オー・シャンゼリーゼ ~憧れのパリ~ 弐

二日目の午前中は、ベルサイユ宮殿を訪れるツアーを日本から予め申し込んでいた。待ち合わせの場所はラファイエットデパート前、AM7:50である。滞在ホテルからの道順と所要時間を確認する為、前日ホテルのフロントの女性に尋ね、昨夜食事前にリハーサルを行っていたので迷わず到着することが出来た。いくつかのグループに分かれていたが、全て日本人ガイドのため、自分の所属するグループはすぐに分かった。そのガイドにも「香山さん!二人ではないのですか?」と、問われた。どうやら私はウィーンに住む娘と旅をするプランになっているみたいである。
ベルサイユ宮殿は、1682年にルイ14世によってフランス王国の全ての中枢が移され、1789年バスティーユ牢獄の襲撃から端を発した市民によるフランス革命の勃発までの間、100年余り栄華を極めた。宮殿を取り囲むように創られた庭園は、果てしない無限を指し示すような感動を我々に与える。ガイドの案内がイヤホンから心地よく伝わってくる。数々の巨大な壁画やフレスコ画に加え、精密で気品溢れる彫像が迎えてくれる。圧巻は鏡の間である。デジカメのスイッチを押す。ガイドに自身の写真を撮ってもらう。
見学時刻が早かったため、それほどの混雑もなく比較的ゆっくり見ることが出来た。見終えたのはAM11:00過ぎであった。その頃になると入場門の前に広がる巨大広場は、人でごった返していた。12時前に朝の集合場所に到着した。徒歩でホテルにいったん帰り、ホテルのレストランで昼食を取る。朝食も同じレストランでバイキングスタイルだった。イタリアの朝食バイキングとは比較にならないほど、種類も品揃いも多く、特に白いご飯はありがたかった。メニューを見ても分からないので、日本人カップルが食べていたエスカルゴをオーダーした。少々食べにくかったが、まあまあ美味しくいただいた。午後は2時にガイドがホテルまで迎えに来ることになっている。いったん自室に戻りシャワーを浴び仮眠を取った。
ロビーで待っていると、私と同年輩くらいの女性(もっと若かったらごめんなさい)、名前は吉田さんと言う、が私に「香山さんですか?」と話しかけてきた。「はいそうです!」と答えると「お一人ですか?AZUSAさんは?」とこちらへ来てから会う人全てに同じ質問をされる。「一人です。」と言い毎回そう言われることを伝えて、日本の旅行社に昨夜連絡したが、現地の旅行社にも一度調べて欲しいと、お願いをした。
これからシャルトル大聖堂へ行くのだそうだ。パリ市内からは80キロ程離れている。チャーターしたベンツのハイヤーは快適な乗り心地で、ハイウェイを進んでいく。パリから15分も走るとすぐに郊外で、なだらかな緑の山々が連なっている。ガイドの話も大変興味深く、私の乏しい知識でいろいろ振ってみたが、即座に間違っていない答えが返ってくる。シャルトル大聖堂は、フランス国内における最も美しいゴシック建築の一つで、世界遺産にも登録されており、とりわけステンドグラスの輝きは厳かで、他に類を見ない審美である。ドームの高さもノートルダム大聖堂よりも高く、窓々に散りばめられたステンドグラスを通して差し込む光は、昼間でも幻想的である。
ホテルに帰る途中にガイドの吉田女史に、今夜の食事の相談をすると、予約をしてくれて、その店の場所も詳しく教えてもらった。7時過ぎにそのお店に行き、名前を言うとボーイに案内され席に着いた。飲み物を聞かれたので水と答えると、次にメニューをかざしてオーダーを聞かれた。どうやら前菜は何にするか?スープは?サラダは?メインは魚か肉か?などと尋ねているようだ。私は、適当にメニューに書いてある文字を指でなぞって「This one、This one」と答えていった。前菜はどんな食べ物なのかよく分からなかったが、スープはトマトスープで、サラダは野菜サラダで思ったより量は少なかった。メインは魚で鱸のから揚げだった。デザートはアイスクリームを食べた。〆て42ユーロ。こうして二日目の夜は過ぎていった。

オー・シャンゼリーゼ ~憧れのパリ~ 壱

 時は2014年8月4日AM6時自宅発。新幹線→はるかを乗り継ぎ、関西国際空港へ到着。エールフランスのチェックインカウンターを係員に尋ねながら手続きを済ます。ユーロと交換する。2年前イタリアを訪れた時とは随分為替相場に開きがあり、1ユーロ98円だったと記憶しているが、現在は136~138円位で30%程目減りした観がある。出発時刻(11時30分)までの時間をラウンジで、持参した小説を読みながら過ごした。
 搭乗案内のアナウンスがあり機内に入る。座席ナンバーを確認し、準備してあるブランケットや洗面用具、イヤホン等をチェックし終えてから着座し、予め客室乗務員に依頼していた雑誌を読み始めた。私の席は窓側で、ふと通路側の隣席に目をやると、黒のロングドレスを身にまとい、それに合わせた帽子を被った若い女性が席に着いている。これからパリまでの約12時間、一緒に同じ空間を過ごすのかと思うと、胸の高鳴りを覚えた。(本当に男と言う生き物は幾つになっても困ったものである)ちらりちらりと観察してみるとそのドレスは、膝下から20センチくらいと、お腹の辺りがメッシュになっており、センスの良さと健全な色気に私はしばし見とれていた。(と思う)
 ウェルカムドリンクを客室乗務員が運んできた。私はアップルジュースを頼んだ。彼女は白ワインを飲んでいる。AF291便は、予定を少々遅れて、パリド・ゴール空港に向けて離陸した。水平飛行になり、シートベルトの着用サインが消えた頃、ドキドキしながら隣の女性に頼りない英語で尋ねてみた。
「アーユウモデル?」
「ノー!スチューデント」から始まり、日本には観光で二週間ほど滞在し、フランスに帰るのだが、パリではなくどこかの都市(抜群のヒアリング力?を持ってしても聞き取れなかった)に住んでいるとの事だった。モデルのように美しいというと、『サンキュー』と笑顔が返ってきた。
 齋藤先生の忠告(人間には体内時計があり、時差ぼけをしないコツは機内食を摂らないこと)を無視して、昼食と夕食を運ばれるままに食べてしまった。隣席の美人スチューデントはデザートにフルーツを頼んでいたみたいで、私にマスカットやメロンをお裾分けしてくれた。「メルシー」と言うとニコッと微笑んだ。映画を見たり持参していた小説を読んだり、時々は眠ったりしながら、パリ時刻、8月4日午後五時頃ドゴール空港に着陸した。彼女は国内線に乗り換えるため、別の搭乗口に向かって行った。手荷物を受け取ってから、迎えに来ているだろうドライバーを探したが、なかなか見つけることが出来ず少々焦った。やっと[HIROKI KOYAMA]と書いてあるプラカードを探し当てたが、少し様子が変である。プラカードは二段書きになっており、私の名前の下に[AZUSA KOYAMA]という娘の名前も記されている。ドライバーが私を探し当てることが出来なかったはずである。二人連れだと思っているから、一人の私が分からない。私が[KOYAMA]だと言ってもなかなか信じてもらえず、パスポートを見せると、やっと納得してもらい迎えの車に乗ることが出来た。
 小一時間でホテルルーブルに着いた。チェックインをするためカウンターに行くと、何かしきりに尋ねてくる。よく聴いてみると、どうやら「二人ではないのか?AZUSAは一緒ではないのか?」と言っているみたいである。ノー、一人だと言うと、ようやく手続きをしてくれ、部屋に落ち着くことが出来た。シャワーを浴び、軽く睡眠をとる。時刻は午後8時前だが、辺りはまだ薄明るい。空腹を覚えたので、向かいの中華料理店に入り、焼きソバと餃子を注文する。運ばれてきた焼きソバを口にして、思わず吐き出しそうになった。これなら焼きソバUFOの方がはるかに美味しい。餃子に箸をつけてみる。まだ食べられた。
 不安を抱きながら、パリの一日目の夜がふけてゆく。齋藤先生の教えを無視した付けが、この後三日間も続き、時差ボケで悩まされることになる。

どうなる?私のゴルフ

2001年に私は所属する上月カントリー、現在のJOYXゴルフ倶楽部のクラブチャンピオンに輝いた。21世紀は私の時代だとも豪語した。その後もチャンピオンになるチャンスは何回か訪れたが、取ることが出来なかった。4年前からジュニアからシニアに転向した。その年と次の年とシニアチャンピオンを二連覇した。昨年3連覇を試みたが、あえなく準決勝で敗退した。
実は此処だけの話だが、2年前から極度のスランプに陥っている。その最大の原因は、ドライバーショットの飛距離の低下である。10年前から比べると20~30ヤード飛距離が落ちている。そこから端を発し得意のアプローチ&パターまで狂ってきたのである。100ヤード以内の職人?とまで恐れられていたにも関わらず、である。
先日北海道旅行にいき、2日間ゴルフをした。結果は直近のワーストスコアである。3ヶ月ほど前に古市プロとラウンドをする機会に恵まれ、その年齢を全く感じさせない飛距離とゴルフ姿勢に感動を覚え、軸の重要性に気が付き、これまでの2軸打法から1軸打法に取り組んだ。しかしながら頭で分かっている身体が反応をしなくてもがいていた。
北海道から帰ってきた夜、ベッドに入ってもなかなか寝付かれずゴルフスイングのことが頭から離れない。19日には以前に申し込んでいる《年齢別ゴルフ選手権》の予選会がある。無様なゴルフは出来ない。
その時閃いたのである!今までは、腰を回そうとしていたのである、回すのでなく右腰を後ろに引くのだ、と。早速次の日練習で試してみた。飛距離は変わらないが、曲がらなくなった。不安を抱えたまま予選会に臨んだ。結果はギリギリの通過である。10月にはシニアチャンピオンが待っている。返り咲きは勿論今後の私のゴルフ人生に一筋の光を感じた。

今やスマホの時代?

8月の末にスマホに変えた。大げさに言えば今年の目標の一つでもあった。本当は自分の誕生日記念にスマホにするつもりだったが、事務員のI女史に
「パリから帰国してからにしてください。向こうで困られますよ」
と言う優しい忠告に従って、先月30日に地元のAUショップに飛び込んだ。このブログに時々登場する友人のO氏と同じ機種にした。かれは3ヶ月ほど前から使用していたのを、側から見ていて使い易そうだったのが決め手になった。シニア(年寄り)向けに文字も大きく、画面自体もワイドで明るい。
全国的にはスマホの使用率は40%にもまだ満たないそうで、60%以上がいわゆる《ガラケー(なぜガラケーと呼ばれているのかは知らない)》だそうである。
最初3日間程AUショップに通った。大体の使い方しか説明を受けていなかったので、いざ使うとなるとどのようにすればいいのか全く見当がつかず、店員の女性にいろいろと教えてもらった。私は『取り扱い説明書』が太の苦手なのである。おかげで、電話・メール・インターネット&ラインしかもラインを使用して電話も出来るようになった。しかし、操作する指のタッチの感覚を全く掴んでおらず、文字を打つときに、私の意志とは懸け離れたとんでもない文字が現れ、何回も打ち直しをしなければならない現実である。この間、悪友に誘われて久しぶりにクラブに行った時隣に座った若い女性が、私のスマホを目にも留まらぬ早業で扱う様を見て、つくづく年齢を感じ愕然とした。
今やスマホの時代である。が、特にしなくても良い時代でもある。

市原先生

9月9日の志澤塾での講師は『市原氏』である。彼とは昨年トルコ旅行のツアーで知り合った。私のトルコ旅行記の中で「爽やかな新婚チーム」として登場する人物である。昨年波裡庵で11月に執り行った《炉開き》に、「高校生と保護者チーム」と一緒に出席して頂いた。ツアーで知り合い、親交が深まりお付き合いが始まるのは稀なことらしい。それを機に志澤塾の講師の一員に加わっていただき、今回の運びとなった。彼は公認会計士で、大学卒業後メガ監査法人に勤めていたが、現在は知り合いに乞われて一緒に大阪で会計事務所を開いておられる。
今回の講義テーマは『事業承継対策と税務』で、時間一杯(PM1:30~3:30)分かりやすく語って頂いた。事業経営にとって後継者問題が大きな要素であるが、いかにして事業を継続していくかが最大の課題である。そのためには、先代経営者の勇退後の生きがいを考えてあげるべきで、同時に相続税対策をしっかり準備しておかねばならない。先ず自社の株式評価額や、不動産を含むすべての財産を把握し、持ち株会社の設立・金庫株・納税猶予の特例・精算課税制度・暦年贈与や有利な保険等を、個々にとって何が最も適しているか熟慮し活用すべきであると、提案していただいた。私自身も知らないことが数多くあり、今一度相続税対策を考えていこうと改めて思った。
市原氏は年齢も若く(33歳)、塾生も気軽に相談しやすいのでは、という印象を持った。氏とは親子ほど歳は離れているが、長く付き合って行きたい、好青年である。私はこの夏パリを訪れたが、《爽やか新婚チーム》はヨーロッパ3国(ベルギー・オーストリア・フランス)を駆け足で旅されたとの事。いつまでも仲良くお幸せに、と祈るばかりである。