夢を見た

昔学生のころ、特に受験勉強をしている頃、テストに出題された問題を見たとき、どこかでこの問題を見たことがある、と思ったが、どの場面で遭遇したのか思いだせなかったことが度々あった。また旅行で初めて訪れた場所にも関わらず、以前に見た風景の様な思いになったこともしばしば経験した。
夢の研究はいろいろな人が行い、大変興味深いものがある。フロイトもその一人であるが、夢の予知能力に関して様々な分野で研究し発表している。
ビートルズの大ヒット曲《Yesterday》はポールが夢の中で耳にしたメロディーをそのまま曲として表しただけだそうである。相対性理論を発明した《アインシュタイン》も夢の中でソリに乗った時に閃いた理論である。その他数多くの著名な学者や作家が、自分の見た夢に影響を受け多くの実績を残している。
~先日立憲民主党の『枝野氏』が私に会いたいとアポを申し込んでこられたのでお会いした。彼が言うのには私に立憲民主党の党首になって欲しいと云うのである。もちろん私は固辞した。しかし彼に強力に迫られた。「今の日本を救うのは香山さんしかいない」と言うのである。~
と言う夢を見た。
「厚労省」を含めた官僚社会の構図。1100兆円にも上る国の借金。幼児及び障害者を含む弱者虐待の社会環境。
どれ一つ取っても全く出口は見えない。いまさら私が出来ることはない。おそらく命果てるまでの間に解決はしないであろう。私に出来る事と言えば強く願うことくらいである。
それでもいい、願い続けよう・・・

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立春

立春、という言葉を聞くだけで何かウキウキする。寒かった冬が多少ではあるが過ぎ去っていくように感じる。
前日の三日は節分である。子供の時はあちらこちらの家に豆を拾いに行った記憶がある。私が住んでいる部落では、その当時は各家庭で豆まきをする風習がなかった。多分私の記憶では日蓮宗の宗家が豆まきをしていたように思う。子供達はお互いに誘い合って拾いに行ったものである。その宗家も心得たもので、豆を撒く時間帯を微妙にずらして、我々ガキどもが行きやすいように配慮してくれていた。
大人になるころにはその風習もなくなり、それぞれの家庭で子供たちに豆まきをするようになった。豆と言っても豆はわずかでチョコレートや飴やお菓子類を投げ、家庭行事のようになった。それも子供が大きくなると自然と行わなくなった。
今は恵方巻が流行りである。海苔業者の回し者かと思っていたら決してそうではなく、意外と歴史があって、江戸時代に一部の商家の旦那衆のお遊びとして行われていたそうである。
今年の方位は《東北東》だそうで、我が家も馴染の寿司屋で調達し《東北東》に向かって無言で丸かじり行事を執り行った。
今日からは暦の上では春である。そして3月になるとお水取りが始まる。
こうして日本の四季は我々の煩悩など全て呑み込みながら移ってゆく・・・

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文科省さん!何とかして‼相撲協会を!

私の相撲歴は相当長い。最初にファンになったのが「吉葉山」だから、かれこれ60年以上になる。その当時は個性溢れる力士がいたものである。「千代の山」「鏡里」「鳴門海」「成山」「三根山」「大内山」「朝汐」「出羽湊」「鶴ヶ嶺」「大起」・・・
次の世代が「栃錦」「若乃花」いわゆる栃若時代である。それから柏鵬時代(柏戸、大鵬)になり、それに代わって現れたのが「北の湖」から「千代の富士」時代である。そして若貴時代へと移ってゆく。
若貴が人気を浴びたのは、それまでの慣習みたいなものを打ち破ってガチンコ相撲を展開したからである。若貴が現れるまでは、千秋楽を7勝7敗で迎えた力士は必ずと言っていいほど勝ち、8勝7敗で終えたものである。それが良いとか悪いとか言う問題ではなく、当たり前のこととして受け入れられていた。
若貴の時代からガチンコ相撲になり、それと同時に怪我が多くなっていった。結局貴乃花も怪我で引退を余儀なくされたのである。確かにガチンコ相撲は面白い、が多少情もあっていいかなとって思ってしまう。
若貴時代の終焉と共にモンゴル時代が到来する。朝青龍、白鵬を筆頭に日馬富士、鶴竜、照ノ富士、逸ノ城そして今場所優勝した玉鷲。
我々が待ち望んだ和製日本人横綱「稀勢の里」もあっけない幕切れに終わってしまった。私はあの怪我の原因になった日馬富士との対戦に疑問を持っている一人である。あの勝負は決まった後に故意に覆いかぶさったと思っている。もちろんモンゴル包囲網である。
相撲は本来日本の国技である。モンゴル力士が強いから仕方ない、のかもしれないが、相撲協会、各部屋が利益に走り過ぎている、としかいいようがない有様である。一連の貴乃花事件も私にとってすっきりしない事柄だった。全く目を覆いたくなる惨状である。今や相撲協会は白鵬の意のままの様な気がしてならない。
正式には『公益財団法人日本相撲協会』という名称で《文部科学省》の管轄下にある。
このままでは相撲は日本の国技などと言えなくなる。
何とかしてほしい、文科省。
暗黒時代が来る前に、と願う一相撲ファンである。

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いくちゃんとラーメン屋

いくちゃんの場合
いくちゃんとは、宍粟市にあるマッサージ屋、正確にはリラクゼーション屋で、あまりマッサージそのものが好きではない私が唯一通っているマッサージ店である。(妻も通っている)行き始めてかれこれ6年近くになる。I子とT女とY女の三人で共同経営をしながら施術も行っている。最初の頃に三人を波裡庵に招待し、私のお点前でお抹茶を振舞ったこともあった。
時は流れ、当時はうら若き独身三人娘も結婚し、I子とT女は子育てに追われる日々で、辛うじてY女だけが細々と営んでいる。最近はなかなか予約も思い通りには取れなくなり、行く回数も減っている。と言って他のお店には行く気にもならずに自然に任している。可能な限り続けていくつもりだそうだが、はたして?

ラーメン屋の場合
姫路の飾磨にあるラーメン屋だが、今の店より3キロくらい南の線路際に在った時分から行き始めたから、四半世紀が経過していると思われる。
その間本人が体調を崩したり、奥様が亡くなったりして途切れたりしたが、すっとぼけた風貌に似合わず手早く、高菜を名物に好まれる味を武器にたいそうお客で賑わっていた。
この間行くと、一台の車も停まっていない。普段は幹線道路に順番待ちの車が3~4台並んでいるのにおかしいと思い、店の駐車場まで行くと張り紙がしてあり、
《体のメンテナンスをしております。少しの間やすませてください。歳には勝てません》
とある。店主独特のシャレである。
私は復活は難しいのでは?と言う思いがよぎった。私の心に隙間風が吹き抜けていった。

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初釜風景

波裡庵(茶室の名)が主催するお茶会は年間3回行う。5月に野点、11月に炉開き、そして1月の初釜である。野点と炉開きのお客様は私がお招きをするが、初釜はグループ全社員が対象である。今年は1月12日に執り行った。
予め出席人数を把握し、その数だけ「花びら餅を準備する。今年は220個用意した。
           午前10時から始まり、大体午後1時頃には終了する。お茶室に入れるのは6人くらいが限度なので実際のお点前で頂く人数は自然と限られてくる。
私は最初にお点前をし、1回後見についた後は志澤塾内に設置したテーブルでお茶を頂いている社員に「花びら餅」のいわれ・お茶の頂き方・腕時計や装身具は身から取り外すことなどなどを平易に話する。何かの縁でお茶会に出席することがあったときに慌てずお茶を頂けるようにと思っている。
  
  ~花びら餅 湯気の向こうは 笑いあり ~(拙作)
こうして一年が始まりそして過ぎて行く・・・・

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新春講演

平成31年の年頭の講座は松本剛明衆議院議員にお願いをした。新春を飾るに相応しい人物であり内容だった。
松本氏とは浅からぬ因縁で、氏のお父さん「松本十郎氏」と私の父とは泥懇の中で、西兵庫信用金庫を通じて十郎氏がお亡くなりになるまでいいお付き合いの間柄であった。私は剛明氏とは竣工式とかお茶会(氏は裏千家淡交会播磨支部の支部長を務める茶人である)で度々顔を合わせており、以前からお互いに知っていたが、今回でその関係が深まった思いである。
剛明氏は東京大学を卒業後、日本興業銀行に入行され、10年が経過したころ、十郎氏が防衛庁長官(現防衛大臣)を拝命されたのを機に退行され、秘書としてお父さんの身の回りのお世話をする傍ら、政治家への道を志し今日に至っている。
民主党時代には外務大臣を歴任され、紆余曲折を経て熟考の末自民党に入党されました。現在は岸田政調会長のもと政調会長代理として活躍されており、当選7回を誇る名実ともに中堅議員である。政務調査会という部署は党の最重要ポストで、あらゆる法律の立案がされる部署である。
デフレからの脱却を1日でも早く図り、社会現象で最も懸念される最重要課題『少子高齢化』対策を行う事、ビッグデータを分析しIT、AIを促進していく事、環境問題にも積極的に取り組んでいく事、国際的には米中問題の早期解決を図り安定した国際金融を実現していく事。一方地元姫路にも目を向け住みやすいふるさと作りに貢献していく、等々小泉進次郎氏や小池百合子氏などのエピソードも踏まえながら、時にはユーモアも絡めて楽しく明るく話していただいた。我々の愚門にも丁寧に答えていただき充実した1月8日だった。氏には1日でも早く大臣ポストに就かれ、日本の為播磨地方の為により一層活躍されることを祈るばかりである。
  

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高取山

平成最後の元旦は「高取山」から始まった。
今年は新しくできた別ルートから登ることにした。
家内と次男の三人は昨年と同じメンバーである。次男は近辺の山登りを定期的に行っているほか、毎日のウォーキングも欠かさず続けており、家内もウォーキングは日課のようにこなしている。最近さぼり気味の私とは体力面で雲泥の差である。
ほうほうの体で私が頂上にたどり着く頃には、彼らは涼しい顔でスポーツドリンクやお茶を飲みながらミニパンをほお張ったりバナナを食べていた。私も切り株に腰を下ろしゆっくり休息を取った。
高取山は宍粟100名山にも数えられ、海抜490メートルの高さである。地元の高取山愛好家たちは毎年グループを組んで、AM5時30分に集合しご来光を拝みに登山している。頂上から見る景色は格別で、晴れた日は遠く瀬戸内海も捉えることが出来る。
下山は昨年のルートにした。枯葉に足を取られ何度も尻餅を付きながら我が家にようやく辿り着くことが出来た。彼らに遅れる事30分。
昭和、平成そして5月には新しくなる新年号と三世代にまたがり人生を生きることになるのであるが、多感な昭和、充実の平成、そして下山の新年号。
正しく《下山の思想》の年号である。ワクワクしながら生きていこう。

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平成30年

今年の漢字は《災》で、流行語大賞は《そだねー》である。
平成30年の主な国内における出来事を独断で列挙してみる。
国内編
通貨所謂ビットコイン流出・森友、加計問題・藤井棋士史上最年少七段・自然災害勃発(大阪で震度6、西日本豪雨、国内最高気温41.1度、台風21号、北海道地震)・スポーツ界のパワハラ・地位のある人物のセクハラ辞任・オウム13人死刑執行
・安室奈美恵引退・安倍氏自民党総裁3選・本庶氏ノーベル賞・魚河岸築地から豊洲へ・ゴーン氏逮捕・大阪万博決定
海外編
アメリカ高校でまた銃乱射・金正恩初の訪韓・史上初米朝首脳会談・米中貿易対立・フランス増税デモ・イギリスEU正式離脱・サウジ人記者殺害・タイ少年13人救出
スポーツ編
青学箱根4連覇・平昌オリンピック、パラリンピック開催(羽生結弦2連覇、、女子スピードスケート大活躍、カーリング女子銅、パラリンピックメダル量産)・ロシアW杯開催(日本8強ならず)・高梨沙羅W杯歴代最高54勝・アジア大会開催(池江璃花子MVP)・大坂なおみ全米テニス優勝・ウッズ5年ぶり優勝・貴乃花退職・男女バトミントン大飛躍・大谷二刀流新人王・紀平梨花グランプリ大会優勝

さて自分自身の事になると、手帳を繰り返し覗いて観たが、これと言った目新しい出来事は見当たらない。ゴルフも報告するようなこともないし、各グループの業績についても可もなく不可もなくである。ただ全グループに言えることはパラダイムシフトが全く出来ていない。シフトに向かう勇気の欠片も感じられない。安穏と現在の地位に居続けている。来年はやや強硬にチェンジを推し進めていかねばと思っている。このままでは5年後は存在そのものが不確かである。しかも各グループに不祥事が目立ち綻びさえ見え隠れしている。
新装なった南座で、今年も顔見世を観ることが出来た。新たな気持ちで新年を迎える心の準備は整った。
そんな気持ちで平成最後の年末は過ぎて行こうとしている・・・・

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謎の美女

朝6時起床。新聞2紙に目を通しながら6時半朝食(卵焼き、低脂肪牛乳、トースト1枚、ヨーグルト、バナナ半分、リンゴ2切)。7時歯磨き&トイレ・7時半NHK朝ドラ。8時前八幡建設に出勤。パソコンをチェック(メール、業績、世界のニュース、天気、ファイナンス等)。グループ会社からの報告。
9時20分頃M君やO君が待っているサミット会場喫茶サボイに向かう。
すると決まって、大変ローカルな話で申し訳ないが、宍粟橋から日本アフレの前を通り過ぎて津田店の方向へ、年齢不詳の美女が歩いている光景に出くわす。
暑い夏の日は日傘をさして、寒い冬の朝はコートの襟を立てながら、俯くでもなく、前を見据えるでもなく、ただ淡々と同じ息遣いで歩いている風景。
何処に住まいして何処に行くのであろうか?
確かめる術もなく今年も終わっていく…

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お伊勢参り

今から2000年前、天照大御神は奈良の都の皇居内にまつられていたが、倭姫命を御杖代としてより良い場所を求めて諸国を巡り、その結果伊勢が、風光も明媚で気候も温暖であり、山の幸も海の幸も豊富で、最も相応しい所と決め鎮座されたとある。伊勢神宮には内宮と外宮があり、内宮は天皇家の祖先で太陽にもたとえられる天照大神が祀られており、外宮は天照大神の食事を司り産業の守り神である豊受大御神が祀られている。外宮は内宮より500年後に建立された。お伊勢参りは外宮から内宮の順にお参りするのが習わしである。
お伊勢参りは鎌倉時代から始まり、江戸時代になると多くの庶民の間にも広まりを見せ、特にお陰参りと称される集団参詣はその時代の人口の1割近く、数百万人規模に及んだと言われている。江戸からは15日、大阪からでも5日くらいの日数がかかり費用も相当要したが、お伊勢参りの沿道に当たる人々は寛大で様々な施しを受けられたようである。
志澤塾の講座の一環として廣峯神社のご尽力のもと、塾生を主に一般参加も募り、総勢27名でお伊勢参りを行った。まず外宮を参拝し内宮へと向かう。20年に一度行われる式年遷宮は平成25年に8年の歳月をかけて執り行われた。途中戦乱や国の乱れから途切れたこともあり62回を数える。大鳥居の前で軽く頭を垂れ、五十鈴川にかかる宇治橋を渡ると自然に背筋が伸びる思いである。玉砂利を踏みしめながら正宮へと向かう。建築家ライトをも震撼させた正殿は五重の垣根に囲まれており、建物は古代からの様式神明造で、茅葺の屋根は10本の鰹木がのせられ、4本の千木の先端は水平に切られており、一分の隙も無い作りである。
           芳名帳に住所と志澤塾香山廣紀と記し、我々は神官の厳かな案内のもと、ここからは天皇家しか入れない鳥居の前で御垣内参拝をさせていただく。~二禮二拍手一禮~全員の御垣内参拝が正宮内に響き渡る。身も心も洗われその余韻に浸りながら神楽殿においてお祓いを受けたのち、引き続き古式豊かに奏でられる雅楽の中、6人の巫女による優美な舞を堪能する。控室に移動し直会を頂く。私は天照大神のお軸を買い求めた。一連の儀式を終え、おかげ横丁へと足を運び約一時間の自由時間を楽しんだ。
平成最後の年にお伊勢参りをさせて頂き、また一つ私の心の奥底に忘れえない出来事として深く刻み込まれた初冬の一日だった。

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