年間行事

今年も正倉院展を観ることが出来た。奈良国立博物館で毎年執り行われており68回を数える。聖武天皇ゆかりの宝物が北倉、中倉、南倉から選ばれて展示される。
本年は64件が出陳され、そのうち初出陳は9件だった。
興味を引いた主なものを列挙してみると、
《鳥木石夾ケチ屏風》オナガドリが左右対称に描かれた板締め染の屏風
《漆胡瓶》ペルシャ風の水差し
《磁皿》二彩の大皿で、聖武天皇の生母の一周忌に使用されたものらしい
《唐草文鈴》飾り金具として使用されていた
《撥ル飛鳥形》染め象牙の鳥形かざり
毎年会場は人ごみでごった返しているが、観終わると爽やかな余韻が残る。
庭園でお抹茶を頂く。晩秋の少し冷気を帯びた風が通り抜けてゆく。
12月は顔見世に行く予定である。今年の顔見世は南座が改修中のため、歌舞練場で行われる。それが終われば新たな気持ちで新年を迎えることが出来る。
残された人生で後何年続けられるだろうか?

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拝啓 笠りつ子様

拝啓
笠りつ子様。今年一年間お疲れさまでした。すばらしい活躍に拍手を送ります。
私は、1948年生まれの68歳です。これまでのゴルフ人生における戦績はあまり大したことはありません。2001年に、現ジョイックスゴルフクラブ(上月カントリー)レギュラークラスで一回チャンピオンになり、2011年、2012年と同ゴルフ場で、シニアチャンピオンになりました。最高ハンディは2、今は7です。
しかしながらここ3年ほど私のゴルフは霧の中です。一番の迷いの元はドライバーの飛距離です。それが原因で得意だったアプローチ、パターも狂い始め、納得するゴルフができていません。今年シニアチャンピオン大会において二回戦で敗れてから、一念発起してスイング改造に取り組みました。ゴルフ人生二度目のパラダイムチェンジ(20年前に、モウノーマンが提唱するハンマー打法を採り入れた)です。
スイング改造を自分自身に宣言してから1週間もしない頃、多分マスターズゴルフだったと記憶していますが、貴女の映像をテレビ画面で拝見しました。その映像こそ今まさしく私が目指そうとしているスイングそのものでした。それから貴女のスイングをネット上で何回も見、イメージに焼き付けています。
1ラウンドのうちで3~4ショットはまさしく《笠りつ子ショット》が出るようになりました。でも15~20ショットは《香山廣紀ショット》で残りは《笠廣紀ショット》です。
もちろん貴女の様な高いトップとコマの様な振り切りは、いくら練習しても無理と自覚していますから望んではいません。以前のアニカソレンタムの2拍子スイングと酷似しています。足ふみ6回もショット毎に、同伴競技者に悟られないように実施しています。
完成目標は来年の3月です。そのときはせめて《笠りつ子スイング》が40ショットくらいはできるようになりたいと思っています。
ある人を介して貴女とのラウンドについてお聞きしたら、とても私の及ぶところではないので、毎日1回は貴女のスイング映像を見て挑戦いたします。
来年は是非『賞金女王』になって下さい。関西圏で試合があるときは応援に参ります。
今年いっぱいはゆっくり熊本でリフレッシュして、疲れを癒して下さい。
                                      敬具
                                香山 廣紀

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やはり官兵衛は甘えたちゃんだった

パナホーム台湾という会社がある。その経営責任者として濱野氏が着任して、もう2年になると思う。
彼との付き合いは長く、彼が大学を卒業して半年が経過したころ、当時の八幡ナショナルにメーカーから出向してきた。それがきっかけでかれこれ35年の付き合いである。その間メーカーの営業担当を皮切りに、協業販社の社長を歴任したのち、現在はパナホーム台湾の経営に携わっている。私の評価としては、彼が残した実績は申し分のないものであったと認識している。今の境遇が決して悪いとは言わないが、もう少し経営の中枢にいてもおかしくない人物であると私は思っている。評価というものは難しいものである。
「私が台湾に着任中に来てください」というお誘いをいただき今回の運びとなった。家内も濱野氏とは知り合いなので、何十年ぶりかで夫婦での海外旅行となった。仲の良くない夫婦ではないが、一緒に出掛けるには越えなければならない関門があった。
それは愛犬「官兵衛」の存在だった。どちらかが彼の世話をしなければ、二人揃って留守にすることが出来ないからである。体調を崩している今、普通のペットホテルでは対応が難しいので、かかっている病院に相談したところ、預かって頂けることになり、安心して行くことにしたのである。
台湾に着いたその日の午後から次の日、丸一日濱野氏は私たちをもてなしてくれた。特に二日目は市内観光から九份まで足を延ばしたのだが、途中十份に立ち寄り《家内安全》《世界平和》とと願いを込めて書き記した。空高く『天燈』が舞い上がる様を見上げたのは思い出として残っている。九份は人混みの中を歩いた。千と千尋以来人気が沸騰し、全国各地から訪れるようになったとのことである。夜は小籠包を腹がはち切れるくらい食べ、夜店を案内していただいた。その夜スーパームーンを台湾で眺めた。
案内人として一緒に同行していただいた「王文美」女史は、大変頭の良い女子で気遣いも行き届いており、我々は心地よく過ごすことが出来た。
二泊三日の小旅行だったが、記憶に残る旅だった。ありがとうの言葉しか見つからない。帰国して次の日家内が「官兵衛」を迎えに行くと、拗ねてなかなか家内の指示に従わなかった。いくつになっても甘えん坊の愛犬官兵衛である。

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F1記者 増田和郎

11月8日の講座は「神戸新聞姫路支社長増田和郎氏」にお願いをした。
神戸新聞社とは、やはり地元の新聞社と言うこともあり、少なからず色々なご縁がある。
ギャラリーを創設した頃、当時神戸新聞秘書室長であった「浜渕氏」から依頼があり、ラジオ関西のインタビュー形式による、《地域経済人100人》という30分番組に出演した。それを機会に『はりま自立の家』にチャリティー展覧会の収益金を20年以上に亘り寄付をさせて頂いた。論説委員で後に姫路支社長をされた中元氏とは、ギャラリーの催し物であったインドの貧しい地方に伝承絵画として伝わっている「ミティラー展」を通じてお付き合いが始まり、今は志澤塾の講師の一人としてお世話になっている。子供の絵画展は、発足当時から後援を頂いており、志澤塾に関しても紙上で大きく取り上げて頂いた。また神戸新聞折込センター社の姫路工場や事務所のお仕事も頂戴している。
人の話は聴いてみないと分からないものである。
この6月に子供の絵画展の表彰式の席上で、増田氏に志澤塾での講義をお願いしたところ、快くお引き受けしていただき、今回の運びとなった。
私はてっきり長年の取材現場を通じて様々な事件やその裏話が聞けると思い込んでいた。が、彼は日本一のF1記者であった。1991年から8年の長きに亘り、F1現場を実際に訪れ、眼で見、音を感じ、肌でF1を取材し、記事を書き続けられたそうである。日本人ドライバーが表彰台に上った感動は今も忘れられない。アイルトンセナの事故死の現場にも立会い、ショックは今も脳裏に残っているとの事。当時は16戦F1レースが執り行われていたそうであるが(現在は21戦)その全てを取材し、正に世界を飛び回る活躍である。その距離は1年間に地球5周に相当する道程である。
また例の空白の一日、とされた江川問題もスポーツ記者として張り付かれたそうで、今もその真相は闇の中だと仰った。
プロジェクターを駆使し、本当に楽しいあっという間の2時間だった。
特に私はポルトガルに魅せられて、来年訪れたくなっている。

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記念日?

11月9日は忘れられない日になった。
人生には三つの坂があり、《上り坂》《下り坂》そしてもう一つは《マサカ》であると言ったのは小泉純一郎である。
彼は戦前の予想では不利が伝えられていたが、蓋を開けてみると圧倒的な支持を得、見事自民党総裁選に勝利を収め第87代内閣総理大臣に就任した。
11月9日、私はゴルフを楽しんでいた。ハーフを終了し談話室のテレビのスイッチを入れ、アメリカ大統領選挙の途中経過が映し出されている様子を見て、思わず目を疑った。
誰が予想したであろうか?
選挙結果は世界を駆け巡り、誰もが驚愕した。
トランプ氏自身も、アンビリーバブルだったかもしれない。
日本の日経平均株価は二日で2000円近く乱高下した。一方アメリカは史上最高値を更新している。
兎に角第45代アメリカ合衆国の大統領にトランプ氏が選ばれたのは紛れもない現実である。どうなるか誰にも分からない。
歴史に残る大統領になることは確かなようである。出来得れば輝かしい実績を残して欲しい。
11月9日は、トランプ記念日である。

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歴史シリーズ~クレオパトラの巻~

世界の三大美女とは、「クレオパトラ」「楊貴妃」「小野小町」と言われているが、この認識は日本においてのみで、世界の一般的な認識は「小野小町」ではなく「ヘレカ」である。ただヘレカは、ギリシャ神話に登場する女神で、実在の人物ではない。
クレオパトラは、エジプトのプトレマイオス王朝の王女として生まれ、父であるプトレマイオス12世の遺言により、18歳で女王となり弟と共同で統治し、エジプト王国を治めていた。当初3年くらいは順調に推移したが、姉弟での諍いが表面化し、その立場を脅かされるようになる。時同じくして、ローマの英雄ユリウスカエサルがエジプトの首都アレキサンドリアに入城していた。クレオパトラはこのままでは弟に女王としての地位を奪われ兼ねないと思い、カエサルに同盟関係を結ぶことを条件に援助を依頼するのである。
カエサルのもとにクレオパトラからペルシャ絨毯が贈り物として届けられた。巻かれてあった絨毯を床の上に転がせて見ると、中から一糸纏わぬクレオパトラが現れたのである。
カエサルは弟を呼び寄せ、姉弟で今一度力を合わせるようにと仲裁を図るが、弟は聞き入れるどころかカエサルに刃向かい軍を差し向けたのである。全てにおいて天才であるカエサルは、五分の一程の軍勢ながら勝利し、エジプト王朝をクレオパトラに委ねた。
カエサルは、ナイルの川下りやエジプト王朝文化を楽しみながら、ひと時のバカンスをクレオパトラと過ごしたのである。カエサルは、女を愛しても溺れないタイプの人物である。やがてローマに帰っていった。その時クレオパトラはカエサルの子供を宿していた。生まれてきたカエサルの子を連れローマを訪れ、カエサルの庇護のもと暮らしていたが、紀元前44年3月15日カエサルがブルータス他14名の刺客によって暗殺されるや逃げるようにエジプトに帰国する。
カエサルの死後、クレオパトラはカエサルの部下であったアントニウスを様々な策略を以って取り入り、エジプトは勿論何れはローマをも我が物にする野望を抱く。しかしながらアントニウスは優秀な武将ではあったがトップの器ではなかった。カエサルの遺言により後を継いだオクタビアヌスにアクティウムの海戦で破れ、毒蛇に乳房を噛ませて自死するのである。39年の生涯である。
クレオパトラは聡明な美女だった。カエサルがもし暗殺されていなかったら、きっと幸せな人生を送っていたと思う。

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今年のプロ野球総括

今年の日本シリーズは、広島が2連勝で始まり優位に思えたが、終わってみると日本ハムが4勝2敗で日本一に輝いた。今年の日本シリーズほどテレビ観戦をしたシリーズはない。秘かに広島に勝たせたかったのが、その主な理由である。
結局は、走・攻・守全ての面において、僅かずつではあるが日本ハムのほうが上回っていた。勝負事は、相手が多少強くても何かの面で上回っていれば、付入る隙があるのだが、全ての面でランクが一枚上の相手には勝てない。例えばゴルフにおいてもそうである。ドライバー・アイアン・アプローチ・パット、どれも少しではあるが、自分より優れている相手には勝てない。
それにしても二チームとも素晴らしいチームだった。リーグ優勝も充分背ける結果だった。両方の監督も采配ミスは殆どなかった。ただ栗山監督方が短期決戦の戦い方を若干分かっていたような気がする。
セリーグにおいては、巨人も阪神も中日もだらしないの一言に尽きる。巨人と中日は、フロントも含めた球団の組織崩壊が主たる敗因である。組織の腐敗は外部よりも内部状況が左右する、典型的な結果である。阪神は何がしたいのか全く意図が分からないままに終わった一年である。金本は本当に野球が分かっているのかと、疑いたくなるようなシーンが多く見受けられた。人間とは何か?について根本から勉強して欲しい。それが急務である。このままでは来期も同じ結果であると断言する。ドラフトにも疑問が残った。DeNAの活躍は目を見張るものがあった。来年は大いに期待できる。
パリーグはなんと言ってもオリックスであり、一言の弁解の余地はない。一から出直して欲しい。ソフトバンクはどこかに油断があったとしか思えない。まだ敗戦を受け入れられないのではないかと思う。その戦いぶりがCSシリーズに現れていたように思う。
一プロ野球ファンとして毎年思うことだが、何故秋季キャンプを行うのか、全く理解できない。一年間を戦ってきたのであるから、身体を充分休めリフレッシュするべきである。そして一人ひとりがプロなのであるから、自分自身で課題を見つけ、そのためのトレーニングを積み、来るべき2月から始まるキャンプに合流すればいいのである。集団でしか出来ないところに弱さがある。
どこか私の私見を受け入れないかな?そうすれば自立したチームが出来上がると思うのは素人の考えかな?

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香山の今年のゴルフ総括

早々と総括することになった。
加古川ゴルフ倶楽部で五月に行われた、ミッドシニアの予選会は敢え無く落ち、九月に出場した、デイリースポーツ主催の年齢別大会は、予選は通過したが決勝では無残な結果に終わった。
十月。今も執り行われているが、所属するJOYXゴルフ倶楽部選手権は、予選は最下位で通過し、一回戦は辛勝したが準決勝で良い所なく敗退した。
今年の目標にしていたゴルフの試合は全て終焉した。
原因は、あれほど得意だったドライバーの不安定さにある。飛ばないは、曲がるは・・・
準決勝が終わり帰宅してみると、丁度男子のジャパンオープンの決勝ラウンドが中継されていた。ご存知の通り松山君が他を寄せ付けることなく勝利した。素晴らしいの一言に尽きるが、私に参考になるものは何一つない。当たり前だが、レベルが違いすぎる。
チャンネルを回していると、富士通レディースのゴルフが録画ではあるが放映されていたので、笑点まで時間もあるので見ることにした。松森選手が涙の初優勝をしたのであるが、ふと目を凝らすと『笠りつ子』選手のスイングが気になりだした。今正に私が取り組もうとしているスイングそのものである。
彼女のドライバー平均飛距離、247ヤード。全てのショットが曲がらない。
半信半疑だった自分のゴルフスイングに自信らしきものが芽生えてきた。
このシーズンオフには完成させ、来年三月には結果を出したいと目論んでいる。
私のゴルフ人生における二度目のパラダイムチェンジである。
燦々と輝く光が、今度こそ見えてきた。久しぶりのワクワク感である。

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マル秘・チキンラーメン

記憶は定かではないが、多分中学生の頃だと思う。だから50年以上も昔のことである、初めてチキンラーメンを食したのは。こんな簡単に、こんな美味しいものが手軽に食べられる驚きに、少なからずカルチャーショックをおぼえた。今でも時々無性に食べたくなる。当時と違うのは、生卵と多い目に葱を刻むことくらいである。
チキンラーメンを開発した、正しく伝説の人物《安藤百福氏》のもとで一緒に日清食品グループを創り上げた「砥上隼人氏」を志澤塾にお迎えしてお話しをして頂いた。
日清食品の創業者である百福氏は、96歳で亡くなられるまで現場の最前線で活躍され、様々な教えを我々に残されている。クリエイティブであれ・ユニークであれ・ハッピーであれ・グローバルであれは日清食品グループの根幹的思考である。
現在は《安藤宏基氏》が二代目を継承しておられるが、実は氏は次男であり、宏基氏の前に数年間は長男が社長をされていた時期があった。が、その資質を見抜いた百福氏は、長男を排斥し宏基氏に日清食品の未来を託したのである。組織は外部環境よりもむしろ多くの場合内部環境の腐敗によって崩壊するものである。日清食品も例外ではなく、その期間はピンチだった。砥上氏は、安藤家と従業員の間に挟まれ様々に苦労されたそうである。
ここで安藤百福氏の語録をいくつか紹介する。
①起業はまだしも簡単だが、健康体で継続させる二代目、三代目は難しい。
②経営者は、逃避と責任転嫁は絶対してはならない。
③評価は公平かつ公正にすること
④経営者は時々自分自身を丸裸にして己を知ることが大切である。
⑤挑戦する社風を絶やさない事。
最後に砥上氏は、コア事業を活性化しつつ、ニッチャー市場も常に調査研究し、商品やサービスが陳腐化しないように心がけるべきである。原理原則を順守し、当たり前のことを確実に継続して欲しい、と結ばれた。
学者やコンサルタントの言葉ではなく、実際の企業経営の中で起きた事柄を生身の言葉で我々に分かりやすく話していただいた。
澄み渡った秋の空のように清々しい気持ちになったのは私だけであろうか?

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ごちそうさま

朝食は、365日、食パン一切れ、牛乳しかも低脂肪ワンカップ、リンゴ三切れ、ヨーグルト一個、そして最近目玉焼きが加わった(その理由、家内が留守の時私が自分で目玉焼きを作って食したと話してから)。
夕食、殆ど自宅で摂る。外食をするときは必ずその旨を家内に伝えなければならない。時々は家内と町内の寿司屋に行くこともある。
昼食、殆ど外食。年に何回かは自宅ですることもあるが、その割合は、一年のうち数回である。
私は一人で食事をするのが苦手である。パナホーム時代は秘書と二人で昼食を摂った。社長を辞してからは一人でしなければならない機会が多くなった。
一人で昼食が出来るところを列挙してみると、長浜ラーメン、かなふく、孝ふく、それに飾磨食堂くらいである。
その飾磨食堂での出来事である。
飾磨食堂は、我々が学生時代を彷彿させる昔懐かしいスタイルである。車を停めて中に入ると、いらっしゃい、と威勢の良い声がかかる。お盆の上に箸を置き、順に並べてあるおかずを取っていく。記憶のままに記してみると、卵焼き(いろいろトッピング出来る)、コロッケ、魚のフライ、ビフカツ、麻婆豆腐、肉じゃが、焼き魚、大根おろし、冷奴、サラダ、お漬物等々、最後に味噌汁、トン汁、ご飯。
本日は、コロッケ、肉じゃが、大根おろし、お味噌汁に小ご飯。〆て658円なり。
自分でお茶を汲み、向かい合った長テーブルに腰を下ろし食事を頂く。
そろそろ終わりかけた頃、ふと正面に目をやると、30歳前後の青年が食事を終え、胸の前で両手を合わせ、小声で《ごちそうさまでした》と呟いた。
私は、忘れかけていた心を引き出された思いになった。
なんと善い言葉であろう、なんと清々しい言葉であろう、なんと心が洗われる言葉であろう。私も思わず《ごちそうさま》と手を合わせた。
食事を済ませ外に出てみると、赤や黄色や青のシデに大通りから路地裏まで埋め尽くされている。播磨地方はすっかり祭り色である。
空は、知らぬ間に秋の雲に変わっている。自然は何もかもを飲み込みながら移っていく。

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