶやきともいえる講話は私の『十八か条の憲法』に数多く取り入れられている。例えば、《企業経営に良い、悪いはない。あるのは合うか合わないかである。》《仕事の成果は、能力×意欲×システムである。その配分は、能力が40%・意欲が40%・システムが20%である。しかも厄介なことに、意欲はある日突然ゼロになる。》等々。
STMのトレーニングは私に強烈なショックを与えた。
先日ビーコンから二人の訪問者の来庵があった。
その会話の中で、私がパナホーム兵庫の社長時代、最後の営業担当者であるY女史が「私は営業として数多くの企業を訪問しましたが、その中で私が一緒に仕事をしたいと思った企業が二つあります。その一つがパナホーム兵庫です。」と彼らに漏らしていたそうである。
聞くところによると、吉田氏はまだご存命とのこと。
一時期、吉田氏と秋山小兵衛(剣客商売の主人公)をだぶらせた小説の構想を練ったことがあった。
自然界は、桜からハンミズキに変わりつつある・・・
もう一度挑戦してみようかな?

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

花冷え

   散る桜 残る桜も 散る桜

良寛禅師の辞世の句である。

播磨地方の桜はほぼ散ってしまったが、丁度一週間前満開の時、久しぶりに花見をした。花見となるとお城しかない。と料亭『鷺風』さんのお弁当を持参し、総勢六人で行った。アマゾンで買い求めた《シート》で開始一時間前から場所取りをした。
ライトアップされた白鷺城を背景に、千姫ぼたん園を横目で見ながらの、まことに風流そのもののお花見である。
夕方から夜になると一層寒さが増し、ある程度防寒対策はして行ったつもりであったが、それをはるかに超える冷え込みだった。
高級弁当だから大変美味しく頂いたが、寒さには勝てず、味の余韻を楽しむ間もなく、食べるや早々にお城を後にした。
冷え切った体は帰宅し、湯船に浸っても回復するまでには中々至らなかった。
~花冷え?~
そんな生易しい表現では許されない思いだった。
来年リベンジ!
お昼間、しかも四温の時。と誓いを立てた六人衆である。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

21世紀に生きる君たちへ

今年はグループ併せて15名の新入社員が入社して来た。
私はその席上で、もう何年もの間恒例になっている司馬遼太郎が、我々に残したメッセージの中から『21世紀に生きる君たちへ』を朗読する。
新入社員に贈る言葉であるが、それは全グループの社員に贈る言葉でもある。読んでいるうちに私自身も新たな感動が湧いてくる。

              ~二十一世紀に生きる君たちへ~

私は、歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは-もし君たちさえそう望むなら-おすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう。
二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は、―くり返すようだがー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
-人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
ニ十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
-自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きていける。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりとう感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちも湧き出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしでくらせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。

君たち。君たちはうねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地を踏みしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
                              司馬遼太郎
                                -十六の話より―  

1996年2月12日に司馬遼太郎は亡くなった。72年の生涯だった。
私もその年齢に近づきつつある。
《やさしさ》《いたわり》《思いやり》いい響きである。
世界も日本も混迷さが増すばかりである。
21世紀になってもなかなか平和は訪れそうもありません、司馬さん!

 

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

3月31日

現役の社長を退いて5年が経過した。
3月31日という日は特別な日だった。12時を過ぎることも度々あった。今なら決して褒められることではないが。現場を離れたことにより安堵感はあるが、正直なところ少々寂しい気持ちもある。緊張感と喜びが同居しながら、4月1日を迎えていた。
志澤塾は5年目に入る。自分としては手を抜かず、試行錯誤しながらこれまで進めてきた。塾生の諸君たちは少しは学び成長してくれただろうか?
いつも自問している。
私は一貫して『知行合一』を説いている。
実のない各種団体にはできるだけ身を置かないように、時間を費やすのが仕事ではない、成果が伴わなければならない、と言い続けている。
経営は数字ではない、人間である。
この姿勢はこれからも続けてゆくつもりである。
塾生たちと一緒に学んでゆきたいと思う、3月31日である。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

稀勢の里

日本人の多くの人々が感動を覚えた春場所だった。
13日目の日馬富士戦で左肩を痛めた稀勢の里は、誰もが休場と思った。しかし、14日の鶴竜戦に出場したが、相撲にならず2敗を喫するのである。
その時点で照ノ富士の優勝が決定的になり、相撲ファンは落胆した。
ゴルフが終わり車のエンジンをかけ、20~30分走った所で、てっきり照ノ富士が優勝していると思ったが、ラジオのスイッチを入れてみた。雑音で聞き取りにくかったが、どうやら優勝決定戦を今から行うような雰囲気だった。
ということは、本割で稀勢の里が照ノ富士に勝ったのである。
果たして決定戦で稀勢の里が勝ち賜杯を手にした。
稀勢の里の気持ちとか根性とかは当然称賛に値し、これからも起こりそうにもない奇跡を起こしたことは間違いのないところである。
私はこう考える。
こういう結果をもたらしたのは照ノ富士にあると。
何故か?14日の、《照ノ富士》《琴奨菊》戦に起因している。勝負に拘り照ノ富士は大きく変化し、琴奨菊を土俵に転がしたのである。それも真剣な形相をしながら、一度先に琴奨菊に突っかかったのである。相手を油断させ、計算し尽くした取り組みだった。勝つための作戦と言えばそれまでだが、その精神的貧困が敗因である。
片や稀勢の里の崇高さが勝利を生み、日本中を震撼させたのである。
19年ぶりに誕生した日本人横綱稀勢の里が、一時代を築いてくれることを祈っている。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

WBC総括

本当に総括が好きである。
今回のWBCは称賛に値する。前回とは比較にならないほど素晴らしい試合内容だった。
小久保監督の采配ミスもほとんどなかったし、投手の継投も過ちは見受けられなかった。
では何故、優勝できなかったか?となると、一言でいえば地力が足らなかった、に尽きる。
特に打撃陣は完全に力不足・技術不足を認めざるを得ない。
走・攻・守というが、走と守に関しては世界に通用するレベルであるが、攻についてはパワーとテクニックをもっと身につけないと、4年後もおぼつかない。
それと、勝負の展開において、予選準決勝リーグを通じて、一度も敗戦を経験しなかったことが、却って災いしたかもしれない。一敗くらいしていたほうがよかった気がする。すべて勝ち続けなければならない難しさがあったかもしれない。
活躍した主だった選手を列挙してみる。
投手では、菅野・千賀・増井・平野・秋谷・牧田
野手では、菊池・筒香・小林・山田・中田
期待外れは、鈴木・藤浪・青木・平田・田中・則本・松井・武田・石川
お疲れさまでした、と拍手を送りたい。

もうすぐペナントレースが始まる。突出したチームは見当たらないが、今年も阪神の優勝はなさそうである。どうも糸井にかき回されそうである。野球は個人プレーの要素は大きいが、最後は選手も人間であるから、チームプレーである。
金本はどんなチームにしたいのか、まるで見えてこない。
7月には塾のゲスト講師として、元阪神タイガースの岡田監督に来ていただくことになっている。そのときにほぼ全容が見通せると思う。楽しみである。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

たかが散髪、されど散髪

先日一枚のはがきが舞い込んできた。
半世紀近く通った散髪屋からだった。店主の健康上の理由で閉店するという内容である。
そもそもその散髪屋に通い始めたのは、私が第一線で営業活動をしていたころに、店舗の改装を請け負ったことに起因する。
これまでに三回だけ他の理髪店に行ったことがある。一回はパナホーム兵庫の社長時代に建てていただいたお客様のお店、、もう一回は三年くらい前、その行きつけの店主が怪我で3週間ほど休業したとき、今一回は、今回店に行くと休業の張り紙がしてあったので近くの理髪店に行った。
散髪屋の醍醐味は、何と言っても椅子に座るだけで、余計な会話が不必要なところにある。過去三回とも借りてきた猫のごとく居心地が悪く、時間が長く感じた。
店主は私と同じく団塊の世代を生き、お父さんの後を継いだ後、さまざまな工夫や研究を重ね、若者たちにも人気があった。
理髪店ではなく新たに散髪屋を捜さねばならない。それを思うだけでも憂鬱になる。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

熱血弁護士松陰を語る

3月14日の講座は再度三浦弁護士にお願いした。
彼は山口県の教育委員会からわざわざ《松陰読本》という小雑誌を取り寄せ、塾生に配布していただいた。
山口県ではこの《松陰読本》は、昭和55年に松陰生誕150年を記念して刊行され、山口県下の小学校では教材として用いられている。
松陰は数々の名言・格言を残しているが、その中で最も有名な言葉の一つが『至誠而不動者未之有也』である。「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」と読み、意味は「人はまごころをもってすればどんなものでも感動しないものはない」である。
松陰は全国を自分の足で見て回り、今日本にとって一番重要で急がなければならないことを実感し、長州藩を始め多くの人々に説いて回った。身分制度を廃止し、人間が平等で豊かな暮らしを実現しなければならないと。
彼の考えは崇高だったが、あの時代に受け入れられる人々は限られていた。
私は、松陰は近代国家をこじ開けたと思っている。幕末の時代、国家論を抱いた人物は「松陰」「勝海舟」「坂本龍馬」の三人だった。西郷を始め維新の重鎮たちは、国家のため、というより自分たちの藩のためという意識しかなかった。
松下村塾での活動は2年足らずであったが、特出した塾生に久坂玄瑞、高杉晋作の二人がいるが、二人とも若くして命を落とした。久坂玄瑞は禁門の変で、高杉は病のため。
松陰は30歳を待たずして刑場の露に消えるのであるが、私論を言えば、そんなに焦らずもう少し狡く立ち回っていたら、また違った日本が誕生していたと思う。かれはあまりに純粋であり過ぎた感がする。
ともあれ彼の功績で、近代国家への道は20~30年早まったことは確かである。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

お水取り

正式には修二会という。
奈良東大寺の二月堂で、毎年3月1日から14日まで執り行われている。今年で1266回を数えるが、その間一度も途絶えたことがない。
ご本尊である『十一面観音』(秘仏であるため開帳はされることはない)が奉られた本堂の中、昨年選ばれた11名の練行衆が唱える五体投地という最も荘厳なお祈りの中、杉球にくるまれた赤々と燃え盛る大松明が、お堂の欄干を駆け抜けて行く。
その度ごとに訪れた観客たちは、ため息とも嬌声ともとれる歓声が沸き上がる。
降り注ぐ火の粉を浴びると、その一年間無病息災で過ごせると言われている。
お水取りは明日いよいよ最終日を迎える。今年は行く事は叶わなかったが、過去に3度程訪れている。
もともとは《五穀豊穣》を願う祭祀であったが、近年は《世界平和》を祈願している。

  二月堂
    夜空を焦がす 大松明
    世界に届け 平和の祈り(拙作)

来年は久々に訪れたくなった・・・

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

普通のラーメン屋

現在の場所に移転する以前からだから、かれこれ四半世紀になると思う。
なんの変哲もない「普通のラーメン屋」に行きだしたのは。屋号は知らないが、博多ラーメンの暖簾を上げているから、そのチェーン店であると思われる。
概ね夫婦と娘、三人で切り盛りしており、時々店員を雇っているようだが、長続きしなくていつの間にかいなくなっている。
店主はとぼけた、一見鈍間そうだが、どうしてなかなか手早く、混んでいても待たせるということはほとんどない。奥様の話によると趣味は、あまり的中しない競馬と下手なボーリングらしい。カウンター越しに時々競馬の話をするが、馬券を取ったときのみしゃべってくるのか、たまにはゲットしているようだ。
奥様は飾らない人柄で、私には主人の愚痴を言う。私の服装を褒めてくれる、いい奥様である。
娘は淡々と業務をこなしている。愛想はないが、嫌みもない。三十前後と思われるが、化粧家のない素顔は年齢より若く見える。笑顔を見たことがなく、たまには笑って、と言いたくなる。
私はこの店でオーダーする必要がない。ラーメンとご飯は極小、餃子は4個。〆て900円。月に2~3度訪れる。私が持参したカレンダーが店の片隅に掲げてある。
この店の売りは《高菜》と《三人の意気》である。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。