全米オープン総括

やっと睡眠不足から解放される。
この4日間毎朝5時前に起き、全米オープンに見入っていた。
今年の開催は、ウィスコンシン州のエリンヒルズゴルフコースで執り行われた。エリンヒルズは2007年に開設された比較的新しいゴルフ場である。しかしながら、世界最高峰のトーナメント《全米オープンゴルフ》に相応しいゴルフ場である。距離も7721ヤードと長く、コース設計も難しく、コース設定も全米オープンの会場としては申し分ないように感じられた。海外のメジャーをこれほど熱心に観戦したことはない。もちろん松山君の活躍があったからであるが、我々が想像していたゴルフとは全くかけ離れた異次元のゴルフを見ている感覚に襲われた。すべての選手において、圧倒的な飛距離にはただ驚嘆するのみだった。
180ヤードのショートホールを大体の選手は9番アイアンでショットする。
670ヤードのロングホールをツウオンする選手は珍しくなく、しかもアイアンで狙ってくる選手もいる。
全盛期のタイガーウッズをもってしても容易に付け入ることは出来ないであろう。世界ランク上位の選手が予選落ちする中で、かつてマキュロイが記録した全米オープン最小スコアに並ぶ16アンダーでアメリカのケプカ選手が優勝した。
ちなみに優勝賞金は1位が2億4000万、同率2位だった松山君は1億1700万。この結果松山選手は賞金ランキング2位、世界ランクも4位から2位に浮上した。
松山選手の専属トレーナーである飯田氏と一度ゴルフをラウンドしたことがある。チーム松山を支える重要な一員である。
是非メジャータイトル4つすべて勝ってほしいという期待が膨らんだ今回の全米オープンだった。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

第30回子供の絵画展

6月18日、日曜日父の日。
第30回子供の絵画展の表彰式を、キャッスルホテルで執り行った。後援団体も含め、関係各位には心から感謝する次第である。
30年前に遡ってみることにする。
先ず私はまだ30歳代で、所謂青年実業家(?)だった。
1987年の社会現象を調べてみると、行政改革の一環として国鉄が民営化され、JRグループが結成された。土光氏の功績は大であり、今現在行革という言葉は死語同然である。国民的スターである《石原裕次郎》が亡くなった年でもあり、安田生命が《ゴッホ》の『ひまわり』を53億円で落札し、世間を驚かせたものである。世はまさにバブル時代で、ファッションは《ボディコン》が流行り、スーツを身に纏いディスコ『ジュリアナ東京』で若い女性が踊りくねる姿が映し出された。
また携帯電話を持つ人々が増えだし、流行語としては《朝シャン》《花金》とう言葉が日常語として使われるようになった。
今年の表彰式も児童父兄併せて700人以上の人々が会場を埋め尽くした。
作品は25日までギャラリールネッサンススクエアに展示してあるが、今年ほど全体のレベルが高い作品が集まった年はない。従来の大賞12点のほかに、30周年記念大賞3点を選んだが、その他の作品も遜色はなかった。
私はまさか30年も続くとは想像もしていなかった。
『メセナ』という言葉が絶えて久しいが、当初から『メセナ』と云う感覚はなく、普段着のままで創め、気が付いたら30年が経過していた。
これからのことは予測できないが、自然に委ねようと思っている。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

身の回りは建築ラッシュ

志澤塾の回りは建築ラッシュである。
先ず向かいは事務所兼住宅が1か月くらい前に完成した。建物はヘーベルハウスである。
300mほど南には5階建ての賃貸マンションが建築中である。請負者は大東建託である。
それに隣接して高級住宅が最近棟上げされた。三井ホームである。
塾の隣は以前住宅設備メーカーのショールームだった。閉店して1年くらい経過していたが、ここに来て慌ただしく大規模な改築工事が始まった。外周壁だけ残して全面改修である。どうやら、タイホ―ホームの本社が移転するらしい。F設計事務所が設計管理を行い、施工はT工務店が請け負っている。
現役から退いたとはいえ、パナホームとか八幡の名前が見られないのは寂しい限りである。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

俳句の楽しみパートⅢ ~夏の句を楽しむ~


木曜日の午後7時、MBSテレビが放映している《プレバト》という番組がある。お笑いも含めた芸能人が5~6人出演して、予め与えられた題目について俳句を詠み、それについて評価しランキングを競うバラエティ番組である。
最初の頃は、どうせ誰かに作ってもらった句を持ち込んでいるのだと思い、あまり関心がなかったが、回を重ねていくうちにだんだん興味深くなり、今では録画までして観ている。
選者であり講師でもある『夏井先生』の講評と添削が実に的を得ており、私にでも充分理解できる。梅沢氏とフジモン氏が上位にランクされているが、特にフジモン氏の俳句は着眼点がユニークで表現も分かり易く、共感する部分が数多くある。
今回も同人誌『汀』の編集長である土方氏を東京から招いて、志澤塾の人気講座の一つになりつつある、俳句講座を開催した。
時間の関係上、投句は前もって塾生にはして頂いており、選句から始めた。54の投句の中から、それぞれが良いと思う句を三句選び、選ばれた数の多い句から選者がその理由を述べ、土方講師が講評をしながら添削していく。夏井先生と遜色のない鮮やかさで、スピーディに進んでゆく。
ここで土方氏が選んだ特選句を紹介する。

雨蛙 地から跳び出す 地鎮祭
衣更え たなのうつわも すずしげに
叱られし 蚊帳に持ち込み 蛍かな
肘枕 間取りは田の字 夏座敷

次に良句を記す。
ふるさとの 沢に消え入る 初蛍
こどもの日 いつもと変わらず 現場かな
万緑の庭若葉見て 母思う
いざ川へ キラリ鮎おい 老いた父
葉から葉へ きらきら初夏を 受け渡す
ひと雨に 緑深まり 夏来る
病葉の 浮かぶ水口 山田かな
暗闇に 走る閃光 夏の空
夏座敷 庭の緑も いきいきと
水田に 山の緑の 濃くなりし
甲子園 子に託す夢 父の夢
童見ぬ 護岸改修 夏の川

前回は初春の句会だった。第一回目は秋に開催したので次回は冬の句会で再開したいと願っている。様々な決め事はあるが、最も大切なのは《楽しむ心》である。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

普通のラーメン屋のその後

1か月ほど前に無性に食べたくなって出掛けてみると、お昼の時間にも関わらず1台も車が停車していない。不思議に思い車を降りてドアの前に立つと、張り紙がしてある。
~スタッフ不足により只今閉店しております。5月29日頃から営業いたします~
3年くらい前に店主が体調を崩し、2週間余り閉めていた経緯があった。てっきり再発したのだと思い、気になりながらも致し方ないので、他の店で昼食を摂った。
それから何日か経って前を通ったが開いている様子はなかった。
それでもと思い再度訪ねてみるとカレンダーの裏表紙に、営業時間が掲示してあった。それによると、水曜日と日曜日は休業日とし、その他の曜日もお昼の時間帯のみという営業告知だった。と同時にスタッフ不足により、食べた食器はカウンターに戻し、テーブルは各自で清掃をお願いします、との事である。
その指定された日にちに行ってみると、道路に何台か停車待ちで車が並んでいる。
お店の中に入ってみると、店主と愛想の良い?娘の二人で切り盛りしている。普段は軽口を叩く店主も心なしか元気がない。
「奥さん、悪いのか?」と尋ねると「うん、そう」とだけ呟いた。
店は相変わらずお客で溢れている。
食べ終わった客は、誰もがカウンターの上に自分の食器を片付け、カウンターの上に置いてある布巾で自分のテーブルをきれいに拭いている。
客と店主との無言のコミュニケーションの中で、淡々と何事もなかったようにすべてが進んでゆく。一日も早く《三人の心意気》が見たいものである。
(2017年2月27日普通のラーメン屋ブログ参照)

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

久々のゴルフ観戦

私がパナホーム兵庫時代に或る女性プロゴルファーと10年余り専属契約を結んでいた時期があった。私は彼女のパットのセンスの良さを高く評価して、少なくともレギュラーツアーで5勝はするのではないかと期待したのであるが、残念ながら優勝の美酒に酔うことはなかった。
何が原因で勝てなかったと今思えば、技術的なものより生来の人の好さ、精神的な弱さだったような気がする。ゴルフで勝利するためには、最終的にはアプローチ&パットの精度の高さであると思っている。
友人二人を誘って、六甲国際Gで今行われている《サントリーレディース》を観戦した。初日であるにも関わらず、宮里藍選手の国内戦最後の勇姿を一目見ようと、最終日の様な盛り上がりで、俄かギャラリーも含めて大変な活況を呈していた。
私は生で是非とも見たい選手がいた。《笠りつ子》である。何故なら、彼女のゴルフスイングを目指しているからである。その経緯については昨年11月30日に記したブログ《拝啓笠りつ子様》を読んで頂きたい。
6ホールほど密着しながら観察した。
ノーコック・高いトップ・鋭い振り抜き・迷いのないスイング・足ふみ6回
いずれもレッスンビデオそのものだった。今年前半は多少スランプ状態であったが、見る限りにおいて全くその心配はないように感じた。今年も優勝は出来そうである。少々苦言を呈すると、ショット・パットともに周りの音やざわめきを気にし過ぎである。何度か仕切り直していた。
今回の観戦を通して私は二つカルチャーショックを受けた。
一つは10年前、専属契約選手だった彼女のプレーを見守る機会が何度かあった。その時代と比べ選手の人数も技術も格段に進歩していた。先ず圧倒的なドライバーの飛距離の凄さである。確実に250ヤード前後はキャリーしている。それもほとんどの選手が、である。しかもグリーンを外した時のアプローチパターの技術の高さには目を見張るものがあった。今一つは、すべてのショットにおいて、アドレスからトップへと進んでゆく段階で、トップの位置や高さは様々であるが、左腕が伸び切っているのに驚嘆した。
現在女子のトーナメントは飽和状態である。一つ下位のステップアップ競技においても数は年々増え続けており、開催日程の調整に苦慮しているとの事。
歴代の二人の理事長、樋口久子氏と小林浩子氏の骨折りはもちろんのことではあるが、選手特に『宮里藍』選手や『横峯さくら』選手の活躍によるところは大である。
今年限りで《藍ちゃん》は引退するが、女子ゴルフの隆盛は当分の間続きそうである。
ご苦労様藍ちゃん!あの小さな身体で世界で戦ってきたことに、心から敬意を表するものである。私はいい引き際のような気がする。新しい道をゆっくり模索してください。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

天皇家の謎

待ち合せの時間に少々早く着いたので、時間つぶしに雑誌でもと思い、近くのコンビニに立ち寄った。週末だったせいか目新しい雑誌が見当たらないので、書籍のコーナーに目をやると『天皇家99の謎』と云う本が目についた。手に取って目次をなぞって見ると読みやすそうだったので買い求めた。
随分前に『古事記』や『日本書紀』に挑戦したが、神様や天皇の名前がこんがらがって、相関関係が把握できず、結局読破に至らなかった経緯があった。
神武天皇から数えて現在の『今上天皇』で125代になるそうであるが、その間途絶えることなく脈々と続いているとされている。
私見であるが全くそのことは信用していない一人である。先ずその謎を解き明かしてくれるのかと期待しながら、一日で読み終わった。が、残念ながらモヤモヤしたままである。天皇家に代々伝わる《三種の神器》すなわち、草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は壇ノ浦で二位尼が安徳天皇を抱きかかえ、入水した際に一緒に海の中に沈み、かろうじて勾玉だけは源氏の武将が見つけ出したとされている。三種の神器は天皇が即位する儀式には欠くことの出来ない宝物である。
明治の時代になって大日本帝国憲法が制定に伴って、その条文で天皇は神格化され、太平洋戦争が終わるまで天皇は神であった。終戦に基づいて天皇は日本国民の象徴として現在に至っている。
今上天皇は退位を望まれている。天皇に任期はなく終身なのである。
この本によると天皇の公務は大変多く、その心労は想像を超えるものである。退位の意志を示しておられるのだから、そのご意志に沿ったらと、私などは軽く考えるが、実際は様々な手続きをふまえなくてはならないそうである。皇室典範を変更し、国会の承認が必要らしい。早くて来年の12月に退位が決まるそうである。
ついでに言うと、女性の天皇制も正式に条文に加えてほしい。過去には8人の女性天皇が実在したのだから。
お咎め覚悟で記すが、今までもこれからもあり得ない事だが、天皇家の墓、すなわち《陵》を公開すれば、天皇家の謎は一気に解決すると思うのは私だけだろうか?

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

三左衛門堀

三左衛門掘は、池田輝政が姫路の地に入府したとき、築城のために作った運河である。輝政が亡くなった(1613年)後、本多忠政が船場川などを整備し、それらの運河を利用し、今に至る姫路城を作り上げたとされている。

最近パンツのファスナーがきつくなり、家内にそのことを告げると「ウォーキングをさぼっている」と指摘され、思い直して歩き始めた。そのウォーキングコースの一つに三左衛門堀端がある。
春は桜、夏は蝉の声、秋は紅葉、冬は木枯らし。
四季折々が楽しめる好きなコースである。
先日久しぶりに三左衛門堀端を歩いた。
その光景に思わず目を覆いたくなった。川面がない。藻とも雑草とも区別がつかない物体で、川面は蔽われ、その上にペットボトルや空き缶が散乱している。水面がないのであるから、放たれていた鯉の姿など見ることは出来ない。
6月の3日に《川まつり》が執り行われるそうである。
どのような行事が組まれているのかは知る由もないが、『川そうじ』も行事の一つに採り入れたらいかがですか?と、言いたくなる。
三左衛門堀は、今現在《二級河川外堀川》というらしい。
~川が泣いています~

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

見よ!このアート作品を!

4月の椿野氏の講座の後半部分は、氏が持参してこられた土を使って、指導を受けながら思い思いの陶芸作品作りに挑戦した。土の中にエアーを噛むと窯で焼いたときに破裂してしまい、作品が壊れるので十分にこね回し、エアー抜きをして形を創っていった。
銘々皿、文鎮、自分の干支、花、ぐい飲み等々・・
20余りの作品が一応形になった。それを丁寧に和紙に一つ一つ包み、氏は彼の工房がある朝来市に持ち帰り、後日今給黎女史が焼きあがった作品を戴きに伺った。
お世辞にもアート作品とは云えないが、H君の作品である『花』は、多分バラであると思うが生き生きして瑞々しい作品に仕上がっていた。I君のトカゲも気持ち悪くて良い出来だった。T君のネズミファミリーもほのぼのとした作品だった。
陶芸の楽しさは自分が作ったものとして形が残り、即身近において観たり使用したり出来るところにある。
来月は俳句講座、7月は岡田元監督、8月は薬師寺訪問。
私自身もワクワクする講座が続く。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

みやこ忘れ

みやこ忘れと最初に出会ったのは大学の二年生だった。
多少不純な動機で、中央大学の華道部に籍を置いたところ、関東華道会連盟が主催する展示会があり、それに出品するよう依頼された時のことである。
中央大学の華道部は「草月流」の先生が指導していた。
当時草月流と云えば、斬新な流派で有名だった。例えばタイヤを用いて、それと花を巧みに組み合わせた作品や、竹の素材を生かし、まるで日本庭園のような作品を発表したり、ワクワクするような流派だった。
技術も知識も乏しかった私は、なかなか作品が思いつかず悩んでいた。草月流が抽象華道といっても基本的な形はある。そのことを充分理解できていない者がお花を生けるのは厚かましい話である。
締め切りも迫ってきたので、一年上の先輩に教えを請うことにした。
「香山さん、いまさら細かなことを言っても無理だから」と言って提案してくれたのが、二種生けで《真》《控》のみで、真に木瓜を、控にみやこ忘れを使用し、出品したのである。意外と好評で新人賞を戴いた。
自宅の玄関わきに毎年ゴールデンウィークの時期には、薄紫色のみやこ忘れを観るのであるが、今年はその姿を発見できないので家内が雑草と間違えて処理をしてしまったと思い、近くのショップでピンク・薄紫・白の三色のみやこ忘れを買い求めた。家内に植え替えるように言うと、まだ花を咲かせていないがこれらがみやこ忘れだと指摘された。
今薄紫色のみやこ忘れは、志澤塾の玄関わきでその可憐な姿を見ることが出来る。
そろそろみやこ忘れとお別れの時期である。
一年間待ち遠しい日々が続く…

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。