株式会社ソネック

6月の第一講座は渡辺氏にお願いをした。3回目の登壇である。
氏と私はよく似た経営環境にある。ただ、氏の場合は私より次元の違う器の持ち主で、株式会社ソネックは今や東証一部に上場する立派な超一流企業である。
ここで株式会社ソネックについて簡単に概要を記してみる。
現在代表取締役社長は福島孝一氏(血縁関係はない)で、設立は昭和19年3月に、渡辺健一氏のお父様が株式会社曽根組として起業される。昭和59年、渡辺健一氏が社長に就任。平成4年に株式会社ソネックに社名を変え、平成8年に大阪証券取引所第二部に上場し、平成24年、渡辺健一氏は社長を福島氏に譲り会長に就任される。平成28年3月東証一部へ上場。現在資本金は72300万、売上140億、経常利益85000万、自己資本比率55%、現預金50億、勿論借金0。現在株価850円(私が少しだけ買っていたころは300円位)。決して大企業ではないが超優良企業である。
渡辺氏との出会いは、(株)パナホーム兵庫の社屋の建築工事をソネックにお願いをして施工して頂いたのがきっかけである。。それから氏は毎年のごとく、年末にギャラリーで執り行うチャリティー展に来て作品を購入して頂いている。
氏がソネックの社長に就任した時期及び退任した時期と、私がパナホーム兵庫の社長に就任した時期、および退任した時期が重なり、先代との確執においても類似点があり、どこか気持ちの通じるところがあるように感じている。(企業の経営結果において氏とは比較にならないが)
渡辺氏に志澤塾の構想をお話ししたところ、気持ちよく賛同して頂き講師についても快諾して頂いた。  
氏は長きに亘り地元高砂市の商工会会頭を務め、黄綬褒章、さらに昨年は叙勲の栄にも輝き、個人としても立派な人生を歩んでおられる。またソネックは奨学資金制度も導入され、広く社会貢献にも努められている。我々地域の企業人としても大いに見習い、お手本とすべきであると、つくづく感じた一日であった。

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歴史シリーズ~伊藤博文の巻~

今年の大河ドラマは「西郷どん」である。放映から三分の一が過ぎようとしている。前回(4月22日)の放映で、名将とされた「島津斉彬」が亡くなり、私の記憶では、これから西郷の不遇の時代が続くはずである。当時日本国は井伊直弼が大老となり、彼にその舵取りが任されていた。有名な《安政の大獄》で吉田松陰は斬首されるのであるが、松陰が開設した『松下村塾』の塾生の一人に『伊藤博文』がいた。
伊藤博文は、1841年林家の長男として生まれるが、父親の破産が原因で、足軽伊藤家の養子となり利助と名乗っていたが、松陰から俊輔という名前を与えられる。松下村塾には高杉晋作、久坂玄瑞という突出した二人の人物が塾生として在籍していた。特に高杉との出会いは伊藤の後の人生において多大な影響を及ぼす結果となる。尊王攘夷運動に参加していたが、イギリス留学を強く望み、井上馨らと共に渡航し広く見聞する機会に恵まれる。列強との力の差を痛感した伊藤らは帰国後、開国論に転じ戦争回避に奔走するがその甲斐なく、馬関戦争が勃発し、その戦後処理に高杉の通訳として交渉にあたる。
久坂玄瑞は禁門の変に倒れ、高杉は病で、木戸も亡くなり、西郷は西南戦争で没し、大久保は暗殺され、明治維新の英傑人物が悉くこの世を去り、時代は伊藤博文へと大きく流れてゆくのである。維新後廃藩置県に伴い初代兵庫県知事に就き、堪能な語学力と慎重な思考が、井上馨や山県有朋などの支持を得て、1885年日本国初代の内閣総理大臣に選ばれると、その後第5代、7代、10代、4回に亘って内閣総理大臣を務めた。1909年、ハルビン駅において、大韓帝国の民族運動家《安重根》によって射殺された。しかしながら、ケネディ暗殺(オズワルドとされているが確証はない)と同様にその実態は定かではない。
伊藤の暮らしぶりは、衣食住にはあまり頓着しない性格で私財もほとんどなく、家族も周りも呆れるほどだったたそうである。一方、女性特に芸者遊びは好きだった。姫路選出の衆議院「松本剛明」氏は、二人目の妻、梅子夫人の玄孫にあたる。
伊藤博文は平和論者だった。日露戦争も最後まで消極的であった。彼の様な人物がいたらあの悲惨な太平洋戦争は起こさなかったであろう。今の日本の政治家達に強烈なメッセージを送って欲しいと、願っているのは私だけでないはずである。

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やってまった

この4月からの朝ドラは《半分青い》である。時代はちょうどバブル期の真っ最中で、羽の扇子を持ったワンレンボディコンのお嬢様たちが「ジュリアナ東京」の」お立ち台でディスコに興じている風景が映し出されている。
岐阜の片田舎で高校時代を過ごした「鈴愛」「律」が、鈴愛は漫画家の卵(卵以前かも)、律は神童と呼ばれ地元の期待を一身に背負っている大学生という設定である。
今のところ彼らを中心に展開されている。恋あり失恋ありの淡い青春ドラマである。
その中で主人公の鈴愛が考えられない事態を引き起こすのであるが、その度毎に口に出して言う言葉が《やってまった》である。多分岐阜県のある地方の方言の一つであろうが、その間が実によくて滑稽である。漫画家の大先生である「豊川悦司」も時々やらかしてしまう。そして「やってまった」と」言うのである。
先日私は播但道を北に向かって走行していた。ふとルームミラーに目を遣ると、赤いランプがきりきりと回っている。
   《やってまった》

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鳥谷選手について一言

鳥谷選手の連続試合出場が1939試合で途切れた。
「いずれ誰もが辿る道である」という通り一遍の言葉で片づける事は、鳥谷に関しては全く当てはまらない。
思い起こして欲しい、3年前を。これまで何度もゴールデングラブに輝いたショートのポジションをぽっと出の北条に、その守備位置を(訳分からぬ監督の幼稚な判断)奪われ、3塁という不慣れなポジションに回され、それでも無難にこなし、ゴールデングラブ賞にも選ばれた。まだしも、その北条とかいう選手が今も一軍で活躍しているのなら許しもするが、二軍においてもその名を聞くことはない。見る目のなさに呆れるばかりである。
更に昨年はサードの守備も度々外され、挙句の果てにセカンドに回された。
私は内野守備では、セカンドが最も難しいポジションだと思う。(外野からのカットプレー、ダブルプレー、バント処理等々)それくらいはあの監督もプロであれほど活躍したのだから認知しているはずである。現役時代は外野しかしたことないので、あるいは内野はどこでも一緒と思っているのだろうか?
そして今年。極度の打撃不振でとうとう代打、もしくは守備機会などで、これまでは連続試合出場のみのシーズンであった。
人はモチベーションで生きている。口にこそ出さないが生来真面目な鳥谷はセカンド守備についても色々悩んだはずである。打撃不振にもなるというものである。
あのままショートの守備を続けていたら、2割6~7分くらいの打率は十分残して、連続試合は今も継続していると思う。今の監督は鳥谷があまり好きではないのか?鳥谷は感情を表に表すタイプではないから。
阪神生え抜きの選手で2000本安打を達成したのは、藤田平と鳥谷だけである。彼は地味な選手であるが偉大な選手でもある。その扱いは余りに人間味が欠ける、と思うのは私だけではないはずである。あれほど惨めな状態にしておいて、使わないのは当然である、と自分自身を正当化する典型的なリーダーである。
私は阪神ファンではないし、鳥谷ファンでもないが、鳥谷選手の起用方法には憤りを覚える。彼が監督をしている間は残念ながら阪神タイガースの優勝はない。未だにセンターラインも打順も決まっていないチームに優勝は有り得ない。
連続試合が途切れてから代打でヒットを打った。その時のファンの喜びようは全てを物語っている。

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雨中の野点?

波裡庵では茶会を一年に三回執り行う。一月の初釜と五月の野点、十一月の炉開きである。
初釜はグループ全社員が対象で、花びら餅を大体250個ほど準備する。野点と炉開きは塾生、講師、グループの幹部社員、私の交友関係を招待し、50~60人くらいのお客様とお茶会を楽しむ。
今年の野点はあいにく雨にたたられ、雨中の催しになってしまった。当然屋外では無理なので、急遽室内にセッティングし直し行った。
昨年好評だった和菓子作りの体験コーナーを設けて、それぞれに自分自身で創作した和菓子を頂きながら、和やかに茶会は進んでいく。
   嶋澤社中がお点前を披露し、12過ぎに無事終えることが出来た。遠くは奈良県からも来ていただき、嬉しい限りである。終わると準備段階のおっくうさは何処かに置き去ってしまい、いつものことであるが充実感が残る。
多くの人にお茶を心から楽しんでいただけるよう、また来年も、と思ってしまう。

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その名は桜子

5月11日。その日は関西ゴルフ連盟主催のミッドシニア(満年齢65歳以上)の兵庫予選が花屋敷ひろのコースで執り行われており、それに選手として私は参加していた。
前半は42打を打ち半分諦めていたが、出来る事を精一杯やってみようと後半に臨む。いいタイミングで15番ホールにおいてバーディがきて38で上がり、運よくマッチングの結果辛うじて予選を突破することが出来た。ロッカーに戻りシャワーを浴び、携帯をチェックしてみると、数多くの着信やらラインが画面に表示されていた。
そのいずれもが長男に第二子が生まれたという内容だった。どうやら予定日より1週間ほど早まった様子である。名前は生まれる前から決まっている。
《桜子》である。
我々夫婦が提案した名前は見事に却下され、画数などから判断し、その名前に命名したらしい。残念ながら今回も我々の出る幕はなかった。
長女桜子の誕生である。
私は桜子の花嫁姿は見ることは出来ないが、明るく健やかに育って欲しいと願うばかりである。

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明治維新

この間、録画したテレビ番組(基本的に民放の番組は録画している。何故かと言えばコマーシャルや番宣が多すぎて一時間番組でも賞味40分くらいだから、録画しておいてコマーシャルなどはどんどん早送りしながら見るのである。また午後9時以降の番組もすべて録画する。9時に入浴し、9時半からは自分のベッドで読書タイムに入るからである)も見終えてしまい、かと言ってみるものもなく、だらだらとリモコンでチャンネルを切り替えながら見るともなく画面に目をやっていた。
番組の名前は記憶していないが、どこか民放のクイズ番組だった。明治維新における歴史家のプロたちが選んだ《ベスト30位》から順に、その人物についてのエピソードに関するクイズを早押しで答えるという内容だった。答えられない人から脱落していくのであるが、途中飛び越して二段上がったり、下剋上と称して突然1位になるのである。出演者は余り覚えていないが、「宇治原」「宮崎美子」「辰巳琢朗」などがいたようである。
因みに10位から列挙してみると⑩岩崎弥太郎⑨高杉晋作⑧島津斉彬⑦渋沢栄一⑥大久保利通⑤伊藤博文④勝海舟③坂本龍馬②西郷隆盛
さて1位は?誰でしょう?
『吉田松陰』その人である。
松陰についての記述は以前に行っているのでここでは詳細は省くが、井伊直弼が発した安政の大獄で刑場の露として消える。その時彼の年齢は若干29歳であった。松下村塾は余りに有名であるが、その期間はたった2年間だった。しかしながら短い時間にも関わらず松下村塾が輩出した人物を思いつくまま記してみると、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、入江九一、品川弥二郎、木戸孝允etc、数え上げればきりがない。
彼こそ日本の近代国家をこじ開けた最大の人物である。
志澤塾開講からはや5年が経過した。もちろん、松下村塾とは比較の対象にもならないが、それにしても己の未熟さを痛感する日々である。

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年に一度のデート

今年のゴールデンウィーク、29・30、3・4・5・6日のうち4回ラウンドだった。
5月11日に「花屋敷ゴルフクラブひろのコース」で行われる《ミッドシニア》の兵庫予選会に備えての練習ラウンドも含んでいる。なかなかの難コースで、行くたびに自信が無くなってゆく。
5月4日は、1ヶ月以上前から長男の嫁、所謂義娘との約束で、孫である《倫太朗君》とのデートをはたすことになっていた。行先は色々家内達とも検討したが、当初の倫太朗の希望通り、神戸ポートアイランドにある『動物王国』に決定した。途中渋滞に巻き込まれて、到着には従来の所要時間より30分程多く時間を要したが、我慢の範囲内である。以前は「花鳥園」という名称で親しまれていた所だった。
10時半頃に着いたが、園内は家族連れでごった帰していた。
            
         ※オオカミを探してみてください               
最初に北米に住む《オオカミ》を見た。初めて実物を見たのであるが、その迫力に圧倒されるばかりであった。オオカミは群れで行動するのであるが、襲われたらひとたまりもないであろう事は容易に想像できる。
この動物王国の売りの一つは、いろんな動物と触れあいが出来る事らしい。しかしながら動物に触れるためには長蛇の列に加わらなければならない。そしてある一定の時間が過ぎると受付を終了し、開始までに1時間以上待たねばならない。これだけの子供たちが来園しているのだから、せめて受付時間は廃止すべきである。
2時間ほど過ごし三宮まで戻り昼食を摂り、その後デパートへ行き倫太朗のオモチャ、最近はトーマスキャラクターに凝っているらしく、持っていない三種類のキャラクターを買い求めた。
姫路経由で山崎には午後5時ごろ帰宅した。昨年は潮干狩り。その前は波賀町の滝。その前は国見山。年に一度の《倫太朗君》とのデートは終わった。

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そうだ!

   
 昨夜来の雨風で私を毎朝見送ってくれた《ハナミズキ》の花が散ってしまった。
少々寂しい気持ちで車のエンジンをかけ、ガレージからバックをしながらハンドルを切り直して、ふと正面の山々に目をやると、何時の間に咲いたのか、薄紫色の山藤が目に飛び込んできた。一方会社の駐車場にも昨年亡くなった父が、10年以上前に植樹した藤の花が40センチ~50センチ、鮮やかにその房を垂らし、幻想的な空間を醸し出している。私は千年藤を思い出した。
そうだ、今年は久しぶりに散歩がてら見に行こう!

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春夏秋冬

4月24日の志澤塾の講座は、土方氏による俳句講座である。
私は外せない竣工式のため、遅れての参加になった。土方氏とは高校時代からの親友ということもあり、事情を話して彼に甘えることにしたのである。
俳句講座は一年に一度の割合で開催し、今回で4回目となり春夏秋冬、一巡したことになった。塾生たちもそれぞれに興味を持ち投句し、土方氏の指導の下選句、志澤塾俳句会は進んでゆく。
選句した中で多かった句を列挙してみる。

鳥雲に 我が子の背中 かさねみる     鳥引いて 姫路城の 静けさや
菜の花が 幸せはこぶ 家路かな(以上4票)
緑映え 白き波間や 千種川        外堀の 散りゆく桜 花筏
坂道に 見えるすべてが 花吹雪      唇に 三帰依文の 花祭り(以上3票) 
北空に 鳥帰りたる 湖面かな       ウトウトと鳥雲に入る 意識かな
少年の 暗唱聴きて 鳥雲に        雁帰る V字つながる 仲間と縁
愛犬の 遠吠え彼方に 鳥帰る       満天の 桜と星に 映える夜
春の雪 蕾につもる 雪をどけ       足元に 花をくっつけ 初筏
庭の梅 花もきれいや 実もうれし     山笑う 街にあふれる マスクマン
異邦人 レンズの先は 花衣        匂い立つ 祖母の思いで 草餅かな
野焼きあと ビール片手に 見張り番   鳥帰る 霞がかりの 小舟かな(以上2票)

そして土方氏が選んだ特選句は
《北空に 鳥帰りたる 湖面かな》     《鳥雲に 幼き日々の 砂遊び》

今回はあらかじめ、『鳥帰る』『鳥雲』という兼題が与えられており、その題で2句、自由句で1句、投句を行った。
自然界は春から初夏へと移りつつある。日本の四季の移ろいを愛でる心をいくつになっても持ち続けたいものである。

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