今回は自慢します!


2001年に上月カントリー(現ジョイックスゴルフ倶楽部上月コース)において、宿敵金子敏夫を破り、決勝では石田選手と36ホール死闘の上勝利し、クラブチャンピオンに輝いた。続いて2011年にはジョイックスゴルフ倶楽部上月コースにおいてシニアチャンピオンの栄誉によくし、今回グランドチャンピオンを取らせていただいた。
2001年の時も嬉しかったが、今回はその倍以上の感激である。準決勝、決勝と私の中では本当に苦しい展開だった。一つ間違えば勝利することは出来なかった。勝因は相手のN氏やH氏に比べてほんの少しだけ私の方がミスが少なかったのではないかと思っている。パワーでは断然私が劣っていたし、技術においてもそんなに違いは見受けられなかった。
これで私は念願だった三階級制覇をすることが出来た。本当に「嬉しい」の言葉しか見つからない。今後現れるかもしれないが、現在では当ゴルフ場においては私が最初である。
《健康》であること、そして多少《生活に余裕がある事》《あくなき研究心》がこの三階級制覇につながったと思う。
これからもゴルフをこよなく愛し楽しみたいと思っている。
先ずはすべてに感謝である。

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ジュン・アン・タロウ


《ジュンの場合》
ジュンが山崎にあるグループ会社の一つ(株)ニューマテリアル兵庫の倉庫の中に、アンとタロウを産み落としてから4年が経過し5年目に入っている。
勿論最初は名前などなかったが私に相談され、6月に我々の家族の一員になったのをきっかけに母親を「ジュン」と命名し、アンは女の子と思い、タロウは男の子と思い、それぞれに相応しい名をつけた。後に二人共男の子だと判明したが、今更変えられないし今に至っている。
ジュンは時々旅に出る。何年か前も突然いなくなり、社員や私達の心配をよそに、何事もなかったように帰ってくる。今回も行方不明になり、手分けして捜したが見つからず、諦めかけていた頃に帰ってきた。どうやら前回もそうだったが今回も2泊3日の小旅行を楽しんだ様子だった。行先をちゃんと言ってねジュン。
《アンの場合》
アンは最も私に懐いている。この間夕方近く社員の一人が「どうもアンの声がおかしいです。声が全然でないのです。」と言って我が家に連れてきた。私は人間の症状を思い浮かべ、声が出ない、もしくはかすれる場合考えられるのは、喉頭がん、或いは咽頭がんである。早速たつの市にある動物病院にアンを連れて行った。血液検査や触診を受けたが、まずはその疑いはないという診断結果だった。よほど心配なら後日MRI検査をしましょう、ということになった。やれやれ一安心!
《タロウの場合》
残念ながらタロウは余り私に懐いてくれない。でも凛々しくてカッコいいネコちゃんである。最近はたまにではあるが抱っこくらいはさせてくれる。今度遊びましょうね。

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新人社員のフォローの仕方

鈴木紀子女史とは長い付き合いである。かれこれ32~3年になる。
ANAの現在流で云うなら「客室乗務員」をへて、教育訓練をする立場を経験したのち、現イオンの研修室で業務をしたのち独立し、現在まで現役の講師として活躍されている。志澤塾では一年に一度必ず講座をお願いしている。
今回は入社間もない新人社員のフォローの仕方について、実践的なパフォーマンスも含めて講義をして頂いた。
新人と上司の間では根本的に価値観が違っており、彼らは約80%がプライベートを優先し、出世や昇進に関しては全く関心を示さないのである。失敗を恐れミスを犯したくないので、何かにつけて消極的になりがちになる。その一方では、自分自身の能力を高めたいと思っており、仕事を通じてやりがいや充実感を味わいたいと思っている。
指導する立場にある上司や先輩は、失敗やミスを受け入れる環境を整えてやり、挑戦する意欲を支援し、ともに学び合い喜び合える仲間として接していくことが大切である。また上司や先輩は社会人としての常識を兼ね備え、意欲と積極性を持って、業務遂行能力と対人関係能力を身に付け『状況対応能力』を磨いていかねばならない。
その一つの具体的なやり方として、《ほめ方》《しかり方》の技術をしっかり把握し、効果的に使うことが大切である。
~言って聞かせて やってみせ やらせてみせて ほめてやらねば人は動かじ~
はその極意である。
私と全く同年代の鈴木女史。また来年お会いしましょう。

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蒼穹の昴をもう一度

浅田次郎をしてこの小説が書きたくて作家になった、と言わしめる大作が《蒼穹の昴》である。「鉄道員(ぽっぽや)」や「プリズンホテル」を発表し、小説家としてある程度の地位を築き上げ、しかる後に《蒼穹の昴》を世に輩出したのである。『蒼穹』とは澄み切った青空の事で、『昴』とは牡牛座に位置する『プレアデス星団』であり、物語の主人公の一人である《春児》の守護星なのである。
物語は田舎町の河北で馬糞を拾い集めそれを売りながら、病気がちの母親と幼い妹達の生活を支えている《春児》が、村の一角に住む歳老いた預言者《白太太》のお告げ~幼き糞拾いの子、春児よ。汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう。~を賜るのである。
一方春児の義兄に当たる《梁文秀》は、河北の大地主の次男として生まれるが、何かにつけ恭順で聡明な長男と比較され、家族からも疎まれるのであるが、夜ごと日ごと飲んだくれ女と騒いでいても、天才とは得てしてそんなものであれよあれよと言う間に、科挙の受験資格を得る「挙人」になり、いよいよ都北京に上るのである。
文秀と一緒に都に上がった春児は盲目で胡弓を怪しく弾き語る「安徳海」と出会い、その過去すなわち元宦官のトップである大総官だったこと知り、白太の予言を信じ宦官になる決心をする。幾多の困難を乗り越え、曲芸の達人「黒牡丹」と巡り合い芸を磨き、それが「西太后」目に留まり出世の階段を上ってゆく。文秀は科挙試験の当日隣合わせになった七十年もの間科挙に挑戦し続けた老人の魂を受け継ぎ、トップで科挙に見事合格するのである。
それから何年か経過し、春児は西太后に寵愛され文秀は光緒帝の側近くで、同じ紫禁城の中でそれぞれの立場で活躍をするのであるが、時代は大きな変化の中にあり、守旧派である西太后と、革新派である光緒帝の間で激しい駆け引きが行われ、ついに光緒帝は幽閉され命を落とす。文秀は日本へ逃れ、一方春児は龍玉を手に紫禁城を去る。西太后は最後まで清国の存続を願いながら、『溥儀』を皇帝に据え息を引きとってゆく。
2010年に《田中裕子》が西太后に扮し》日中合作で《蒼穹の昴》のテレビ放送を行った。先日その再放送が放映されたのを録画して観た。もう一度「蒼穹の昴」「中原の虹」を読み返したくなっている。

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奉納

元旦の初詣はまず地元の氏神である「石作り神社」にお参りをするのが恒例になっている。今年も海外に移住している長女を除いて、長男夫婦と6歳になる男の子と、産まれて1歳にも満たぬ女の子、次男と私達夫婦7人で出かけた。
お賽銭を投げ入れ鈴を打ち、二礼二拍手一礼の作法で参拝した。本殿、護国神社、天神様、お稲荷様と順にお参りをした。
その時全てのお社で、鈴を鳴らす鈴緒(後日この名前を知った)の尋常ではない傷み具合がずーっと気になっていた。
それから一か月くらい経過したころに、その損傷の様子が私の中で耐えられなくなって、何とかしたいという欲求が日に日に増していった。
今年度は私の同級生が自治会長をしている。彼に連絡を取り、新調させて欲しいという旨を伝えた。特別なものなのでかなりの高額が予想されたので、大体私の中の予算を伝え見積もりを依頼した。10日ほどが経ち、自治会長と宮総代が見積もりを持参して自宅に来られた。少し予算が余ったので申し訳ないが本殿の奥の幕も見積もりに加えた、と言って見せて頂いた。私は結構ですと答え、五月のある日に奉納の儀式を宮司によって、関係者数人が集まり執り行った。  
来年の初詣が今待ち遠しい気分である。

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野点


今年も野点を催した。
私は野点、という言葉の響きや字柄が大好きなのである。日本独自の文化であり、諸外国にはこれに類するような言葉や文化、風習は私の知る限りにおいてないように思う。
朱色の野点傘を立て、御園棚を庭にセットし、単衣の着物で白足袋に草履を履き、お点前をした。
屋内では、和菓子作りの体験コーナーを設け、和菓子職人に手ほどきを受けながら、自分自身が作ったお菓子でお抹茶を頂いてもらった。作りたてのお菓子は、ましてや自分が作ったお菓子はことのほか美味しく、抹茶の美味しさをより引き立てたように感じた。
今年もご招待をしたお客様60人ほどがお見えになり、思い思いに楽しんでいただき、笑顔のうちに、五月の爽やかな一日を過ごして頂いた。

  
 
      風薫る 笑顔のうちの 野点かな

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令和最初の講座

令和最初の講座は薬師寺執事長の加藤朝胤先生にお願いをした。
先生のご法話の前に、石垣明貴杞女史に文字について、学術的見地から講義を受けた。彼女は中国におけるもっとも古い亀甲獣骨文字(紀元前1300年殷時代の文字)の研究を含め、中国各地の言葉、インドに纏わる言語、その他ラテン語を筆頭にヨーロッパの文字を合わせて8か国語を操ることが出来る天才的語学力の持ち主である。元来文字は神にお伺いを立てた占いの言葉であり、神からのお告げとして使用された。蔡倫によって紙が発明されるまでは、文字は亀の甲や木簡に記されていたが紙が発明されてから、文字は爆発的に発展をとげ、様々な経典や辞書などが作られるようになったのである。しかし中国という国は支配者が変わるごとに文化も含めたすべてを否定する特性があり、その文献の殆どは残存していない。毛沢東の文化大革命も中国の特性を顕したものとしてうなずけるところである。
加藤先生のご法話は平易な言葉で私達に生きる知恵について語って頂いた。
人間の天寿は120歳で、春季は1~25歳(人生の基盤期、基礎的な知識や習慣を学ぶ)・夏季は25~65歳(子孫継承期、家族を支える責任)・秋季65~90歳(円熟期、社会奉仕への参加)・冬季90~120歳(自己管理、未来への譲渡)であると説かれ、生涯青春、生涯現役を保つために、何事にも興味を持ち、規則正しい生活リズムで毎日を過ごすことが大切である。朝食は必ず摂り、マイナス思考は避け、読書や美術などの鑑賞をし、脳を活性化しておくことが肝要である。
法話の後我々はお写経をさせて頂き、永代供養をして頂くために薬師寺へ送付した。
私も久しぶりにお写経をさせて頂きその一瞬でも心が清まった思いである。
とても120歳までは生きられないが…

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平成から令和へ

宮古島にて令和を迎えている。今年の初めに宮古島行きのスケジュールを立てたときに、新しい元号になることは分かっていたが、その新元号が『令和』になることはむろん知るところではなかった。そして今現実として、平成から令和に時代が変わっていく激動を身をもって実感している。しかも私の身の回りには私を知る人間はいない。
テレビやマスコミでこれまで幾度となくその時代の変遷について報道が行われたので、私は自分自身のことのみについて記そうと思う。私は昭和23年7月6日にこの世に生を受けた。幼年期は病弱だった。両親のお陰で今日まで命を頂いている。大学を卒業と同時に父が起こした八幡建設に就職し、結婚もした。一女二男の子供に恵まれ、長女は遠くオーストリアで生活をしており、もう20年近くになる。長男はパナホーム兵庫の経営を、次男はウエルネス兵庫の経営を執り行っている。私が本格的に経営者の仲間入りをしたのは、35歳の時に当時八幡ナショナルの再建を託されてからである。
63歳で社長を退くまで28年間経営の第一線に立ち続けた。決して順風満帆ではなかった。一度赤字を経験したが、50歳を過ぎる頃にはおぼろげながら事業経営とは?が分かりかけた。私はいろんな人に巡り合い恩恵を享受させて頂いた。結論的に述べるなら、事業経営は人間が織りなすドラマであり、人間を理解することが原点である。
私に影響を及ぼした出来事は数え上げればきりがないが、第一はJC青年会議所である。奉仕という私には無かった概念を埋め込んでくれた。第二はSTM研修である。人間は認め合って生きていくのである。第三は水口先生との邂逅である。潜在意識と顕在意識を体験させていただいた。書物としては①田中要人『社長業の実務』②坂の上の雲③ローマ人の物語のみとする。
私は典型的な凡人である。しかし他の人と違ったのは、私の置かれた環境から逃避出来ないと腹を括っていたことである。ならば自分自身のために、そして私の身の回りの人たちのために自分の全てを注ぎ込もうとしてきた。
私の命はあと10年くらいである。次の新しい元号は見ることはない。今は令和を楽しんでみようと思っている。
~令和元年5月3日宮古島にて記す~

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民衆

民意、を広辞苑で検索してみると「人民の意志」とある。人民を民衆に置き換えてみてもほとんど同意語である。
私は民衆程あてにならないものはない、と思っているタイプである。浅学の範囲内で世界の歴史を見ても、日本の歴史を見ても必ずしも民衆が正しく判断するとは思えない。
記憶に新しい所では、①ドイツ国民がナチスヒトラーを選んだこと。それにより世界第二次戦争へとつながって行き、世界を恐怖の中に落とし込んでいった。②中国国民が毛沢東を出現させたことにより、数々の膨大で偉大な中国の歴史・文化を崩壊させ、やさしい情痴に溢れた国民性が失われ、ぎすぎすした中国を形成している。巨大な野蛮国中国を世界は無視できない状況である。③アメリカ国民は無知で駄々っ子のトランプを大統領にしてしまった。どれほどアメリカ国内はもとより世界が振り回されていることか④イギリス国民はEU離脱と言う先見性のない選択をしたことで、未だにイギリスだけにとどまらずEU各国が混乱している。⑤我が国においても軍部の台頭を許すという誤った判断の結果、太平洋戦争を引き起こし多くの尊い命が亡くなった。等々・・・数え上げればきりがない。
我が国においても安倍政権の長期化が及ぼす悪影響が次々と表面化し、今まさに崩れかけようとしている。自民党内において勇気を持って改革して欲しいと願っている。
4月21日。姫路市長選挙が執り行われた。清元氏が2万票近くの差で市長に当選された。果たして姫路市民は正しい選択をしたのであろうかと、危惧しているのは私だけであろうか?それが杞憂に終わって欲しいと願っている。少なくとも令和の姫路を姫路民衆は彼に託したのであるから、すべてを姫路の活性化の為に尽くして欲しい。

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ハナミズキ

今から15年くらい前になると記憶しているが、八幡建設の経営が悪化し、当時妹婿が経営責任者だったが退いてもらい、不本意ながら私が社長に就任し、そのかじ取りを2年ほど行ったことがあった。その時にかなり老朽化した社屋を解体し、八幡住宅産業(現ニューマテリアル兵庫)が使用していた社屋に移り住み、八幡住宅産業本社を今の姫路に移転しニューマテリアル兵庫と社名を変更した経緯がある。
老朽化した社屋の跡地は八幡グループの発祥の地であるので、記念植樹をすることにした。
先ず梅ノ木・桜の木・ハナミズキ・百日紅・紅葉と大小二本ずつ順に植樹した。季節の移り変わりを愛でるという思いと、発祥の地を忘れないためであった。そして私の好きな樹木ばかりを選んだ。
今年は長く桜を鑑賞することが出来た。ふと気が付くと、もうすでにハナミズキが可憐な花を咲かせている。私はハナミズキの花そのものも好きでがあるが、《ハナミズキ》という言葉の響きが美しくて大好きなのである。
平成も残すところあと1週間である。令和の時代までは生きられそうであるが、次の世代には私はいない・・・

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