鈴虫

  あれまつむしがないている
  チンチロチンチロ チンチロリン
  あれすずむしもなきだして
  リンリンリンリン リインリン
            文部省唱歌
何日か前にうちの家内が、フラダンス仲間の一人から鈴虫を貰ってきた。それもご丁寧に虫かごに入れて。家内はあまり気が進まなかったが、せっかくなので頂いてきたとのこと。毎晩なすびときゅうりを輪切りにして、少しだけ水分で湿らせ、虫かごの中に餌として与えていた。
一週間ほど経過したが一向に鳴く気配がない。鳴くのはオスで、主に求愛のためだそうだが、家内はあまり鳴き声を聞かないので、メスでは?と多少いらだっていた。すると明け方頃に、リインリイン、という鳴き声を聞き、私に《鳴いている》と知らせたが、私が行くと鳴き声が止まるらしく耳に入ってこない。それから夜、早朝頃には透き通った音色を私も幾度か楽しんだ。
しかしながら我々は恐ろしい事実を知る羽目になった。と言うのは、4匹くらい貰ってきたのであるが、時が過ぎるにつれて生存をかけて共食いが始まり、1匹2匹と減っていくのだそうである。それを知った私たちは、一日でも早くその辺りの草むらに放してやろうと、意見がまとまり昨夜実行に移した。その後どうなるかは知るところではないが、あまりに惨い自然界の掟を目のあたりにするのだけは避けたかった。
人間も昆虫も生きてゆくのはそう容易ではないらしい。

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内山理名!貴女もか? ~ブルータスお前もか?~

15~6年前に井川遥が結婚をした。相手はファッションデザイナーらしい。結婚後益々大人の色気が増し、テレビ画面を通して私の目を楽しませてくれる。
数か月前、ガッキーの結婚が伝えられた。相手は星野源。テレビドラマがその縁らしい。まあ許す、星野源なら。
つい最近内山理名の結婚が報道された。もう終わりかけている、それもキムタクくらいワンパターンの演技しかできない吉田栄作らしい。聞けば数年前からの付き合いとのこと。それはないぜ!と思ったのは私だけではないと思う。何を隠そう、私は内山理名が最も愛する女性なのである。今まで口に出して言わなかったが、誰にも悟られることなく私の心の奥底に隠し持っていたのである。どのくらい好きかと言えば、豪華客船で世界一周の旅に、それも超スイートルームで一緒に行こうと秘かに念じていたのである。
雲霧仁左衛門の中での《七化けのお千代》・《マチ工場のオンナ》等々…
もう私の手の届かないところへ行ってしまったのだろうか⁉
希望だけは持ち続けよう!!

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神戸ゴルフ俱楽部 ~番外編~

自宅を出発する前に、カーナビに《神戸ゴルフ俱楽部》をセットし、わずかな興奮を抑えながら車を発車させた。中国縦貫道三田西インターから北六甲自動車を経て、六甲山頂にある神戸ゴルフ俱楽部を目指す。
途中右折するところを間違えて直進してしまい、ほとんど麓近くまで降りてしまい、大きく遠回りを余儀なくされた。目的地まであと4キロくらいに差し掛かった時、何かエンジンに異変を感じた。道路は蛇のように曲がりくねった急な坂道である。アクセルを踏んでもエンジンの反応が鈍い。ちょうど何年か前に走行中に車が走らなくなって、その原因を調べたらミッションの故障が判明したという経験があった。一瞬そのことが脳裏を掠めた。脂汗が額や手の平に滲む。こんな急な山道でもし車が動かなくなったら?と思っただけで気が遠くなりそうだった。あと2キロあと1キロ。カーナビの画面に目を走らせながら、ほうほうの体でやっと目的地に辿り着いた。ハーフプレーが終了し休憩時間を利用しいろいろ対策を考えた。レクサスの販売店は運悪く火曜日は定休日である。このままではとても自宅がある山崎町まで自分で運転してこの車で帰る自信はない。宍粟市で自動車業を営んでいる友人に連絡すると、気持ちよくキャリーカーで迎えに行くと言ってくれた。途中道は狭小だから気を付けて来るように伝えた。
残りのハーフを終え、シャワーを浴びた頃に彼は到着した。早速キャリーカーに私の車を乗せ、神戸ゴルフ場を後にした。実はその夜T氏にディナーを招待されていたが、友人だけ100キロ近くある道程を一人で返すわけにはいかないのでディナーをお断りして友人に同行した。
山崎に着いていろいろと調べてみたが詳しくはその原因は分からない。前日、遠出するので給油したのであるが、その中に軽油が間違って給油されたのではないか?ガソリンスタンドで給油歴を調べてもらったが、原因はそれでもなさそうである。次の日レクサスの販売店に車を預け、その原因を調査してもらった。結果報告としては、これといった決定的な原因は見つからなかった。ただ感心したのは、その車の反応が今一つだった時間が、こちらから一言も知らせていないのに判明したのには驚いた。そのことで私は一応安堵した。
来年早々には車を買い替えるよう、レクサスの営業担当にお願いをした。

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神戸ゴルフ俱楽部

神戸ゴルフ倶楽部は日本最古のゴルフ場である。1903年、イギリス人の貿易商A・Hグルームによって、六甲山の山頂海抜850mに造られた。最初は4ホールだけのコースであったが、その後幾度か改修の後、現在の18ホールが完成された。世界のゴルフ場の聖地がセントアンドリュースとすれば、日本におけるゴルフ場の聖地は、ここ神戸ゴルフ場をおいて他にない。
メンバー同伴もしくはメンバーの紹介がなければプレーすることはできない。が、限定プレーと称して、メンバー以外でもプレーすることが可能である。但し、電話等では申し込みは出来ない。往復はがきで申し込みをしなければならない。当然抽選である。プレ―は当たり前だが全て徒歩である。ゴルフクラブは10本以内と限定され、キャディは地元の男子学生が肩に担いで務める。
この度髙橋氏(JOYXゴルフ俱楽部で大変親しくさせて頂いている)のご招待を受け、田尻プロも含めて3人でラウンドする機会に恵まれた。もちろん髙橋氏は神戸ゴルフ俱楽部のメンバーで、2005年には俱楽部チャンピオンにも輝いておられる。自然をそのままの形で残し、まさに何年か前に訪れたセントアンドリュースを彷彿させるゴルフ場である。ランチにチャーハンを頂いたが、今までに食したことのない大変上品な味だった。
聖地の厳かさを全身で感じ、六甲山の爽やかな風に癒されながら、私は神戸ゴルフ俱楽部を後にした。
(但しこのブログには番外編があり、それはまたどこかの機会でアップする)

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東京2020パラリンピック

パラリンピックのテレビ中継を私は見ない。いや正確に言うと《見られない》のである。見ると涙が止まらなくなるからである。と言えば、障害者に対する偏見であり差別であるとお叱りを受けることになるが、私は見ることが出来ない。障害者と我々健常者は同等であり、区別してはいけないことは重々承知しているが、私には無理である。このことだけはどうか赦してほしい。
私と障害者との最初の出会いは、イギリスのチェシャーホームをモデルとした社会福祉法人『はりま自立の家』である。長きに亘って理事を務め、30年以上いくばくかの寄付をさせて頂いている。重度の心身障害者であるが、精神と頭脳は健全で私は年に2~3度のお付き合いの中だったが、彼らにはずいぶん教えられることが多かった。
パラリンピックは意図しては見ないが、ニュースとして色々と知らされる。この間、14歳の女の子が《100m背泳ぎで銀メダル》を獲得したというニュースが飛び込んできた。聞けば両手はなく、不自由な足のみで泳ぐのだそうである。五体満足な私は特に水泳が苦手で、50mも泳げないし、まして背泳ぎは5mも前には進まない。
はりま自立の家の障害者もそうであるが、パラリンピックに出場するすべての選手は、明るくて前向きである。私が仮にこれまでの人生の中で何らかの事故に遭い、障害者になっていたら、彼らのように明るく前向きにはふるまえないであろう。
こんなブログを書いているだけで、目頭が熱くなってきた。もうやめる…

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東京2020オリンピック総括

様々に物議を呼んだ東京2020オリンピックは7月23日に開催され、8月8日に幕を閉じた。そこで私の偏見と独断で総括をしてみることにした。
※ビックリ賞
①スケートボード。男子堀米・女子西矢・四十住・開・中山選手。我々の感覚では、スケボーなんてちょっと不良っぽい子供のお遊びくらいの認識レベルだった。オリンピック種目に入っていることすら知らなかった。特に西矢椛選手はなんと12歳というではないか。②ボクシング女子。入江・並木選手。どこかのおじいちゃんの言葉ではないが、嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合うなんて、という感覚は捨てなければいけない。③女子レスリング須崎選手。オールテクニカルフォール勝ち、しかも相手に1点も与えない無失点勝利。吉田沙保里もびっくり。
※大躍進賞
①男女柔道。安倍兄妹も素晴らしいが、なんといっても、再生を託された井上康生氏の手腕を高く評価すべきであろう。②女子レスリング。川井姉妹の活躍は勝算に値するが、吉田、伊調の伝統が生きていると感じた。③フェンシングエペ男子団体。これまでの常識を覆す勝利だった。
※称賛
①野球。悲願の優勝おめでとうと心から称賛する。特に栗林には私からもMVPを贈る。②ソフトボール。上野選手があれだけ投げられるとは私は認識していなかった。後藤選手は素晴らしかった。それに比べて、アメリカのアボットは力が衰えていたように思う。③男子20キロ競歩・池田選手の銀④女子重量挙げ・安藤選手の銅⑤体操種目別の男子あん馬の萱選手銅⑥女子床運動の村上選手銅⑦女子ゴルフの稲見選手銀⑧自転車女子オムニアム梶原選手銀⑨サーフィン女子都築有選手銅⑩男子サーフィン五十嵐選手銀⑪男子アーチェリー個人・団体の銅⑫女子スポーツクライミングの野中選手銀・野口選手銅
※期待外れの巻
①陸上400メートル男子リレー。何が起こったのか?分かった瞬間、あれはないでーと全国のファンはテレビ画面に叫んだはずである。②男女ともバトミントン。その中で混合ダブルス渡辺・東野ペアの銅はちょっと救われた思いである。③男子競泳。200メートルバタフライの本多選手の銀は殊勲賞。④男女ともテニス
※優秀賞
①男子空手演武喜友名選手・男子柔道大野將平選手、二人とも金が当たり前、と言われて勝つのは本当に困難であることを私は知っているから。②男子団体体操銀③女子卓球団体銀・男子団体卓球銅・女子卓球個人伊藤美誠銅④女子78キロ級柔道素根選手金、重量級では久しぶりで頂点に立ち、勝ち方も全て一本勝
※感動賞
①女子400m200m個人メドレー大橋悠依金。ありえない勝利である。北島選手を思い出させるようなシーンだった。そんなに才能的には恵まれていなかった選手、努力と研究の賜物である。②男子体操橋本大輝選手、個人総合金、種目別鉄棒金、完全に内村選手の後継者に指名する。③女子バスケット銀、ベルギー戦は執念というしかない勝利だった。④女子陸上1500メートル決勝において見事日本新記録で8位入賞、これまでの国際大会では考えられない快挙である。メダルが完全に見えてきた。⑤男子飛込7位入賞玉井選手。まだ14歳である。これからの活躍が大いに期待できる人材である。
※最優秀賞
誰が何と言おうと、《混合ダブルス卓球水谷伊藤ペア》の金である。準々決勝ドイツ戦での出来事である。99%の人が完全に勝利を諦めたはずである。セットカウント3対3。7セット目・10対6。1点取られれば全てが終わりである。ジュースに持ち込み、さらに相手にアドバンテージを取られながらも、それを跳ねのけた勝利はまさに神懸かりである。決勝戦は中国である。私は勝てるとは1ミリも思っていなかった。見事な勝利の上での金メダルは金メダル100個以上の価値がある。これまでの中国の卓球競技はどの種目すべてにおいて勝利するのが当たり前になっており、その一角を崩したのであるから、偉業という言葉でも表しきれない。
17日間において行われた東京2020オリンピックは終了した。試合終了後メダリスト達のインタビューに答える選手全員が《家族を含め自分の周りのすべての人に感謝する》《今までの苦しい時期を乗り越えこれだけ頑張ったのだから必ず成果は得られると信じていた》と涙ながらに話していた。当たり前だが、無から有は生じないのである。何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。
日本での開催であったため、チャンネルを切り替えながら十分に堪能することができた。3月25日福島から始まった聖火も最終大坂なおみの手によって聖火台に点火され、それは静かに消えていった。5月23日に私も1万余人分の一人として聖火を手にし、繋ぐことができた。72年の人生の上で、忘れられない2020,正確には2021年になることは間違いない。あといくらの命を頂いているかは知る由もないが、前を向いて生きていこうという思いを更に強くした。

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ぽつんと一軒家?

8月の中旬に、ミックスダブルスのゴルフの試合が(予選は何とか通過し、近畿地区の準決勝に登録しており、そこで優秀な成績ならば、全国大会の決勝は静岡県の名門葛城で開催される。我々は一応そこを目指している)太平洋クラブ宝塚コースで執り行われるので、練習ラウンドのために私ともう一人ペアを組むS嬢と、近くに住むK夫婦で練習ラウンドを行った。
和気藹々のうちにラウンドを終え、車で5分もかからないということなので、K家にお邪魔することにした。ここが宝塚市なのかと言うほどその住まいは山中にあり、その道程の道路の幅は、テレビ番組でよく見る正しく《ぽつんと一軒家》を彷彿させる山道である。K家に到着すると、その住宅は簡素な平屋づくりで、10年くらい前に中古住宅を購入しリフォームしたとのこと。室内はK夫婦の暖かで質素な生活ぶりがうかがえる、グッドな雰囲気である。
K家の自慢であり象徴はなんといっても《NEO》君である。4~5年前に、家の周りの雑草処理のために家畜として購入した山羊は、半年も経過しないうちに完全に《ペット》に成り代わり、子供がいないK夫婦にとって今や家族そのものである。どうやらK家は《NEO》君を中心に回っているようである。普段の言葉の端々に《NEO》が《NEO》が、をよく耳にする。
手作りの『スイカジュース』を頂いて、我々は得も言われぬ(癒し感)の中、K家を後にした。また行きたくなる、と思いながら……

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前姫路市長石見利勝氏

堂元氏の紹介で、正式に石見氏にお会いし講演をお願いしたのは、今年の3月だったと記憶している。それから一段とコロナ感染が進み、志澤塾の講座も休講を余儀なくされ、多少落ち着き始めた7月から講座を再開し、第二火曜日は私が、この四月に上梓した(或る二世経営者の挑戦)についての総論を話した。第四火曜日、すなわち7月27日に石見氏にご登壇いただき講義を賜った。2か月間に亘って講義をしていただくことになっており、第1回目は姫路市の誕生から今日までの歩みについて、ご自分の体験も含めて約1時間余り聴講した。
先ず《マズローの欲求5段階》から講義は始まり、姫路市の前身である(姫路県)~(飾磨県)が明治4年に設置され、明治22年飾磨市が誕生し、初代市長には薩摩出身の有留清氏が就任する。産業も次々起業され、敷島紡績の前身である播磨紡績・日本毛織・マッチ工場群・また兵庫電鉄(現山陽電鉄)・昭和10年には米田まけん堂(ヤマトヤシキ)・一方人口も明治31年には35000人だったのが昭和15年には10万人(現在は53万人)まで増え、姫路市が誕生し初代市長には岡上彦三氏が就任する。昭和20年6月・7月の大空襲の後、終戦を迎え、21年には石見利勝氏の父親に当たる石見元秀氏が市長を内務大臣より拝命され、元秀氏は戦後復興に力を注がれ、中でも昭和の姫路城大修理を、多額の費用と長きに亘る年月を要して完遂されたのである。
2003年に地元の有力者の熱い想いに打たれ、当時立命館大学の教授だった《石見利勝氏》は、わが故郷の発展のため姫路市長選に立候補し見事当選され、以降4期16年市長として姫路市・並びに隣接する播磨地域都市発展のために尽力されたのである。
以下各論に関しては、次回8月の講座から詳しくご報告します。乞うご期待。

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たまには自宅待機も好いもんだ

先日7月25日に、2回目のワクチンを接種した。1回目はさほど副反応らしい兆候は感じられなかったが、2回目は副反応の恐れがあると、マスコミ等で知らされていたし、事実家内も(家内は集団接種を希望したので早期に接種を受けることが出来ていた)腕や肩の痛みがあり、微熱もあった。故に私も用心のため、次の日すなわち26日は完全にスケジュールを空けていた。
接種した当日の夜、夕食を終えべベッドに入るころになると、次第に腕の痛みが増してきて、体も熱く感じるようになった。用意していた解熱剤を服用し眠りについたが、寝返りを打つのも痛くてなかなか眠ることが出来ず、朝を迎えた。食欲は従来と変わらなかった。翌26日は一歩も自宅から出ず、籠って過ごした。しかし昼食を取り、午後になるとずいぶん楽になったが、ベッドに入ったまま、先日から始まったオリンピック中継を見続けていた。
ふと目を遣るといつの間にか、半同棲中の猫ちゃん《アン》が私のベッドの横に寝そべっていた。頭を撫ぜたり腹を触ったりしながら過ごしているうちに、知らぬ間に二人とも寝込んでしまっていた。家内の(桃食べてですか?)と言う声で現実に引き戻された。至福の2時間ほどを愛猫と共有した。自宅待機もたまにはしてみるものだと思う、ワクチン接種の一コマである。

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5分だけ遠回り~ささやかな風景パートⅢ~

先日加古川ゴルフ倶楽部でラウンドを終えた後、スタート時間が早かったせいもあり、ゆっくりお湯にも浸ったにもかかわらず、時計を見るとまだ3時前だった。
私に少々悪戯心が芽生えて、鴨池のほとりにひっそりと佇むように存在するボート小屋を思い出し久しぶりに訪れたくなった。エアコンのない小屋は、すべての窓が開け放たれている。見渡したが客は私以外誰もいない。見覚えのある化粧気のない40歳前後で無造作に髪の毛を後ろで束ねた女性が、その日は、梅雨明けと同時に猛暑日に近い気温に上昇したため、かき氷を注文する客が多かったのであろうか
「いらっしゃいませ、かき氷ですか」と尋ねる。私は「いえ、りんごジュースください」とオーダーする。
リンゴジュースを一息で半分近くまで飲み干した私は、お店の前の池に鴨が飛来してくるとこのお店を閉じて、去っていくと再び開店することを、以前の会話で知っていたので
「鴨はいつ頃渡ってくるのですか?」
「9月末か、10月にかけてです」
「すると来年3月頃までお休みになりますね」
その清楚感溢れる女性は、当たり前のことだが私のことは全く記憶にはない様子だった。
「ボートに乗ってブラックバスを釣るのですね?」
「バス釣りの人が多いですが、単にボートに乗って楽しむ人もいます。まあカップルが多いですが」
「朝は何時から開いているのですか?」
「六時からです」
「えっ6時ですか?早いですね。」
「バスは朝早くでないと釣れませんから」
「終わりは何時ですか?」
「5時です。その間一日もお休みはありませんから」
「いくらですか?」
「300円です。」
財布を見ると一万円札しかなかった。
「ちょっと車までお金取りに行きます。」と言ってバックを置いたままにして、小銭入れから300円支払った。支払うときにかすかに微笑んだような気がした。
次に来た時には少しでも覚えてくれていると、いいなあ、なんて思いながら車のエンジンを始動した。
5分間だけ遠回りした真夏の出来事である。

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