早まった宝塚行き

今年1月末に私の父が91歳で亡くなった。初盆を迎える。
私のスケジュールを考慮して、今年の宝塚行きを1週間早めに執り行った。
8時、姫路に居るT君、私と同郷のA君3人は山崎出発。9時現地で川西に住んでいるK君と、奈良に居住するM君と待ち合せる。
26年になるらしい、高校時代の友人が下りの特急列車に草津駅のプラットホームで轢かれ命を落としたのは。それからお盆のお墓参りは一度も欠かしたことがない。
お墓をタオルや束子で丁寧に洗い、用意したお花を飾った。お線香を点て、蝋燭を翳し心から手を合わせる。
それがすむと近くの宝塚ホテルのカフェでプチ同窓会が始まる。一気に50年前にタイムスリップされ、全員が高校生に早変わりする。
姫路に居るT君は、大阪の技工士の専門学校を卒業後、インターン時代を経てコツコツと技工士業に精を出し、ありがたいことにご子息がその職業を継承し、時々は手伝いながらのんびり暮らしている。
川西に住んでいるK君は、同志社大学を卒業し、当時は珍しかったが外資系の製薬会社に就職し、5年を残して早期退職をし、仲間内では最も優雅に毎日を過ごしている。
奈良に居住するM君ほど人間的に良いやつはいない。先ず人を疑うことを知らない。人の悪口を聞いたことがない。大阪市大を卒業するや、趣味を生かして近畿日本ツーリストに就職し、生来の熱心さで出世はしたが、リストラ担当を任されたときは相当落ち込んでいた。今は優しい?奥様と、素直な長女と三人暮らしである。
同郷のA君は、毎年宝塚行きを段取りしてくれる。彼がいなかったら途切れていたと思う。龍谷大学を卒業後地元の会社に定年まで勤め、業務から離れると、一念発起して母校である龍谷大学に再び入学し、仏教全般と浄土真宗を主に学んだ。
A君がやにわに携帯電話を取り出し、東京住まいするH君を呼び出す。それを順番に回しそれぞれにたわいのない会話をする。H君は我々仲間では断トツの秀才で、京都大学卒業後住友商事を蹴って日産自動車に入った。誰もが将来の役員候補(副社長クラス)と信じて疑わなかった。が、例のゴーン氏の出現でそのコースが外れ、定年後趣味の俳句でメキメキ頭角を現し、所属する同人雑誌の編集長を任されている。
一口に50年と言っても、とてつもない時間である。古稀を迎える年齢になり、今からをどう生きるか?という命題からは逃れられそうもない。誰かの言葉ではないが、「生きてるだけで丸儲け」と思い、その時その一瞬を過ごそうと、改めて思った《宝塚行き》であった。

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7月の出来事

今日で7月が終わる。
日本各地で猛威を振るった集中ゲリラ豪雨。安倍内閣の崩壊。デリカシーの欠片もないトランプ。子供ちゃんの金正恩。世界各地で勃発し続けるテロ。

七月の六日は吾の生まれし日、嬉しくもあり寂しくもある
誕生日のお祝いのメッセージに対して私は、上記の歌を返した。
《なぜお誕生日が寂しいのですか?》という返信がいくつかあった。
私は69歳になった。昔で言うと古稀にあたる。少し以前なら長寿である。
30代のころ、50歳や60歳の人が随分年上に思えた。ましてや70歳など完全に老人の域である。その70歳に差し掛かろうとしている。
朝早く目が覚める。人の顔は浮かんでくるが名前がなかなか出てこない。夜トイレに2回くらい起きることがある。本を読むスピードが遅くなった。人の話が聞き取りにくくなった。ドライバーの飛距離が極端に落ちた。グリーン上で上りと下りが逆に見える。

自分の残された命は推し量ることは出来ない。一日一日を、その一瞬一瞬を生ききることに精進しよう。緩やかに下山の道を辿ろう。
今日で7月が終わる…

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私の携帯電話遍歴

大学2年くらいだったと記憶しているが、アランドロン主演の映画『あの胸にもう一度』を観た。そのスクリーンの中で、アランドロンは大統領候補になるため、自分が所属する党の党首になれるかどうかの重要な時期を迎えていた。しかし一方自分の愛する女性との恋も最終局面に差し掛かっている。多忙を極めるアランドロンは、愛する人の元へ雨が降りしきる中シトロエンを運転しながら急ぐ。約束の時間はとっくに経過している。
「この時間までにあなたが来られなかったら私の命は消えている」と最後通牒を突き付けられている。運転しながら幾度となく電話をするが応答はない。その電話をするシーンが自動車電話なのである。カッコイイ!その時、いつかは自分も自動車電話を、と刻み込んだのである。
かれこれ三十数年前になると思うが、播磨地方で自動車電話というシステムが初めて展開される聞き、その予約を現パナソニックを通じて依頼した。第一回目は300台限定だった。搭載するまでに半年間を要した。すっかり私はアランドロンの気分に浸っていた。
当時は基本料金も確かひと月当たり5万、通話料金は3秒10円だった。
「いくら電話しても通じない」とか「バカ息子がバカ高い自動車電話などつけて」とか散々陰で言われていた。私は、「現代は時間を金で買う時代だ」と、意に介さなかった。
その後、重く電波事情の悪い携帯電話になり、段々性能も使いやすい携帯電話が続々登場、メールまでできる電話が現れた。
そして今や大半がスマートフォンなるものに変革していった。若者は勿論、小学生、主婦、爺婆に至るまで、私をバカにした人も一億総携帯電話病患者である。
恋人の逢瀬も来るか?来ないか?というドキドキ感はなくなった。
アランドロンはどこへ行ったのかしら?

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気になるCM

最近テレビやラジオから流れてくるCMの中で、私だけかも知れないが、気になる内容がある。何かといえば、弁護士事務所や司法書士事務所のCMである。
《払い過ぎた利息が戻ってきます。昨年一年間で100万円以上返金があった人が○○人、50万円以上の方が○○人もいらっしゃいます。是非お電話だけでも下さい。年中無休、24時間対応、相談無料、成功報酬ですから一切の費用はかかりません。》
という類のコマーシャルである。酷いのになると交通費の実費まで負担してくれる。費やした広告宣伝費がペイ出来るのであるから、多くの需要があることが推測される。
一般の金融機関はそれには該当しないから、高利、すなわち町金融が対象である。裏を返せば利用者が相当数実在するということである。
世の中の社会現象の一つである、と言ってしまえばそれまでだが、そんな容易な一言で片づけていいものか?と私は思うのである。
どこかが狂っている。
何々クレジットを利用する人は、そんなに裕福な層ではないと思う。健康保険証か運転免許証あたりでたやすく借りられるのだと思うが、借りるとその利息に追われ、厳しい生活を余儀なくされると聞く。そこに現れるのが正義の味方○○事務所である。
何々クレジット会社の多くの場合、著名な銀行とつながっているのがほとんどで、一般の金融機関から見放された人たちが、やむなく利用しているのである。
貧富の格差は益々拡張するばかりで、このままでは社会は崩壊するであろう。それは『トマピケティ』の警告を待つまでも無いことである。
世界の良識のある、強いリーダーの出現を待つばかりである。

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岡田監督大いに語る!

昨年私の友人がホールインワンを達成した。その記念コンペにゲストで岡田彰布氏が出席していた。その記念コンペで、なんと岡田氏がホールインワンを達成したのである。
有志が集まり、岡田氏のホールインワン記念コンペを企画したのである。
その記念コンペで岡田氏と同組でラウンドをした。それがきっかけで親しくなり、志澤塾での講座をお願いしたところ快く承諾していただき、今回の運びとなった。人数の関係で、塾には入りきらないのでパナホームの4階大会議室で執り行った。
岡田氏の講演は私の想像を逸脱した、中身のある大変味のある内容だった。
例えば、オリックスで2年、阪神で5年、二軍監督を経験されたのであるが、それが後に阪神の監督を引き受けた時に大いに役に立ち、成果を上げることが出来た。二軍と一軍、そしてスタッフ、フロントが一体となって野球に取り組まないと、勝てないし優勝などあり得ない。一軍の使命は勝つことであり、二軍は一軍で通用する選手を育てることが使命である。一軍で選手を育てながら勝利することは不可能である。また短所をなおすより、長所を伸ばす方が皆が成長する。
まことにもって人材育成とは、スポーツの世界もビジネスの世界も共通して困難な業務である。
 その夜監督と友人と三人で食事をしながら、その後お酒を酌み交わしながら、このブログに載せるには少々憚られる、裏話をいろいろと伺った。それらについては、個人的にお話いたします。乞うご期待!

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本能寺の謎

歴史において≪もし≫はないのであるが、許されるなら信長ファンの私としては、本能寺の変は歴史上から抹殺してほしい。
本能寺の変とは、1582年6月2日の未明に、明智光秀が織田信長の宿泊先である本能寺を急襲したクーデターである。その動機については様々ある。
一つは怨恨説。①丹波八上城攻略の際、城主に降伏すれば命は保障すると約束し、その証に自分の母親を人質として差し出すのであるが、降伏した波多野一族を信長は皆殺しにする。人質だった母親は、城兵によって惨殺されるのである。②家康の饗応役を信長に仰せつかった光秀が、料理で手違いが起こり面前で罵倒される。③戦勝祝賀会の席でふとした言葉尻を捉え、信長が家来衆の満座の中で光秀を足蹴にした。④光秀の領地を召し上げ、これから攻略する他国を分け与えると命令した。二つ目は野望説。①土岐源氏の流れを汲む名門復活を果たす。②戦国の世は誰もが抱いていた天下人への憧れ。三つ目は黒幕説。①家康。自分は信長にいずれは滅ばされると思い、秘かに光秀と通じ合っていた。②秀吉。信長のスケールの偉大さが理解できず、常に信長に怯えていた。四つ目は唆され説。①最も信頼の厚い部下である斎藤利三と四国の長曾我部に唆された。②古くから親交のあった将軍義昭に懇願された。
少し以前に明智光秀の末裔である「明智健三郎」氏が書いた≪本能寺の変431年目の真実≫という本を読んだ。それによると、怨恨説はあり得ない、と記している。後に天下人となった秀吉が≪惟任退治記≫の中で自分の正当性を示したものであり、真実ではないと記している。野望説も弱く、唆され説もあり得るが、可能性としては低い。
明智氏は、沢山の書簡や信長公記などの書物から、家康黒幕説が最も可能性が高いと説く。緻密で用意周到な光秀が易々と家康を打ち逃すはずはなく、今後の日本国の在り方についてもすでに大筋で合意されていた。
私見は秀吉談合説である。でなければあれほど手際よく備中から引き返すことは不可能であり、多分光秀が会長で秀吉が社長という裏合意がなされていたと思う。ただ光秀の計算違いは官兵衛を甘く見ていたことである。
信長の亡骸は現在も謎のままである。信長が天寿を全うしていたら江戸時代はなく、一気に近代化が進み世界を日本が牛耳っていたかもしれない。ちょっと覗いてみたい気もする。

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驕れる人も久しからず

7月2日に東京都都議選が行われた。
結果は誰もが知るところであるが、小池知事が代表を務める『都民ファーストの会』の圧勝に終わった。予想を大きく上回る大勝利である。
追加公認も含め都民ファーストは55議席、選挙協力を含めると79議席を獲得した。
(ちょっと苦言。公明党は国政では自民党・都政では都民ファースト)
それに引き換え自民党は改選前には57議席だったが23議席まで落ち込み、公明党と同議席数となった。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず、唯春の夜のごとし。
たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

平家物語の冒頭の部分である。
古今東西、歴史上のすべてにおいて、国家を始め企業団体、あるいは個人においても滅びる原因は内にあり、その多くは驕りである。
安倍一強と持て囃され、ほしいままに権勢を誇った現内閣、その母体である自由民主党が音を立てて崩壊してゆく様が目に見えるようである。
今一度原点に立ち返り、謙虚な姿勢で、国民目線で政治を行ってほしい。
しかしながら、一度手中にした権力を捨てることが出来る人物は過去においてその実例を見ることはなかなか困難である。
はたしてどうなることやら?

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全米オープン総括

やっと睡眠不足から解放される。
この4日間毎朝5時前に起き、全米オープンに見入っていた。
今年の開催は、ウィスコンシン州のエリンヒルズゴルフコースで執り行われた。エリンヒルズは2007年に開設された比較的新しいゴルフ場である。しかしながら、世界最高峰のトーナメント《全米オープンゴルフ》に相応しいゴルフ場である。距離も7721ヤードと長く、コース設計も難しく、コース設定も全米オープンの会場としては申し分ないように感じられた。海外のメジャーをこれほど熱心に観戦したことはない。もちろん松山君の活躍があったからであるが、我々が想像していたゴルフとは全くかけ離れた異次元のゴルフを見ている感覚に襲われた。すべての選手において、圧倒的な飛距離にはただ驚嘆するのみだった。
180ヤードのショートホールを大体の選手は9番アイアンでショットする。
670ヤードのロングホールをツウオンする選手は珍しくなく、しかもアイアンで狙ってくる選手もいる。
全盛期のタイガーウッズをもってしても容易に付け入ることは出来ないであろう。世界ランク上位の選手が予選落ちする中で、かつてマキュロイが記録した全米オープン最小スコアに並ぶ16アンダーでアメリカのケプカ選手が優勝した。
ちなみに優勝賞金は1位が2億4000万、同率2位だった松山君は1億1700万。この結果松山選手は賞金ランキング2位、世界ランクも4位から2位に浮上した。
松山選手の専属トレーナーである飯田氏と一度ゴルフをラウンドしたことがある。チーム松山を支える重要な一員である。
是非メジャータイトル4つすべて勝ってほしいという期待が膨らんだ今回の全米オープンだった。

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第30回子供の絵画展

6月18日、日曜日父の日。
第30回子供の絵画展の表彰式を、キャッスルホテルで執り行った。後援団体も含め、関係各位には心から感謝する次第である。
30年前に遡ってみることにする。
先ず私はまだ30歳代で、所謂青年実業家(?)だった。
1987年の社会現象を調べてみると、行政改革の一環として国鉄が民営化され、JRグループが結成された。土光氏の功績は大であり、今現在行革という言葉は死語同然である。国民的スターである《石原裕次郎》が亡くなった年でもあり、安田生命が《ゴッホ》の『ひまわり』を53億円で落札し、世間を驚かせたものである。世はまさにバブル時代で、ファッションは《ボディコン》が流行り、スーツを身に纏いディスコ『ジュリアナ東京』で若い女性が踊りくねる姿が映し出された。
また携帯電話を持つ人々が増えだし、流行語としては《朝シャン》《花金》とう言葉が日常語として使われるようになった。
今年の表彰式も児童父兄併せて700人以上の人々が会場を埋め尽くした。
作品は25日までギャラリールネッサンススクエアに展示してあるが、今年ほど全体のレベルが高い作品が集まった年はない。従来の大賞12点のほかに、30周年記念大賞3点を選んだが、その他の作品も遜色はなかった。
私はまさか30年も続くとは想像もしていなかった。
『メセナ』という言葉が絶えて久しいが、当初から『メセナ』と云う感覚はなく、普段着のままで創め、気が付いたら30年が経過していた。
これからのことは予測できないが、自然に委ねようと思っている。

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身の回りは建築ラッシュ

志澤塾の回りは建築ラッシュである。
先ず向かいは事務所兼住宅が1か月くらい前に完成した。建物はヘーベルハウスである。
300mほど南には5階建ての賃貸マンションが建築中である。請負者は大東建託である。
それに隣接して高級住宅が最近棟上げされた。三井ホームである。
塾の隣は以前住宅設備メーカーのショールームだった。閉店して1年くらい経過していたが、ここに来て慌ただしく大規模な改築工事が始まった。外周壁だけ残して全面改修である。どうやら、タイホ―ホームの本社が移転するらしい。F設計事務所が設計管理を行い、施工はT工務店が請け負っている。
現役から退いたとはいえ、パナホームとか八幡の名前が見られないのは寂しい限りである。

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