世界の指導者達

今世界は新型コロナの中にある。まったく収まる様子はない。責任の転嫁をしている場合ではない。ましてやWHOと言い争っている場合でもない。人間の資質は危機に面した情勢を迎えたときに問われるものである。
《トランプの場合》
私は就任当初からなんて品性の欠片もない人物かと呆れたものである。彼の言動はまるでガキそのものである。とても世界のリーダーとは思えない。今彼の頭の中にあるのはこの11月に行われる大統領選挙でいかに勝利するかどうかである。それも政策とかビジョンでななく強いアメリカを誇示する一点にある。かたや民主党の候補者もあまりに年齢が行き過ぎており魅力を感じない。私にはどうすることもできない。
《習近平の場合》
あの人相を私は信用できない。なにせ隠蔽国家の象徴のような顔つきである。近隣国家との領土トラブルなどどこ吹く風である。平気で国家主席の任期は変更するし、反対者は容赦なく抹殺する。マスコミをはじめ報道規制は当たり前、恐怖政治そのものである。
《プーチンの場合》
20年もの間大統領の座に居座り続け、大国ロシアを自分の思うままに牛耳ってきた。最初の8年くらいはまあ許すとして、その後は超独裁政治である。時として独裁も必要な、例えばカエサルのような天才は別格で、プーチンなど私利私欲の塊である。虫唾が走る。
《金正恩の場合》
いまだに北朝鮮には一人のコロナ感染者はいないと言い切るおめでたい人物である。全く悪ガキそのものである。一日でも早く北朝鮮という国家が消滅することを祈っている。世界の厄介者である。トランプとハワイ辺りで仲良く暮らしたらいかがかなって思うのは私だけ?
《安倍晋三の場合》
彼はやはり頭がよくない。成蹊大学を悪く言う気はないが、学歴コンプレックスが相当あるように伺える。証拠の一つに閣僚メンバーに東大卒が少ない。東大がいいとは言わないが従来と比較して極端に少ない。そして危機に面したときに人間の真価が分かるという、典型的な体たらくである。

五人すべてに共通して言えることは、自己顕示欲が強く、愛も哲学的思想も思いやりもない。国民のことより自分自身や家族のことを一番に考え、優先順位が狂っている。
一体世界はどうなるのか?不安で仕方がない。しかし、歴史を紐解いてみると、やはり人類は賢く様々な危機を乗り越えてきた。人類の優しい情痴と明晰な頭脳に期待し、静かに今は自分ができることをしながら見守っていこうと思う。

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倫太朗外泊す!

先日の土曜日、ゴールデンウィーク中に予定していた日があいにくの雨模様で中止していた「寺山公園」への山登りに挑戦することにした。午前11時過ぎに、義娘が「倫太朗」と2歳になったばかりの「さくらこ」を連れてやってきた。家内が作ったお弁当や飲み物とイチゴなどを持参して5人で登った。私の心配をよそにそんなに苦労もせずに頂上に着くことが出来た。小一時間ほどを過ごし下山し、自宅で倫太朗が持参していたゲームを楽しんだ後、彼らは帰って行った。
その夜のことである。午後8時過ぎに倫太朗から我が家に電話がかかってきた。
「明日の晩泊りに行ってもいいか?」という電話である。大歓迎の意思を伝えた。どういう風の吹き回しか知らないが、ほんの2年前まで幼稚園のお泊り保育に行くのもぐずっていた倫太朗が、である。果たして日曜日の午後6時ころ父親に連れられて倫太朗は一人でやってきた。夜ご飯は彼のリクエストに応えてトッポジージョに行く。帰宅してから少しの間トランプで遊び、風呂は私と入り寝るのは家内と、と決めていたらしくそのようにした。風呂のジェットバスがたいそう気に入りまた来ると言う。
次の日の朝、私が6時頃に起きると間もなく二階から眠そうに目を擦りながら倫太朗が降りてきた。いつもなら7時に起きるそうだが目が早く覚めたらしい。朝食を済ませた後私は山崎の会社に出社し、倫太朗と家内は再度寺山に登って行った。網と虫かごを持参してきており、虫取りがしたいとのことである。虫らしい虫は取れなかったが、蛾とテントウムシを採取したとのこと。朝食に食べたパンが気に入ったらしく家内と買い求め、お土産にするという。私は11時過ぎに倫太朗を自宅まで送り届けた。怒涛のような一日が過ぎていった。
私たちは倫太朗の子供、すなわち《ひ孫》を抱くことはとても出来ないが、もう少しの間元気で孫との短い時空を共にしたいと願う初夏のひと時だった。

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寺山公園

ここ2~3月前から自宅の目の前の小高い山通称『寺山』が急に騒がしくなった。林業を生業としている地元の業者が重機を巧みに操りながら道を切り拓き、樹木を伐採し始めたのである。一体何が始まるのか、と思いながら見つめていた。余程天候が良くない日以外は、日曜日も休みなしに重機はひっきりなしに動き続けた。近所の先輩に道ですれ違ったので何が起きているのか尋ねてみると、
「宍粟市からの要望で、市の入り口に当たる須賀沢に公園を造ってほしいと依頼があり、村でいろいろと協議を行った結果、この寺山がふさわしいということになった」のだそうである。
伐採が進んでいくうちに見慣れた風景はどんどん変化してゆき、殺風景な寺山に変身していく。思い起こせば小学高学年のころ我々3~4人の悪ガキが集まって、《基地》と称して寺山の頂上付近に山土を削って二畳ほどの敷地をこしらえ、その辺の木々や枝を端折って屋根や簡単な壁を作り小屋を築いて、親に弁当を作ってもらい、暖かい日は《基地》で夜を過ごしたことも幾度かあった。もうあの日には戻れないが、《基地》の思い出が毟り取られていく。
地元の放送で公園が完成したと告げられたので散歩がてら早速登ってみた。所どころ息が上がるような坂道はあったが、さほど苦にはならない。頂上に辿り着くと、山崎の街は一望できる。しかしながら公園と名ばかりで、ベンチもなければ東屋も無論ない。到底《基地》にはなりえない、と悲しい気持ちになった。
何とかならないものかと思い、のプレカット工場で作業工程上様々な端材が排出されているのを思い出した。すぐさま出かけて工場長に相談したところ「何とかします」と心強い答えが返ってきた。1週間ほど経過したころトラックにテーブル二つとベンチ三脚を乗せ、私の自宅まで運んで来た。自治会長をしている私の同級生に連絡し見に来てもらったところ、彼はたいそう気に入り次の日、村の役員3人ほどに声をかけ軽トラで頂上まで運んだ。それから何日か経ったある日、家内と二人で弁当を持参し登ることにした。登ってみるとそれらは何一違和感もなく辺りに溶け込こんでいた。《これは基地になりうる》とほくそ笑んだ。

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ハナミズキ


今年我が家のハナミズキは例年より1週間くらい早く咲き、しかも花弁も大きく色も鮮やかな気がする。ちょうど桜の花が色鮮やかだったように。世間は暗く鎮みがちなのに、まことに皮肉な自然界である。我が国はもちろん世界中から流れてくる映像を見るたびに、俄かには信じがたく夢現の中にいるような気分になってしまう。しかしながら現実なのである。
私はふと何年か前に「澤田瞳子女史」の《火定》という小説を思い出した。天平時代に遣隋使を介して大陸から我が国に感染をもたらした「天然痘」と激闘する医師たちを中心に、それに纏わる様々な人間模様を書き記した物語である。あまりのリアルさに私は幾度となく嘔吐をもよおした。今風に言うならまさしく「パンデミック」の生き地獄である。1918年に発症した「スペイン風邪」はヨーロッパ各地に猛威を振るい5000万人の死者を排出したそうである。つい100年前のことである。
見渡せば我が国はもちろん世界に真のリーダーが存在しない。私利私欲に走り新コロナウイルスに対抗する術を持ち合わせていないように感じるのは私だけだろうか?こうして人間は過ちを犯し続けていくのだろうか?
晩春から初夏に変わりゆく今、なすすべもなく見守っている…

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木曽路はすべて山の中

《木曽路はすべて山の中》は、島崎藤村の小説『夜明け前』の書き出しである。
地球はすべてコロナの中、という状況である。中国武漢の機密基地からマウスを介在して端を発したウイルスは瞬く間に全世界へと拡散していった。今や感染者数は120万とも130万ともいわれており、死者も7万人と発表されているが、その数値は定かではない。このままの勢いで広まると、死亡者は140万人くらいと推定されている。このウイルスの怖さは感染力が強いことと、症状が最初のころは出にくく、本人が意識しないままに他に移ってしまうということである。そして治療薬もワクチンもなく、ただその人の自然治癒力がすべてであり、重症になると肺炎を引き起こし死に至ることである。まことに厄介な病原菌である。終息させる方法は「経済封鎖」しかないとのことで、これ以上感染者を増やさないようにし、ひたすらじっと耐え忍ぶしかないそうである。
わが日本は諸外国の例を参考に、一日も早く《緊急事態宣言》を発令し、より国民の理解を求めて一体となり、終息に向けて一致団結して取り組んでいかねばならない。
今まさに自然界は春爛漫である。皮肉なことに今年の桜は例年と比べて一段と澄んだ鮮やかな色で咲き誇っているように感じるのは私だけだろうか?もちろん心から愛でる気持ちにはならないが…全世界が静まり平和な日々が来ることを祈るばかりである。

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わが師わが友~五木寛之~

今から遡る事約半世紀。私が中央大学の学生だった頃、学生運動華やかしき時代で、例の新宿騒乱罪や安田講堂事件など、歴史の1ページを飾るような出来事を目の辺りで体験をした。しかし我々のグループはその集団に属することなく、所謂《ノンポリ》と称し、殆ど毎日を怠惰に過ごしていた。
或る時、どちらのグループにも属さない友人の一人が、「香山、お前は一体何をしているのか⁉毎日毎日麻雀か女の尻を追いかけ回して!これでも読め」と言って、手渡されたのが、五木寛之の《青ざめた馬を見よ》だった。私は忘れかけていた読書熱が再燃し、斬新で潔癖な思想とおしゃれさが加わった《五木文学》の虜になり、次から次へと読破していった。朱鷺の墓・戒厳令の夜・デラシネの旗等々・・・そして長編《青春の門》は大学を卒業後も継続して読み、テレビドラマや映画にもなり私を退屈させることはなかった。何故か今でも印象に残っているのは『ソフィアの秋』である。当時ブルガリアへ本気で行きたくなったことを思い出す。
五木寛之は1932年福岡県に生まれるが、生後間もなく父親の勤務に従い朝鮮に渡り、平壌で終戦を迎えることになる。戦後の混乱期に母親を亡くし、父親と幼い弟と妹三人で命からがら、1947年福岡県に引き揚げる。劣悪な環境中様々なアルバイトで凌ぎながら早稲田大学文学部に入学するが学費が払えず抹籍される。その後は音楽プロダクションに席を置き、様々な作詞活動を展開しながら結婚もし、当時のソビエト連邦を始め北欧各地と妻女共に旅をした。帰国後、モスクワでの出来事をテーマに《さらばモスクワ愚連隊》で文壇デビューし、翌年1967年発表した《蒼ざめた馬を見よ》で直木賞受賞する。それが縁で1978年から32年間の長きに亘って、直木賞の審査委員を務めた。二度目の執筆活動休止期間中に龍谷大学の聴講生になり浄土真宗の研究をし、小説親鸞を新聞紙上に掲載し、私自身も切り抜きをしながら読む機会を得たのである。
私の人生の後半に影響を与えたのは《人生の目的》と《下山の思想》である。特に下山の思想は、今まさにその思想に従って毎日を生きている。私が最も気に入っている、大徳寺の老師の作である『お茶杓』に《下山》と命名している。
あと何年の命を頂いているか知る由もないが彼の教えに従って《生きて行く》ことに一点の迷いもない。

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三木産業100年の歩み

代表取締役社長 橋本雅彦

今回は我々の業者会の仲間である《三木産業株式会社》様の橋本社長にお願いをして、100年の歩みについてお話をして頂いた。昨年三木産業様の100周年記念にご招待を受け深く感動を受けたので、私がお願いをして今回の運びとなった。(我がグループはたかだか54年)
三木産業は、大正8年(1919年)に三木石炭商店として創業され、石炭・コークスの販売を始められた。1919年とは日露戦争が1905年であるから、それだけでも歴史を感じる。戦後まもなく会社組織にされ、石炭・コークスだけでなくLPガスの製造販売に取り組まれ、次々と業務を拡張されたのである。平成15年頃から来るべき老齢化社会を見据えて介護事業にも進出され、ボトルウォーター事業も展開されている。
橋本氏は地元の高校を卒業され東京大学進学、その後大成建設に入社され土木設計者としてダムやゴルフ場設計も多く担当された。また国際事業部に配属後は、海外においてもその才能を遺憾なく発揮され、特にパキスタンにおいては浄水場建設の責任者として活躍された。2004年に従姉妹に当たるオーナーに強く請われ、大成建設を円満退職され三木産業に籍を移されたのであるが、2009年第四代目の代表取締役社長に就任されるまでの5年間、じっくり現状を把握され就任後は、冷静な経営手腕で現三木産業を確立されたのである。
今日の三木産業を大きく支える要因は
① 燃料に関わる(石炭→石油→LPG)軸に新規事業を展開したこと
② 借り入れをしない経営に徹したこと
③ 個人資産(塩田跡地)をバックに燃料事業を手掛けたこと
④ 無駄・無理な投資をしなかったこと
⑤ フランチャイズ等売り込みに来た事業は利益が出ない
⑥ 新規事業は退場するルールを決めておく
⑦ 各部門で赤字は出さない
⑧ 入念にかつ最低をいつも考慮しておくこと
⑨ 新たな新規事業を常に模索すること
等々、その秘訣を最後に我々にお話しされた。
世の中いろいろと騒がしいが、橋本氏の講義内容はいちいち最もで、ともすれば見失いがちなことばかりである。心して取り組まねばならないと感じた。

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いつまで続くのか?

中国武漢に端を発した『コロナウイルス』は今や世界に猛威を振るい留まるところを知らない。武漢と言う町は、100以上の機密の研究機関のある町で、その研究機関の一つの部署から流れたウィルスが、マウスを介在して一気に広まったのだそうだ。全く迷惑な話だが現実にはこの有様なので我々一人一人が気を配り、これ以上感染を広めないようにするしか方法は今のところ見当たらない。厄介なのは症状が出にくい事と、感染力が強く治療薬がない事である。製薬会社は新薬を開発するのに12ヶ月から18ヶ月時間が掛かり、その費用も数百億円単位を要し、出来る頃にはコロナも終息しており、利益に結び付かないから積極的ではないこと。
いつまで続くことやら?
一方奈良東大寺二月堂では今月1日から〈五穀豊穣〉と〈世界平和〉を祈り、お水取りが粛々と執り行われている。1269回目だそうである。今年は〈コロナ終息〉も五体投地の祈りの中に含められているかもしれない。今月14日に満願を迎える。
本格的な春の到来を喜ぶとともに、コロナが終息することを私も祈ろう。

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私はまだ呆けていない?

宮古島の公共料金を銀行口座からの自動支払いに変えるために問い合わせたところ、琉球銀行か沖縄銀行か、はたまたゆうちょ銀行からしかできないと言われた。姫路にはゆうちょ銀行しかないので少々面倒だったがゆうちょ銀行の口座を新たに開設し、いくばくかの入金をした。
それがちょうど1年半くらい前の事である。これまで一度も通帳の記帳をしていなかったのでしなければと思い通帳を探した。(例のペイペイも成り行きでゆうちょ銀行からチャージする手続きを取っていたため、一層記帳をする必要を感じていた)2~3日かかって自分の身の回りを、自分ではかなり念入りに捜したが見つからない。諦めて再発行をすることにした。散歩のコースにちょうどゆうちょ銀行がある。キャッシュカードは紛失していなかったので、そのキャッシュカードと自動車の免許証と印鑑を持って窓口を訪ねた。
窓口の対応は完璧だった。ただその日すぐ発行してもらえると思っていたが、「一週間か十日のうちに書留で送ります」という結論だった。まあそんなもんだろうと納得して塾に帰り、机の引き出しを何気なく開けてみると、見慣れない通帳が存在していた。その色は黒だった。私は勝手に通帳の色はグリーンと思い込んでいたのでその通帳は目に入らなかった。それは紛れもない私のゆうちょ銀行の通帳だった。
事務員に話すと優しい言葉が返ってきた。
「そんなことだろうと思っていました。以前にも同じようなことがありましたよ」
そう言われれば健康保険証の時もそうだった記憶が蘇った。
その隠れていた通帳を持って宍粟市のゆうちょ銀行で記帳をした。少しの間待っていたが一向に記帳出来ない。そうすると二人の局員が私を両方から挟むように現れ、別室に連れていかれた。完全に不審者扱いである。事情を説明し、身分証明書を明示し、何か分からない書類にサインさせられ解放された。
私はやっと事情が理解できた。通帳の紛失がネットワークされていたのである。
私はまだ呆けていない!

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~従業員が一番大事~

去る2月11日、祭日にも関わらず塾は予定通り開講した。講師は《ノアインドアステージ株式会社》大西社長で、上記のテーマで約1時間半お話を伺った。
もとの経営母体は株式会社日東社でマッチの生産販売をメインに、事業を展開しておられたが((株)日東社、旭燐寸㈱等々としてグループで事業は継続されておられる)、1980年に現ノアインドアステージ㈱を設立され、インドアテニススクールをメインに新たにドメインを開拓され、現在に至っている。順調に業績は伸び、売上も利益も拡大していった。しかしながら10年余り経過した時期に大量の、しかも幹部社員が退職するという事態が発生し危機的状況に陥られたのである。
凡人はその危機が認知できず(カエサルの言葉。人間は見たい物しか見ない)、企業は衰退していくのであるが、大西社長の非凡さはその原因を自らに求め、社内改革に取り組まれ、まず環境を整備され、ノアイズムを作成され、企業経営に関する哲学を創り上げ全社員に浸透させ、評価制度も新たに構築され実践し、今日の企業体(日本におけるNo1インドアテニススクール)を創り上げられたのである。
今回の講義で私が最も感銘を受け分かり易かったのは組織の成功循環モデル『ダニエルキム氏の提言』である。
① 関係の質;対話、お互いに尊重
② 思考の質;気づき、良いアイデア
③ 行動の質;新たな挑戦、助け合い
④ 結果の質;成果の実感
⑤ 関係の質;信頼関係の高まり
この順番を間違えている企業が殆どである。つまり、①結果の質から始め;成果が上がらない ②関係の質;対立、押し付け ③思考の質;受け身、失敗回避 ④行動の質;自分最適、消極的 ⑤結果の質;さらに結果がでない
心すべき陥りやすい事柄である。
最後に自分を変えられるのは自分しかいない、のである。 

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