誇れる同級生Ⅱ

9月に引き続き今回も福山氏にお話ししていただいた。氏とは山崎高校の同級生で、同じクラスになったことはないが、何となくお互いを認識しあっていたと記憶している。私は大学受験に失敗し1年間の浪人生活を余儀なくされ、その後中央大学へと進み、自堕落な学生生活を送りながら、学生運動華やかな時代の恩恵を受け何とか卒業し、父が起業した会社に就職し、63歳で経営の第一線から退き今に至っている。
一方福山氏は、姫路工業大学(現兵庫県立大学)電気工学科を経て富士通株式会社に就職し、富士通テン株式会社が分社独立したのを機に転籍し、富士通テンアメリカに出向し、それを機会に北米ビジネスが氏の活躍する場所になって行った。2005年に富士通テンアメリカの社長に就任するや、ますます氏の能力が開花していったと思われる。現在は兵庫県立大学の特任教授として教鞭をとっている。
今回は~世界で勝ち抜くビジネスコミュニケーション力~と題して、海外で仕事ができ、楽しく暮らすためには、異文化を楽しみ、外国人を怖がらず、対等な関係を築き上げ、お互いが「WIN WIN」を実現していくことが信用へと繋がっていくと説かれた。例えば握手一つにしても、しっかりと力強くすることがお互いの信頼関係を築くうえでのコツである。CHANCEとCHANGEをタイミングを計りながら展開していくことが肝要であり、国内においてもグローバルな視点で物事を捉え事業を進める必要がある。真の品質は、工場ではなく市場で作られることを肝に銘じ、モノづくりを行いサービスに心がけていくことが大切である。
晩秋のこの季節に、氏の講義は理知的で我々に新鮮な考え方を提供してくれた。誇れる同級生の一人である。

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プロ野球総括

コロナ禍の中、変則的スケジュールで開催された今年のプロ野球であるが、終わってみれば唯々ソフトバンクの強さだけが目に焼き付いた一年だった。開幕当初はなかなかレギュラー選手が揃わなくて、一見もたもたしているように目に映ったが、出揃うや否や圧倒的な勢いで、特に終盤あわやロッテか、と思わせる場面もあったが、破竹の12連勝でロッテを寄せ付けずリーグ優勝を勝ち取り、そのままの流れでクライマックスシリーズ、日本シリーズと一度も負けることなく日本一に輝いた。《あっぱれ》というしかない。
方やジャイアンツ、ぶっちぎりでセリーグ優勝を勝ち取りながら、日本シリーズでは一勝もできず惨敗である。走攻守、どれをとってもジャイアンツのつけ入るスキはなかった。
周東の足、どのバッターのスイングの速さはジャイアンツの岡本さえも遠く及ばない、出てくるピッチャー出てくるピッチャーどのピッチャーも球が速い、すべて150キロを超す。ジャイアンツだけでなくセリーグすべての球団は根本から考え直さないと、ますますセリーグとパリーグとの力の差は広がるばかりである。
一方阪神タイガース。一体キャンプでどんな練習をしているのだろう、見てみたい気分である。秋季キャンプの守備練習の様子が一部テレビで紹介されたが、とても守備練習をしている風景ではなかった。にやにや笑いながら仲良しクラブで遊んでいるようだった。もう千本ノックなんてしないのだろうか。あれではエラーはなくならない。巨人とはエラーの数で負けたようなものである。この2年間同じビデオを見ているようで我慢がならない。矢野監督の考え方にも大いに問題がある。開幕する前に「もう優勝していますから、日本一になっていますから」なんて公言している姿をテレビで何回となく目にした。いわゆる《言霊伝説》を引用したのだと推測するが、それは個人には当てはまるが、集団には当てはまらないことを知らない。無知とは恐ろしいものである。そして選手の起用である。巨人との開幕戦でキャッチャーを、第一戦梅野、二戦坂本、三戦原口の順で使ったのである。自分の現役時代のポジションは一体どこでした?と言いたい。2年連続ゴールデングラブ賞の梅野以外に阪神のキャッチャーはいないはずである。聞くところによると梅野が嫌いなのだそうだ。好き嫌いで選手起用をするのは愚の骨頂である。会社経営においても好き嫌いでの人事は最悪である。(私はしなかったが世のトップは行う)阪神のトップバッターは《近本》しかいないことを認識していない。時々2番にしたり、また外したりした。チームで最も多くの安打数は近本であり、その影響でチームの盗塁数が増えたのである。唯一よかったのは《大山》のホームランが増えたことである。問題は来年であり是非30本は打ってほしい。助っ人、いわゆる外国人選手であるが、個人的には《ボーア》はもう一年見てみたい選手である。『マルテ』は絶対いらない、緩い甘い変化球しか打てない。どうやらスアレスは残る可能性は低いようだ。それにしてもセントラルはすべてに底上げをしないと駄目である。楽しみな選手は《村上》《佐野》《高橋周平》《大野》《山崎晃太郎》《森下》それにしても選手に減俸があるように監督にも減俸してほしい、例えばどこかの人気球団の監督。
パリーグの事はよくわからないので記さないが、とにかく来年はもっとワクワクするゲームを数多く見たいものである。いちプロ野球ファンとしての切なる願いである。

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ビンゴゲーム

年間3回はビンゴゲームを開催してきたので、30年やり続けたとしても、大体100回近くは行った計算になる。そのビンゴゲームをこともあろうに次男の結婚披露宴で執り行ったのである。
5月に地元の寺社「願寿寺」にて仏前結婚式を挙げ、披露宴はコロナ禍ということもあり先延ばしにしていた。私たち夫婦はもう披露宴は取り止めと思っていたが、8月頃になって11月に行いたいと言い出し今回の運びとなった。では、ということになり、新郎の父として余興の一環でビンゴゲームをすることになり、商品は塾の事務員N子・新婦千草・私の愛妻・そして私と4人で車2台に分乗して、西神戸にある《コストコ》で買い求めた。
披露宴での与えられた時間はじゃんけんゲームも含めて<30>分。いやがおうにも会場は盛り上がり、特にじゃんけんゲームは賑わった。その間所要時間25分。司会者に、お褒めの言葉を頂いた。新郎の友人であるs君の《糸》・ウィーンからの長女達のオペラ・その後厳粛なうちに閉会した。
新型コロナは一向に収まる気配はない、むしろ第三波が唸りを立てて押し寄せてきている気配である。披露宴以降、悪いニュースは耳にしていないが、かれこれ1週間が経過した。何事もなく無事済んでくれることを夫婦で祈っている。

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ゆうこりん・ゆきねえ・ひかるちゃん・さゆりおねえさん

11月3日。
昨日の大雨とは打って変わって快晴に恵まれ、ジョイックスゴルフ倶楽部において、私のグランドシニア2連覇と決勝戦でのホールインワンを達成したのを記念に、ゴルフコンペを開催した。昨年も同じ時期に3階級制覇の記念コンペを開催したのであるが、毎年行っているようで参加される人々には迷惑なことだと思い、多少気兼ねをしながらの大会だった。特に今年はコロナ禍の状況なので余計に気を遣った。
表彰式も出来るだけ短時間で執り行うように配慮したつもりだった。先ず高橋氏に開会の言葉を頂き、次いで今年も多忙の中駆けつけて頂いた、阪神タイガース元監督の岡田彰布氏に祝辞を頂戴し、乾杯は死闘を繰り広げた決勝戦の相手で、ホールインワンの見届け者でもある森崎氏にお願いをした。
すぐさま表彰式に取り掛かり、プレゼンテーターは4人の美人プロゴルファー(小野雅子・林佳代子・村田理恵・田尻みか)にお手伝いをしてもらった。
最後に私が謝辞を述べた。当ジョイックスゴルフ倶楽部4人の美魔女(ゆうこりん・ゆきねえ・ひかるちゃん・さゆりおねえさん)から記念に頂いたボーラーハットを被って、森崎氏からお祝いに貰った薩摩切子のボールマークも紹介しながら、香山流に感謝の心を伝えた。
辺りは夕暮れに包まれている。赤く色づいたメイプルに見送られながらゴルフ場を後にした。

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倫太朗二度目の外泊

プロローグ
今年のゴールデンウイークに初めて我が家に外泊した。そのことはこの拙いブログに記した。幼稚園時代はお泊り保育に出かけるのも嫌でぐずっていた。前回のお泊りで味を占めたのか自信がついたのかは知らないが二度目を望んでいた。夏休みはコロナ禍の影響で短かったし、宿題も多かったため実現しなかった。10月中に遊びに行きたいと、言うことになり、10月の日曜日は私のゴルフの大会の都合で最終31日11月1日に決まった。
Before
土曜日の午後からやってくるだろうから、その日はバトミントンか室内ではトランプでもして過ごし、夜は倫太朗のリクエストに答えて、ステーキを食べよう。あくる日、彼が望めばゴルフの練習でもして(そのために事前にゴルフ5で児童用のユウテリティを購入した)その間に家内が弁当を作りそれを向かいのお山に登り食べればいい。食べ終わったら下山してちょっと休憩して私が姫路まで送って行けばよい。
After
義娘は倫太朗と妹のさくらこを連れて土曜日の午前11時頃にやってきた。お昼ご飯を食べたいと言うので近くの和食屋で食べから、ちょうど当日はハロウィンだったので、何かお菓子と思ったが事前に家内と倫太朗の間で《タイ焼き》と決まっていたらしく隣町まで買いに出かけた。自宅に戻り義娘とさくらこは帰って行った。それから休む間もなくバトミントンと野球に戯れる。私は少々退屈してきたので、家内と倫太朗を誘い向かいのお山に登って買い求めた《タイ焼き》を食べようと提案した。下山してからはトランプ、ババ抜きと神経衰弱を二回ほどすると、また野球をすると言い出した。その間半同棲中の猫ちゃん《アン》は二階に上がり身を沈めたままである。夜ステーキを食べて帰宅してから、私と倫太朗は一緒に御風呂に入る。前回と同じくジェットバスはお気に入りだった。寝るのも前回と同様家内とベッドで休む。朝は7時半頃起きる。朝食後私はカフェに行くからどうするかと聞いたら行くという。コーヒーとオレンジジュースをオーダーする。昨日から5分おきぐらいに「今何時?今何時?」聞くものだから、五月蠅いので時計を買ってやった。それからゴルフに連れていくと、たいそう気に入ったのか150球も打った。アドレスだけはちゃんと教えた。時々ボールに当たり50ヤードくらい飛ぶので楽しかったらしい。案の定自宅に帰り、夜に腰が痛いと言ったらしい。いきなり150球はやり過ぎであるが、やめないので仕方がなかった。ゴルフから帰るとちょうどお弁当が出来ていたので、それぞれに手分けして持ち山に登る。頂上で食べるお弁当は、大人の私でもたいそう美味しく感じた。戻るとまた野球だというので、少しだけ付き合い言い含めて姫路の自宅に送り届けた。
エピローグ
家内と二人。
面白かったが当分いいなぁ。お疲れ様でした。

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朝から一人大慌て

私は眼鏡を6つ持っている。2種類あって、老眼鏡と今一つは乱視用である。老眼鏡はもちろん本を読んだり会議の資料に目を通したりパソコンを使用するときに必要で、乱視用の眼鏡は車の運転、特に夜間は必携で、ゴルフの時もなくてはならなくなってきた。それぞれ3つずつ所有しており、老眼用は弱とやや強と強である。乱視用も強度的には似たような分類になっている。強度の強いものは最近購入したのであるが、どちらも長い時間使用していると目の疲れが酷くなり肩が凝り、挙句は頭が痛くなった。あまりに頭痛が長く続くので心配になり脳ドックの検査までした。今現在はどちらもやや強の度数の眼鏡を使用している。
今朝の事である。BSで朝ドラを見てからいつものように会社に出社しパソコンのスイッチを入れるため、眼鏡を取り出そうとして眼鏡ケースを開けた。するとケースの中に眼鏡がない。カバンの中にも勿論見当たらない。とりあえず自宅まで戻り強度の強い眼鏡を取りに行き、パソコンで一連のチェック項目を行う。どこかに置き忘れているに違いないと思い、昨日からの行動を思い描いた。
昨日はゴルフに行った、プレー終了後レストランでお茶をした、確か予定表のチェックを行った、テーブルの上に置いたはずである、ゴルフ場に電話をする、探してもらったが見当たらないと言われた。
一昨日火曜日は?地元のカフェでお茶をした。その時雑誌を見た、そのカフェに電話する、赤い縁の眼鏡は預かっているがその他はない、と言われた。
もう少し冷静になろう。心の声・お前はいくら遅くなっても夜ベッドで本を読むのが習慣になっているだろう!その時眼鏡なしでは読書は出来ないはずだ!昨夜も本は読んだだろう!急いで再度自宅に戻りベッドの付近を捜した。おそらく眠気に耐えきれなかったのだろう、本も眼鏡もほっぽりだしてベッドの下に転がっていた。ちょうど朝の散歩から帰ってきた家内に運悪く出くわした。事情を説明すると、案の定馬鹿にされた。言うべきではなかった……。

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パッサの法則

行きつけのラーメン屋(2週間に1度くらいは行く)に、コロナが蔓延し始めたころから、壁に~パッと食べてサッと帰る・パッサの法則~と、カレンダーの裏紙にマジックで書き記して張り出している。
お店を手伝っていた、無愛想だがきびきび動く次女が結婚をして、2か月前くらいに出産をした。お店の親父は5人目の孫になるとニヤついていた。少しばかり出産のお祝いをしたのだが、次女の旦那も今はお店を手伝っている。将来そのラーメン屋を継ぐかどうかは分からないが、親父にはあと3年は頑張れと、けしかけている。親父の趣味は、下手なボーリングと当たらない競馬である。3年くらい前に奥様を亡くした時は相当落ち込んで2か月くらい店を閉めていた。
歳は私と同じ1948年生まれである。何となく応援している。

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WFP

WFP(国際連合世界食糧計画)は、食料欠乏国への食糧援助と天災などの被災国に対して緊急援助を施し、経済・社会の開発を促進する国際連合の機関である。1961年に創設され、1963年から活動を開始し、本部はローマにある。そのWFPは2020年のノーベル平和賞を受賞したのである。
私とWFPとの出会いは20年近く遡る。東京で行われたセミナーに参加した時のことである。その席上で講師をされた当時伊藤忠の会長であり、WFPの日本の代表も務められていた丹羽宇一郎氏(現在は日清食品の安藤宏基氏が代表である)と面談する機会に恵まれ、WFPの活動内容についてお話を伺った。他の国際的な支援団体の活動費は寄付などで募った額の25%、残りの75%は経費として使用されているが、WFPはその逆で現場主義を掲げており、75%が活動費で25%が経費として使用されていると聞かされ、私は深く感銘を受けたのである。
その後二度ほど横浜市みなとみらいにある日本の本部を訪れ、当社が毎年年末にギャラリーで催しているチャリティー展の収益金を従来の寄付先からWFPに切り替え、相前後して私も自分自身の口座から毎月いくばくかの金額をWFPに納めさせていただいている。私は27歳の時、世界には食べることが出来なくて餓死する人が何百万人もいて、大半が子供達であると聞かされ愕然とした。自分自身どうすることも出来ない無力感を抱きしめたまま、日々の雑然さの中、流されもがきながら、自分自身の生活に追われ生きてきた。
その中でのWFPとの邂逅は、私の救いの神のようだった。その時期に《ハチドリのひとしずく》という民話にも巡り合ったのである。正しく今自分に出来ることをすればいいのである。私の心にかかっていた靄はすっきり晴れ渡った。

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片山大介参議院議員

~10月の講座から~
私の古くからの友人であるT氏に紹介を受け、片山参議院議員と知り合った。8月の末だったと記憶している。それからメールや電話で何回かやり取りの末、志澤塾で講義をしていただく運びとなった。せっかくの機会ということもあり密を避ける意味でも、出来るだけ多くの人が聞けるチャンスを、と思いパナホームの大会議室で、充分ディスタンスを取り開催した。
片山議員は慶応義塾大学を卒業後、NHKに入社され社会部の記者として日本各地に赴き、取材活動を展開され、平成28年日本維新の会から参議院選挙に出馬され、見事当選され今日に至っておられる。お父様は有名な「片山虎之助」氏でいわゆる二世議員である。
発足間もない菅内閣についても、デジタル省の設置、携帯電話料金の値下げ、不妊治療の保険適用等々の施策を高く評価された。また衆議院解散についても触れられ、来年1月末か、もしくは予算の成立を見て行われるとの見解であった。また大阪都構想の是非を問う住民投票は、世論調査では賛成の方が多いが全く予断を許さない状況であり、蓋を開けてみないと分からないと言われた。コロナについてリスクゼロは難しいが、共生しながら三密対策をしっかりとれば、コントロールは可能である。検査体制を充実させ、重症化を防ぐことが重要である。NHKの記者時代は長きに亘って皇室担当だったこともあり、皇位継承については深く関心はあるが、中々困難な部分があり、国民の象徴である天皇陛下には健やかに過ごしてほしいと結ばれた。
私は最後の質問を終え議員に「自民党と二大政党にはなれないが、せめて連立を組むくらいの勢力を広げ、日本をどうか明るい未来が見える国にして欲しい」とお願いをして、秋本番の爽やかな季節にふさわしい講座は終了した。

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金木犀再び

この時期になると何処からともなく、金木犀のあの甘酸っぱい香りが漂ってくる。例年なら金木犀の香りとともに祭囃子が耳に響いてくるのであるが、今年はそれは聞こえてこない。祭り好きの播州人はさぞ口惜しい想いをしていることであろう。街のマスク姿にも慣れ違和感を覚えなくなってきた。この先どのようにコロナが終息していくか?誰にも予想できないが、人類は幾たびかの危機を《知恵》と《情痴》で乗り越えてきた。
金木犀の香りを楽しみながら、この先をゆっくり眺めていこうと思う。

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