チャリティー展に寄せて

私は30歳のとき、世界の中で飢餓により命を失う子供がいるという現実を知った。そのことに大変衝撃を覚えた。なんとかならないのか?なんとかしなければ、と言う思いがその時からずーと私の心の中で燻り続けていた。慌しく過ごした30代40代を終え50代を迎える頃に、《WFP(世界食糧計画機構)》と巡り会った。それを機に私の口座から幾ばくかの寄付金を毎月協会に納めさせて頂いている。
年末恒例のチャリティー展もそれまでの社会福祉法人から、WFPに寄付金先を変更した。何人の子供が救えるか分からないが、『今私に出来ることをする』哲学である。
来年は金銭面だけでなく、行動面においても世界へ旅立とうと、強く思っている。

今年は12月6日(土)から12月16日(火)の予定で「第27回チャリティーのためのミニアチュール展」を開催いたします。

今年のプロ野球総括

今年のプロ野球は、CSシリーズになって盛り上がりを見せ、我々を楽しませてくれた。
セリーグはジャイアンツが、当初の予想通り順当にペナントレースを制した。冷静に考えてみると、先発投手陣も充分に揃ってなく、打線もホームランこそ打ったが、取り立てて活躍した選手は見当たらなかった。個人的にタイトルを取った選手と言えば、菅野(防御率)くらいだった。それに比べ阪神は個人タイトル部門では、ゴメス(打点王)マートン(首位打者)メッセンジャー(最多勝)呉晃桓(セーブ王)福原(ホールドポイント)5部門に輝いた。それなのに7ゲームも差が何故ついたのであろうか?
《香山の解説》
①選手の意識の差、巨人は優勝して当たり前、阪神は出来たら優勝したい、と云うレベル
②監督の差、原は競争意識を駆り立てた、和田は固定観念が強すぎた。
③終盤における粘りの差
④球団が近代野球について認識の差、近代野球は残り3イニングをどう戦うかである。阪神は9回しか見ていない、一方巨人は3イニングを考え準備していた。
⑤ファンの差、阪神ファンは馬鹿で甘い、巨人ファンはある程度冷静である。
しかしながらCSシリーズは面白かった。阪神は今年最高の試合をし、片や巨人は余所行きの試合を行い最悪だった。シーズン中打線特にクリーンアップを固定した阪神と、めまぐるしく入れ替えた巨人の差も、このシリーズの結果として表れたように思う。広島の活躍も頼もしかった。来年は充分優勝を狙える位置にいる。また横浜も台風の目になりそうである。
パリーグのことは余りゲームを観る機会がないので詳しく分からないが、オリックスは頼もしいチームになった。来年は是非優勝を目指して欲しい。個人的にはなんと言っても『大谷選手』に尽きる。今後が楽しみな選手である。ホームラン王と最多勝、なんてことにならないかとワクワクしながら見守っていきたい。
日本シリーズは、阪神とソフトバンクで戦うことになった。熱戦を期待しているが、つまらない試合になりそうである。私の予想は、4×2で残念ながらソフトバンクが勝ちそうである。
最後に、近年のPL学園の体たらく振りには目を覆いたくなる。一時期、PL学園卒だけでプロ野球チームが出来るとまで言われていた。現状は惨憺たるものである。
正しく、驕る平家は久しからず、である。

三顧の礼

~牛島氏の講座から~
中国史における三国志の一つ蜀の劉備が、諸葛孔明に対し、三顧の礼を尽くして軍師に迎えたことは、あまりにも有名なエピソードである。
また日本においては、豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃に、美濃の山奥に隠遁生活をしていた竹中半兵衛に対して、三顧の礼を尽くし軍師に迎えたことも周知の通りである。
私は、地鎮祭や竣工式で牛島氏と顔を合わすたびに、志澤塾での講義をお願いしてきた。そして事務所にお伺いをして最終的に快諾を戴き、今回の運びとなった。
牛島氏が選んだテーマは《常識から学ぶ》である。実直な氏に相応しいテーマである。お話しの全般から推測すると、氏の言う常識とは、理念とか哲学に近いものであると、私は思った。あらゆるものを判断する基準として、その常識に当てはまっているか?逸脱していないか?を考え判断していく。建築は一人では出来ない。建築は経済の原則にのっとって、空間を提供するものであるが、作り手の気持ちを知る必要があり、究極的には人間とは?を理解しなければならない。自分自身若いときから恵まれており、自己実現の場を数多く与えられてきた。そのお陰で今日がある。その恩に報いるためにも、我が事務所においては若い人にどんどんその環境を提供している。決して一業種、一業界に偏ることなく、また地域も兵庫県にとどまることなく、日本全国はもちろん世界にも目を向けて取り組んでいる。その甲斐があり、景気にもあまり影響されることなく今日までやってくる事ができた。今後もあらゆることに意図を持って取組み、信用と実績を積み重ね、技術を磨き、時には常識も疑いながら、さらに蓄積していく、と結ばれた。
氏は、一流の設計士として、名経営者として我々に多くを語って頂いた。
私は、三顧の礼をもってお迎えして、本当によかったと心から感謝している。
 ※ 『小野設計事務所』
所在地  姫路市南八代町5番20号
業務種目 建築全般事業企画に関するコンサルタントから設計に至る全て
設立   昭和36年6月
従業員  49名(1級建築士25名)
建築実績 3000件
受賞暦  数知れず

終焉

3年前まではゴルフのスイングについて悩んだことは一度もなかった。
毎回ナイスショットと云うわけではなかったが、リズムの問題で次のショットに影響を及ぼす事はなく、2回連続してミスショットなど考えられなかった。
ところがここ数年は霧の中である。特に最も得意であったドライバーショットが、飛ばないは曲がるは、どん底である。時々霧は晴れるが、すぐ包まれてしまう。
その要因はドライバーショットの極端な飛距離の低下にあり、それによって無理な力が働き、軸が狂っているのである。この2年の間、ドライバーを買い漁っている。道具ではなくスイング自体に課題があるのが分かっているのだが、どうしても道具に頼ってしまっているのである。
今年のシニア倶楽部チャンピオンは、辛うじて予選は突破したが、1回戦敗退である。相手も私が想像していたのより悠に素晴らしい選手だったが、普段どおりの私のゴルフができていたら、負けることはなかった。自滅である。
今から来年の春までは目標にする大会はない。特に今年、2ヵ月半は消化試合みたいなものである。
自分のゴルフについてもう一度考え方を整理し、来年以降に取り組んでゆく。このまま終わる心算は毛頭ない。
それにしても今年の私のゴルフは終わった。10月の倶楽部チャンピオン大会のために1年間ゴルフをしているようなものだから、落ち込みは相当酷かった。
ゴルフは大の親友であるが、時々いたずらをして私を困らせる。
死ぬまでお付き合いをよろしくね。

オー・シャンゼリーゼ ~憧れのパリ~ 四

毎朝ルーブルの広場を散歩するのがどうやら日課になってしまったようだ。小雨の中、ホテルで傘を借りて20分程歩いた。ピラミッドを模ったガラスで出来ているオブジェの前で、三人連れの日本人女性グループに、デジカメのシャッターを押してもらった。
吉田女史との待ち合わせはホテルのロビー9時30分である。本日は、フランス新幹線に乗ってブルゴーニュ地方へ行く予定になっている。喫煙マナーの悪さは目に余るが、ドライバーの運転マナーは見習うところが多々ある。先ず信号は黄色で必ずどの車両も停止する。進路変更に関しても、実に紳士的である。パリリヨン駅に到着する。イタリアでもオーストリアでもそうであったが、出発時刻ギリギリまで我々が乗車するホームのナンバーを確認することが出来ない。勿論改札口などはない。ガイドの吉田女史と列車に乗り込む。席に着いてしばらくすると列車は動き出した。チケットは三名分ある。娘のチケットも含まれている。吉田さんに説明し、車掌が巡回して来たときに、チケットの不使用を証明してもらった。吉田さんも詳細は分からず、地元の旅行社で調査中とのことである。
2時間足らずでディジョンに着き、そこからは各駅停車でボーヌまで行く。ボーヌの駅でいくら待ってもドライバーが来ない。吉田さんが問い合わせたところ、間違えてディジョンの駅にいるそうである。こちらにドライバーが来るまでの時間を利用して駅前の食堂に入り、二人で昼食を取った。私が日本から『ガリア戦記』の跡が見たいという要望を伝えておいたので、出かけることにした。ハイヤーで2時間近く走ったであろうか、やっと《ビブラクト》と云う町に着いた。残念ながら、『ガリア戦記』の微かな香りくらいしか感じることは出来なかった。
また同じ道を引き返してから、チェックインまで少々時間があったので、ボーヌの町を散策した。現在はワイン工房になっている旧修道院で土産物として、吉田女史が推奨してくれた赤ワインと白ワインを1本ずつ買い求めた。我々が宿泊する『ホテル・ル・セップ』はかつてシラク大統領も逗留したことがある、由緒あるホテルとのこと。部屋に入ると、パリのホテルから電話がかかってきた。言っている事が理解できないと答えると、しばらくしてパリ駐在の日本の旅行社から電話が入り、私が宿泊している部屋に荷物が残ったままだと言う。私はチェックイン時にブルゴーニュに行く日もチェックアウトしないで、旅行費用とは別に個人的に支払うからと、予約する旨を伝え、フロントの女性も承諾したのである。それでも頼りない語学力なので吉田女史にさらに念を押してもらい確認したのである。それにも拘らずホテル側に伝わっておらず、今回のトラブルになった。後日分かったことは、ホテル側の担当者同士のコミュニケーションが取れていなかったとの事だった。
ディナーは吉田さんのお勧めで、フランスにおける三大シェフの一人が、つい最近まで料理長をしていた、ホテルの隣にあるレストランで取ることにした。アルコール類のダメな私だが、折角ブルゴーニュまで来たのだからと、彼女が勧めてくれたのでワインをオーダーした。一口飲んでしばらくしてから、また口に含んだ。「吉田さん!最初口にしたときと味が違うのですが?渋くまろやかな感じがするのですが?」と感想を述べると、「香山さん!それ正解です。本当に良いワインは飲むたびに味が変化するのですよ。」と教えてくれた。
次の日の朝、朝食を済ませてから一人で散歩に出かけた。ぐるりとホテルの周辺を一回りして帰ってくると、なんだか辺りが騒々しくなっていた。ロビーで吉田女史と顔を合わせた。「ボーヌの朝市は有名なのですよ。出かけてみますか?」と誘ってくれた。ドライバーとの待ち合わせの時刻まで1時間以上あり、朝市に行ってみることにした。彼女の言うとおり賑やかで活気に満ちていた。私は、抹茶茶碗として使えそうな掘り出し物がないかと、探したが適当なものは見つからなかった。桃とトマトと苺をいくらか買い求め、ホテルの自室で食べてみた。形は良くないが味は美味しく戴いた。
迎えのハイヤーに乗り込んで、20~30分もすると、ブルゴーニュのブドウ畑に着く。私がイメージしていた葡萄の木は、高さが2メートルくらいあり、手を指し伸ばして葡萄の実をもぐのだと思っていた。ブルゴーニュ地方の葡萄の木は、高さはせいぜい1メートルまで、まるでキャベツや白菜畑のような風景である。葡萄の木は芯止めされており、日本の盆栽のような育て方である。ここが《ロマネコンティ》が造られるブドウ畑である、とドライバーが自慢そうに言う。
私はその世界一のブドウ畑に足を踏み入れ、汗を掻いたようにたわわに実った《ロマネコンティ》の葡萄の実を間近に見、シャッターを押し続けた。
パリに帰った私は、吉田さんに教えてもらった『さぬき屋』と云う店でうどんを食べた。日本人以外の客も数多くいて、行列が出来ている。私は幸い一人なのでカウンターに潜り込んだ。家族連れも何組かいる。美味しいものは誰も知っている。ホテルに帰り、明日の出発の準備をした。明日の目標は税関手続きをしっかり行うことだ。イタリア旅行では失敗し、いくばくか損をした経緯がある。AM9時に迎えのタクシーが到着した。そのドライバーも私が一人だということに不審感を抱いた。ド・ゴール空港までは小一時間である。空港はごった返していた。出発まで3時間近くあったにも関わらず、搭乗手続きと税関での免税手続きに思った以上に手間がかかり、エールフランスのラウンジに腰を下ろすまでに2時間ほどを要した。
帰りの隣の席は、1m80を有に超すドイツ人男性だった。齋藤先生の言いつけを守り、帰りの機内では食事を取らなかった。映画を観たり本を読みながら、うつらうつらしているうちに関空に着陸した。はるかと新幹線を乗り継ぎ姫路に着いた。
8月11日、AM11時。

               エピローグ
モン・サン・ミッシェル修道院とブルゴーニュとどちらにするべきか迷ったが、ブルゴーニュを選択して正解だったと、今は思っている。《ロマネコンティ》畑に立ったときめきは、ルーブルにも劣らぬ感動だった。パリはもう一度訪れたい街である。
それにしても、今回憧れのパリは、手違いのパリでもあった。

神無月

十月の姫路は祭り色に染まる。
先ず、8日・9日は恵美酒宮天満神社と浜の宮天満宮を中心とした飾磨地区の祭りを皮切りに、14日・15日は全国的にも知られている、松原八幡神社の所謂《裸祭り》である。別名灘の喧嘩祭りとも言われており、勇壮で華やかな祭りである。旧灘7ヶ村、東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村が繰り出す屋台は、豪華絢爛で我々の眼を楽しませてくれる。
三台の神輿が激しくぶつかり合い、それに続いて各村の屋台の練り合わせが始まる。何年か前に私も一度練り場近くの桝席に招待されたことがあり、今その記憶を辿っている。各々の家庭で何日もかけて造った自慢の弁当を、三段重ねの重箱にぎっしり詰め、食べながら呑みながら心行くまで秋の祭礼を楽しむのである。お正月やお盆に帰郷しなくても、必ず祭りには故郷に帰ってくる。その二日間は、家族のわだかまりやこだわりも全て包み込んでしまう。二日目には昼から夜にかけて、御旅山への山入が行われる。急峻な山道を男たちは粛々と、神の住むお旅の山に屋台を収めるのである。色とりどりのシデに囲まれて登っていく屋台に一抹の寂寥感を覚える。21日・22日は網干地区の《魚吹八幡神社》の祭礼が執り行われる。
私が住む宍粟市も祭りは今も続いているが、殆どが子ども会を中心にした行事に変化している。元来山の神よりは海の神様のほうが祭り好きなのかも知れない。
歴史的には定かでないが、11世紀~12世紀ごろに灘地区の祭りが始まり、15世紀中頃に赤松氏により今の形が出来上がったようである。
今年、誰か招待してくれないかなあ?

オオーシャンゼリーゼ ~憧れのパリ~参

8月6日。本日もラファイエットデパート前7:50集合。モネが晩年まで生活していた自宅のある、ジベルニー村の散策ツアーである。パリ市内は曇りだったが、目的地に近づくにつれ雨が降り出し、ジベルニーに到着する頃には本降りになる。傘を持っていなかったので、ガイドに傘はありませんか?と問うと、少し嫌な顔をされたが、自分の傘を使うようにと言ってくれた。私は気が引けたが貸してもらうことにした。ガイドは仕方なく、持ち合わせていたジャケットを重ね着し、つばの大きな帽子を被り我々を先導してくれた。自宅前に広がる庭園は、モネの絵で何度となく見た風景である。自宅内は美術館風になっているが、モネ自身の絵は全てレプリカで展示してある浮世絵はオリジナルだそうだ。何か腑に落ちないものを感じた。蓮池も初めて見たのであるが、親しみを覚える。敷地内の売店で、絵葉書とモネの絵が描かれた折り畳み傘を買う。待ち合わせ時刻より早めに見学を終えたので、近所のカフェに入りコーヒーを飲む。雨で冷えた身体が少し温もってきた。帰りの降車場所は朝と違って、私が滞在しているホテルの直ぐ側だった。ガイドに傘のお礼を言い、自室に戻りシャワーを浴び着替えをしてから、ホテルのレストランでパスタを食べる。
午後はいよいよルーブル美術館。待ち合わせ場所に行くと、母娘らしい二人がいる。間もなく男性のガイドがやってきた。どうやら私を含め3人らしい。顎鬚をした五十絡みのガイドからイヤホンを渡される。混んでいるから逸れないように、と言われる。テンポ好く案内は進んでゆく。ミロのビーナスは手が届きそうなところに立っている。モナリザは大混雑で全体を見ることが出来ない。何とか潜り込もうとしていると、ガイドに急かされて次のフロアに連れて行かれる。モナリザは毎日あのような状況だと聞かされた。美術雑誌や教科書に載っている絵画彫刻類が、全てルーブルに含まれている。古代オリエントから始まり、古代エジプト・ギリシャ美術・古代ローマ芸術・そして絵画ではナポレオンの戴冠式・自由の女神・天使に囲まれた聖母子・最後の晩餐・等々際限なく続いていく。ルーブルには時空を超えた空間が存在する。僅か半日でルーブルを語ることは出来ない。最低3日はかかりそうだ。
若い母親と高校生の娘と、ガイドに幾ばくかのチップを払い別れてから、少しの間ルーブル内を散策した後ホテルに戻った。今夜の夕食は、ホテルからラファイエットまでの道すがら見つけていた、焼き鳥を食べることにする。
花のパリとしてはあまりに似つかわしくないことが目立つ。それは歩行しながらの喫煙である。勿論吸ったあとは路上に投げ捨てる。無喫煙者の私としては余計に心を痛める光景である。
フランスに来て4日目の朝を迎えて、やっと時差ボケから開放された。朝食バイキングを取った後、待ち合わせの時間までに余裕があったので、ルーブルの広場を散歩した。開館までに相当時間があるはずなのに、もう行列が出来ている。私と同じように散歩している人、ジョギングしている人、仕事に向かうビジネスマン、また結婚式の記念撮影をしているカップルもいる。「コングラッチュレーション!」と声を掛けると「サンキュー」と笑顔が返ってきた。
今日はガイドの吉田女史と相談して予定を大幅に変更し、オルセー美術館をメインに市内観光と買い物に一日を当てることにした。オルセー美術館は私の期待を裏切ることなく名画を堪能することが出来た。印象派の絵画は全て在る、と言っても良い。どうもパリではルノアールよりモネのほうが評価が高いように感じた。凱旋門・エッフェル塔・自由の女神・オペラ座・モンマルトルの丘・ノートルダム寺院・ロンシャン競馬場・そしてシャンゼリーゼ通り、ミーハーな市内観光を終えショッピングを楽しんだ。何処へ行っても中国人と競争しているような気持ちに追いやられる。
夜は折角だからショーを楽しむことにした。パリでショーと言えば《ムーラン・ルージュ》である。吉田女史に予約を入れてもらったが、あいにく満席で取ることが出来なかった。《リド》に電話をしてもらうと、オッケーとのことだった。ホテルに帰り少しくつろいだ後、少々肌寒かったので日本から持参していたカーデガンを羽織っていく。リドはシャンゼリーゼ通りに面している。席に案内されしばらくすると、前座の催しとして歌謡ショーのようなものが始まった。その間に食事が運ばれてくる。私とテーブルを同じにしている二人連れは、ベネズエラから来ているとのことだ。それが終わるといよいよショーの始まりである。華やかな照明とスポットライトを浴びながら、端正な容姿の美女たちが軽やかに踊りながら登場して来た。よく見ると半数くらいの女性は上半身露出している。2~3曲踊り終えると、今度はピエロが現れた。言葉は全く分からないが、フランス人と一緒に笑ったりため息をついたりした。ショーを満喫した私はタクシーを拾い、ホテル・ド・ルーブルへと向かった。