27回目の宝塚

今年の宝塚へのお墓参りは11日に執り行った。
27年前43歳の時に草津駅のプラットホームで、下りの特急に撥ねられ亡くなった友人Ⅿ君の供養のためであるが、その間一度も途切れることなしに続けられている。
川西に住むK君は毎回ミニバイクでやって来る。同志社を卒業後、当時では稀であった外資系の製薬会社に入り、5年を残し早期退職し読書や旅行など、家族と楽しんでいる。
奈良に住むⅯ君は私鉄を乗り継ぎやって来る。大阪市立大学を卒業後、趣味も生かして近畿ツーリストに入社し、様々に紆余曲折の末、今も銀行の窓口で嘱託として勤務している。仲間内ではもっとも人が善く、彼を悪く言うものはいない。
姫路に住まいするT君は、技工士の専門学校に進み、長年こつこつと歯の仕事を積み重ね、今は息子がその家業を継ぎ、特別忙しいときには手伝うとのこと。
山崎に居るK君は龍谷大学を卒業後、長男ということもあり地元の企業に就職し、定年を迎えるや一念発起し、母校である龍谷大学の大学院に入学し、仏教と英語を学び直した。
お墓参りを終えると、恒例行事である宝塚ホテルの談話室で近況を語り合う。その場に、東京に住まいするH君が電話で参加する。H君は我々の仲間では最も優秀で、京都大学を卒業後日産自動車に入り、将来を嘱望されていたが、ゴーンショックでその道から外れ、ファイナンス会社を経由し、一時は体調を壊していたが、今は趣味の俳句でメキメキその才能が開花し、同人雑誌の編集長を任されている。私の俳句の師でもある。
同級生であるから当たり前だが皆全て《古稀》である。だがその一瞬だけ半世紀以上昔にタイムスリップする。
他愛のない会話は終わることなく続く。あと何年かな?と、誰もが心の中で思いながら……

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当世野球気質

今、夏の甲子園真っ盛りである。
今年は100回を記念して参加チームは史上最高の56チームである。またイベントとして毎日、かつて甲子園を沸かした元球児レジェンド達が代わるがわる始球式を行うそうである。初日は松井(星稜)が行い、他には桑田(PL)、定岡(鹿児島実業)、牛島(浪商)、谷繁(江の川)、水野(池田)、坂東(徳島商)、太田幸司(三沢)また珍しいところでは中西太も行うとの事。高校野球ファンでなくともワクワクするメンバーである。
新しく延長13回から「タイムブレーク」制度が今大会から導入されることになり、《佐久長聖》と《旭川大》は初めてその制度で戦い佐久長聖が勝利した。
片やプロ野球、特にセリーグは広島が今年も独走態勢である。巨人も阪神も全くだらしないの一言に尽きる。両チームとも優勝するだけのチーム力は兼ね備えていると思うが、充分に発揮されていない。監督、コーチ並びに球団が勝ち方を忘れているような気がしてならない。特に両監督とも、人間とは?が理解できていない。だから選手の起用法が理に適っていない。指導者として一から出直して欲しい。
これは以前から気になっていたことであるが、投手の投げ方である。ランナーもいないのにセットポジションで投げる投手が圧倒的に増えている。コントロール主体だからだそうだが、はたしてそれが適しているとは思えない。少し以前はほとんどが振りかぶって投球をしていた。それからノーワインドアップになり、いまやセットポジションである。球威が落ちるのは誰もが周知のことである。今一度原点に返って欲しい。特に阪神の藤浪を見ていると、長所が全く生かされていない。欠点ばかり直そうとしている、もっとダイナミックに投げて欲しい、なにせ彼は日本を代表するピッチャーだから。
その影響かどうかはわからないが、高校球児の中にも、最初からセットポジションで投げる投手が今大会で目立つように思える。
ロシアワールドサッカーは十分我々を楽しませてくれたが、やはり野球人気はまだまだ続くと思われる。そのためにも野球ファンをがっかりさせないよう、改革すべきは改革し、良いところは残し、野球関係者は野球発展のために精進して欲しい。

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悪魔の囁き

今年から参加資格を得た『グランドシニア』の兵庫地区予選に出場した。
当初は7月の5日に予定されていたのだが、先日の豪雨の影響で17日に日延べされて開催された。
5月に行われた「ミッドシニア」の予選はクリアし、城陽カントリーで決勝に臨んだが、散々たる結果で二日目にさえ進めることが出来なかった。
今回のグランドシニア大会は秘かに自信があった。出場選手では私が一番年齢も若いし、あれだけ練習を重ねてきたのだから、という自負があった。予選はおろか近畿大会においても上位に食い込み、あわよくばジャパンなどと企んでいた。
私はインスタートだった。スコアが詰まってくるとインスコア(マッチングと言う)が優先されるので、なんとしても30台、悪くても40点くらいではインは終えたかった。
10番ミドルホール・ティショット左のラフに打ち込んでボギー
11番ショートホール・ショットは完璧だったが風を読み過ぎてクラブを1番手大きめを使用したためオーバーして奥のバンカーに入れボギー
12番ロングホール・3オン2パットのパー
13番ミドルホール・アプローチ寄らず入らずボギー
14番ミドルホール・ティショット、セカンド完璧、バーディーチャンス
《ここで悪魔が囁いた》
これまで3つもオーバーしている、これ以上オーバーしたくない、このパットを沈めると2オーバーになり、この後の展開が楽になる、上りのフックライン、得意である、心を決めてパットを打った、ボールは無残にもカップの縁を通り過ぎ1メートル50センチオーバー、キャディ君に言う、上りじゃないのか?下りですよ、それでも気を取り直して打ったパットは無情にもカップの縁で止まる、痛いボギーである。
15番ミスパッドを引きずったまま打ったドライバーは大きく曲がりOB、ダブルボギー
16番ショートホール・信じられないことにバンカーの土手にキックしそのままOBゾーンへ、後は記憶が飛んでいた。インスコア49点。万事休す。
アウトは競技同伴者に迷惑をかけないように、と気を使いながら普通にラウンド、39点。
反省その一・過信は身を亡ぼす。その二・公式競技はパーで十分。その三・ドライバーの飛距離が後10ヤード足りない(同伴者で最も飛ばなかった)
今年の前半におけるゴルフは終了した。残されているのは秋の倶楽部競技である。
それに向かって、また精進する。健康で命尽きるまでゴルフを楽しみたい、と思っている。

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どうなっているの?

連日35度を超す猛暑日が続いている。高いところでは38度を超し、40度近くにまで気温は上昇している。
各地で熱中症により病院に搬送される人々が後を絶たない。
どうなっているの?
気象庁は太平洋高気圧が居座っていて動かないのが原因と言う。ではなぜ居座るの?なぜ動かないの?もっと他に根本的な原因があるのでは?と思ってしまう。
この間の豪雨といい、間断なく発生する地震といい……
何か、サムシンググレイトが起動しているのでは?と思ってしまうのは私だけ?
外の空気の色が去年までとは全く違う。濃くて《灼熱色》である。
明日はゴルフだ。
氷嚢片手にキンキンに冷えたレモンウォーターを3本くらい飲みながら、UVカットの日傘をさしてのラウンドが続く。

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即席麺開発秘話

いよいよこの秋からNHKの朝ドラで《まんぷく》が放映される。
世界で最初に即席麺を開発した、「日清食品」の安藤百福氏の妻である『仁子』女史がその物語の主人公である。
安藤家と日清食品㈱との間で悪戦苦闘し、カリスマ創業者百福氏の逆鱗に触れ何度となく退職の憂き目に会いながらも、仁子女史の取り成しで復帰し、最後は日清食品で『代表取締役副社長』まで勤め上げた「砥上」氏に今回の講座をお願いした。4度目の登壇である。
何度となく試行錯誤を繰り返しながら、蒸したり、揚げたり、戻したりを重ねながら、1958年にその完成を見るのである。宇宙食にもなっている即席麺は、今現在日本で55億食ほど生産されている。
     
開発のコンセプトは①おいしいこと②簡単に調理できること③長く保存ができること④値段を安くすること⑤安全であること、である。
瞬間油熱乾燥法の仕組みを考案し、3分待つだけで美味しい香ばしいチキンラーメンがたべられるのである。またカップラーメンも開発し、その秘訣は麺を宙ずりにすることで、よりやわらかで美味しく頂ける。世界では1000億以上食されており、もはや世界の食文化になくてはならなぬ存在である。
定かではないが、私が中学生のころ、親の目を盗み近所の悪ガキたちとインスタントラーメンを食べた記憶が今も残っている。まさかその裏にはこのような秘話が隠されているなど、当時は知る由もなかった。
10月からの朝ドラが待ち遠しい昨今である。

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桜子、お宮参りする!

昨今の様な異常気象になる少し前に、五月に誕生した孫の桜子のお宮参りを、私達夫婦が住いする地元の氏神様で執り行った。
  参列者は長男夫婦、その長男で孫の倫太朗、私たち夫婦、そして主役である桜子。
普段宮司はその神社に住いしていないので、出張してきてもらった。
午前11時に行くと準備はすでに整え、私たちを待っていてくれた。
5歳になるやんちゃ盛りの倫太朗は我々の心配をよそに、神事が始まるや急に神妙になり無事玉串奉奠も終えることが出来た。褒めてやると「やるときはやる」との事。
来年4月には年号が変わる。名称は知る由もないが、平成最後の年に誕生したことは確かである。
少なくとも今から80年以上は生きていく桜子。元気でいい人生を!と願うのみである。

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えっ、あんな可愛い子が!!

梅雨が明け、真夏の太陽が眩しく照り付けていた午後。
赤信号で私は車を停車させていた。並んで止まっていた隣の車に目を遣ると、乃木坂46にでもいそうな可愛い二十歳前後の女の子が運転している。しかし信じられない光景を目撃するのである。
女の子は、ドアを開け煙草の吸殻をポンと捨て、信号が変わるや否や何事もなかったかの如く立ち去って行った。私は一瞬自分自身の目を疑った。
その日はおりしも志澤塾のクリーン活動の日だった。

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災害に思う

7月5、6、7日、西日本を強襲したした豪雨は、日が経つにつれその実態が明らかになってゆく。
亡くなられた方も160人、行方不明者も50人、近年未曽有の大災害である。インフラも含めたらあらゆる復旧も全く見通しが立っていない。復興ともなると何年かかるか想像もできない。
災害時にいつも思うのであるが、何年か前に隣町の佐用町で起きた災害時に私の友達の一人が、「最も腹立たしかったのはマスコミ」だったと言っていたことを思い出す。
今回もテレビで目にしたのは、マイク片手にしゃべりながら誰かれなくインタビューを繰り返す光景である。交通障害を引き起こし、救援物資がなかなか届かない。作業の邪魔になる、心無いマスコミの対応である。ニュース価値がなくなると、さっさと引き上げてゆく。報道する義務があると言うなら、共同体を結成し、そこで放映したり放送したりする方法を考え、どこの放送局も同じ映像が流れるというシステムを取ればいいと思う。
最も頭が下がるのは、《ボランティア活動》である。ボランティア精神はもともと日本人には希薄だった。その精神が芽生え認知されたのは阪神大震災からである。今になっては笑い話であるが阪神大震災の時、何人かの若者がボランティアはバイトだと思い、代金を請求したこともエピソードとして残っている。
私は大変申し訳ないがボランティア活動は出来ない。でも何かの形で応援したいと思っている。一日も早い復旧そして復興を祈るばかりである。

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歴史シリーズ~秋山真之~

彼を私に引き合わせてくれたのは、司馬遼太郎である。「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」で始まる小説『坂の上の雲』を通じて知り合った。私が大学を卒業し、父が起こした会社で慌ただしく業務に追われている時に、大学時代の友人が「お前、最近本を読んでいるか?この本を読め」と言って、送ってくれたのが『坂の上の雲』だった。単行本だけでは物足らず文庫本も買い揃え、3回以上読み返し、私の生涯における最大の愛読書の一つになった。
秋山真之は1868年、伊予松山に生まれ中学までを過ごした。おさな友達に俳人の「正岡子規」がおり、兄好古は日本陸軍における騎馬隊の創設者である。『坂の上の雲』はこの三人の青春時代から大人としての活躍と、明治という浪漫と活気に溢れた時代を描き、やがて舞台は日露戦争へと展開されてゆく。
真之は子規と共に上京し、最初のうちは文学を志すが、経済的な理由から断念し、軍人として道を歩んでいくのである。海軍兵学校を首席で卒業するや海軍軍人となり、めきめき頭角を現し、広く海外を見る機会に恵まれる。特にアメリカに留学した時に巡り合った軍事思想家アルフレッドに強く影響を受け後、海軍史上最大の天才参謀と謳われるようになる。ロシアとの緊張はますます高まり、もはや戦争は避けられない状況になっていく。海軍総司令官は東郷平八郎、参謀長は島村速雄、その下ですべての作戦を立案したのが秋山真之である。1904年に宣戦布告し始まった日露戦争は、後半の最大の山場である日本海海戦を迎えることとなる。遠くロシアから、当時世界最強のバルチック艦隊がアフリカの喜望峰を超え、インド洋を渡りやってくる。日本海軍の絶対的ミッションはバルチック艦隊の全滅である。一艘たりともウラジオストックに寄港させてはならない。日本海の制海権を奪われ、大陸への兵站が枯れては戦闘出来ないからである。時は1905年5月28日。《天気晴朗なれども波高し、皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ》。Z旗を掲げ日本海戦の火蓋は切って落とされ、見事大勝利に導くのである。その画期的な作戦は、村上水軍からヒントを得、真之が狂うほど考え抜いたT字作戦、敵前においてUターンするという途方もない戦術だった。それを採用し実践させた東郷も素晴らしい。
この戦いの後、真之の主だった記録は残存していない。智謀の限りを尽くしたためであるとされている。

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株式会社ソネック

6月の第一講座は渡辺氏にお願いをした。3回目の登壇である。
氏と私はよく似た経営環境にある。ただ、氏の場合は私より次元の違う器の持ち主で、株式会社ソネックは今や東証一部に上場する立派な超一流企業である。
ここで株式会社ソネックについて簡単に概要を記してみる。
現在代表取締役社長は福島孝一氏(血縁関係はない)で、設立は昭和19年3月に、渡辺健一氏のお父様が株式会社曽根組として起業される。昭和59年、渡辺健一氏が社長に就任。平成4年に株式会社ソネックに社名を変え、平成8年に大阪証券取引所第二部に上場し、平成24年、渡辺健一氏は社長を福島氏に譲り会長に就任される。平成28年3月東証一部へ上場。現在資本金は72300万、売上140億、経常利益85000万、自己資本比率55%、現預金50億、勿論借金0。現在株価850円(私が少しだけ買っていたころは300円位)。決して大企業ではないが超優良企業である。
渡辺氏との出会いは、(株)パナホーム兵庫の社屋の建築工事をソネックにお願いをして施工して頂いたのがきっかけである。。それから氏は毎年のごとく、年末にギャラリーで執り行うチャリティー展に来て作品を購入して頂いている。
氏がソネックの社長に就任した時期及び退任した時期と、私がパナホーム兵庫の社長に就任した時期、および退任した時期が重なり、先代との確執においても類似点があり、どこか気持ちの通じるところがあるように感じている。(企業の経営結果において氏とは比較にならないが)
渡辺氏に志澤塾の構想をお話ししたところ、気持ちよく賛同して頂き講師についても快諾して頂いた。  
氏は長きに亘り地元高砂市の商工会会頭を務め、黄綬褒章、さらに昨年は叙勲の栄にも輝き、個人としても立派な人生を歩んでおられる。またソネックは奨学資金制度も導入され、広く社会貢献にも努められている。我々地域の企業人としても大いに見習い、お手本とすべきであると、つくづく感じた一日であった。

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