ありえない!

WBC準決勝について、これだけは言わずにいられない。
其の一、マエケンから能見へのスイッチであるが、1イニングのところ引っ張り過ぎ、結果2ランホームランを打たれた。理由、能見はWBCでは1イニングは素晴らしい投球をするが、必ず2イニング目には乱れて点を取られていた。
其ノ二、5回の裏に、坂本がノーアウトでヒットを打った場面であるが、糸井に送りバントをさせた。理由、糸井は最も信頼されるバッターであり、第一送りバントなどした経験はないだろうし、あの場面は一気に逆転を狙うべきであった。
其の三、問題の8回の裏。鳥谷三塁打。井端ヒットで1点、続く内川ヒット。内川が一~二塁間で挟殺された場面である。サインは、「行けたら行け」だったらしい。考えられない、ありえないサインである。理由、あの緊迫した状況でそんな曖昧な指揮はない。緊迫した状況ほど単純にわかり易く指示はすべきである。「走れ」とか「エンドラン」とか「打つな」とか「好球必打」とかである。指揮官としては最低である。あるまじき作戦である。戦ならたくさんの命を奪われていたであろう。敗れるべくして敗れた。
悔いの残る、後味の悪いWBCだった。

あと何日?

昨年の今頃、我が家の愛猫「クロちゃん」が病魔に侵されていることが判明した。
妻が、鼻の横がわずかであるが腫れているのを発見し、かかりつけの病院で精密検査を受けたところ「肉腫」であった。
担当の先生は、
「手術は勧めません。再発率の高い種類の肉腫ですし、顔の形も変わってしまい、あまりに可哀想ですから。余命は三ヶ月くらいだと思ってください。安楽死も考えておかれたほうがいいと思います。」
と宣告された。
私たち夫婦は愕然とした。先代の猫ちゃんも白血病で、七年の命だった。
暗い一週間が過ぎていった。
私はそれでもと思い、あのビルゲイツ氏の主治医である「齊藤真嗣」先生にメールで相談した。彼は快く応じてくれ、ハーバード大学の研究所から最高級のサプリメントを取り寄せてくれた。しかも無料で。
昨年末にもう一瓶だけお願いをしたが(それは先生の研究所に幾ばくかを寄付させていただいた。)四月の初旬にはそれも使い果たす予定である。
私たち夫婦は、際限がないからこれ以上はお願いしないことにしている。

あと何日、「クロちゃん」は私の髪を引っ張りながら起こしに来るのだろうか?
あと何日、「クロちゃん」は私のスリッパを奪いに来るのだろうか?
あと何日、「クロちゃん」と新聞を取りに行けるだろうか?

お茶室

茶室には以前からある種の憧れのような感情を抱いていた。その憧れが十年くらい前から手が届きそうになってきた。
茶室を建てるなら、せめてお茶の一服くらい点てられたほうが楽しいのではないか、と思い習い始めた。そして五年も習えばなんとかなると、高を括っていた。
その考えがとんでもない思いあがりであると、気が付くのには時間はかからなかった。
茶道は日本文化の真髄である。とても私が太刀打ちできる分野ではない。
それを認識しながらも、私は志澤塾に茶室を並列して建てた。
茶人には呆れ返られるような、モダンアートで世界にひとつしかない建物である。
「波裡庵」と命名した。
(お茶を楽しみましょう)という意味である。
お庭は苔と石と一本のしだれ梅。
それらを包括するような、金属彫刻が自然の風を受けてゆっくりと回っている。
悠久を感じるひと時である。

JAPAN

JAPANで思いつくままに列挙してみると、
ジャパン アズ ナンバーワン・メイドインジャパン・ジャパンマネー・ジャパンエアーライン・なでしこジャパンなどがある。
今が旬のジャパンは、侍JAPANである。
先日の台湾との戦いは久しぶりに絶叫した。
九回ツウアウトから鳥谷が盗塁をし、井端が同点打を放った場面である。
自室でベットの上に胡坐を掻いたまま、テレビに噛り付き奇声を上げていた。六十を過ぎたオヤジがである。試合が終了したのは、十二時少し前だった。普段なら夜中の夢である。
結局サンフランシスコへは行ける事になった。
どうやら私は、サッカーより野球のほうが好きらしい。
その夜はなかなか寝付かれなかった。

学生諸君

経営から退いたといっても私はグループ9社の議長をつとめている関係で、今も時々いろんな行事に借り出される。
3月5日にグループ合同の会社説明会を行った。
平成元年あたりから社員の採用についてそれまでの中途採用を廃止し、大学新卒者もしくは専門学校卒に基本的に切り替えたと記憶している。
当初はなかなか我々が希望する人材を、量・質共に確保することが出来なかった。
しかしここ15年くらいは、そんなに苦労することがなくなった。
企業としても名前を知られるようになったことも要因の一つだが、説明会のやり方を変えたのが大きな原動力になったと思う。
Ⅰ部では新卒者に出来るだけ年齢の近い、しかも優秀な社員に様々な見地から話をさせ、Ⅱ部では私が一時間あまり、発表した社員との掛け合いをしながら、基本的な方針や戦略について熱く語るのである。
リクルートによると、会社説明会に出席した学生が、次の段階に進むのを希望するのは大体60%くらいだそうだ。我々のグループでは、それが90%を切ったことがなく、今回も108名の学生が参加したが、辞退したのはわずか2名だった。
私は今回ゆとり教育について、苦言を呈しながら、いかに実社会にそぐわないかを話した。
学生諸君!
何のためにこの世に命を授かったのか、考えチャレンジして欲しい。と強く願う。

復活

先月末に新しく自転車を購入しました。
その自転車に乗ってパナホーム兵庫の駐輪場まで行き、そこに自転車を止めて、一昨年の二月から昨年の三月まで続けていたウォーキングを、また始めようと思ったからです。
一年間ウォーキングを続けた目的は、勿論健康のためですが、今ひとつは歩き遍路に備えるためでした。
約一年ぶりに復活したウォーキングはやはり清々しく、様々な発見があります。
香り満載の梅の花。心なしか以前より汚染が進んだ三左衛門堀川。飛び交う青鷺。水面を滑る鵜。悠然と泳ぐ鯉。
四季折々の中で、数々の出会いに期待しながら、のんびり続けていきます。

1262

今年も奈良東大寺の二月堂ではお水取りが始まった。
正式には「東大寺二月堂修二会」というのだが、平成25年で1262回を数える。
その間様々な障害を乗り越えて、一度も途切れることなく続いている。
私は幾度か訪れたことがある。大松明がお堂の欄干を駆け抜けると火の粉が舞い落ち、その度ごとに観客の歓声が挙がる。火の粉を体に受けると1年間無病息災に暮らせると言われている。
十一面観音菩薩をご本尊に抱いた本堂では、今年選ばれた11人の練行衆が五体投地を繰り返し、世界の平和と国家安泰を祈り、読経が繰り広げらる。
しかし残念な事に、私の存命中には地球上で争いはなくなりそうもない。

二月堂夜空を焦がす大松明 世界に届け平和の祈り(拙作)

 

春一番

今日から三月。外は春一番が吹き荒れ、雨風の強い三月一日だ。

今年は春一番が吹いたと言って喜んでおられない。例年の黄砂のほかにP・M2.5とかいう、やっかいな科学物質も一緒に運んで来る。

日本でも幼児達は出来るだけ外出を控え、外に出る際はマスクをすることを勧めているようだ。

テレビに北京の様子が時々映し出されるが、我々が経験した「光化学スモッグ警報」とは比較にならない汚染された状況である。

この国が近い将来、世界をリードしていくとは到底私は思えない。

私はどんな形にせよ選挙のない国家を信用することは出来ない。

隣国の指導者に、まず自国の国民のこと、次いで地球のこと、そして宇宙観を持って欲しいと願うのは、私だけだろうか?