金木犀

この時期になると、どこからともなく甘酸っぱい香りが漂ってくる。
辺りを見渡してみてもその匂いの主をなかなか発見できない。更に注意深く目をやると、僅かではあるが黄金色の花びらが開花している。
今年も金木犀の香りを嗅ぐことが出来たと、少しばかり感動する。
車を駐車場に停め、ドアを開けた途端私を包んでくれる。
散歩の途中。ゴルフ場のフェアウェイ。等々・・・
金木犀の香りを嗅ぐ度に私は20数年前に遡ってしまう。
JC(所謂青年会議所)の理事長を拝命し、1年間無事に務め次年度にバトンタッチした時期が、丁度金木犀の香りとだぶるのである。
私にとって金木犀の香りは、JCの匂いでもある。
あと何年健康で金木犀の香りを嗅ぐことが出来るであろうか?と思う9月の末日である。

水について考えてみた。
関東地方を襲った豪雨による被害は、我々の想像を超える甚大なものとして記憶に新しい。
まるで東日本大震災の津波の再現を見ているようだった。
ここ数年各地で被害をもたらせているのも“水”である。
一方人間の体は殆どが水分で、“水”がなければ生きていけない。
我々の生活の中で“水”を使わない日はない。
自然も地球も宇宙も“水”がなければ存在しない。

           水五則

① 自ら活動して他を動かしめるは水なり
① 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
① 障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり
① 自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり
① 洋々として大洋を充たし発して蒸気となり雲になり雨となり雪と変じ霞と化して疑っ
  ては玲瓏となり而も其の性を失わざるは水なり
                                 (黒田如水訓)
黒田官兵衛が出家して如水と改めたときに残した言葉である。
味わい深い含蓄のある如水訓である。
願わくは災害を齎す“水”ではなく、幸せに繋がる“水”であって欲しいと思う。

設立50周年によせて

昭和41年11月18日に、八幡建設は正式に設立登記が完了した。今からちょうど50年前のことである。資本金800万円、従業員社長(私の父)を含めて6人で、何一つ資産も勝算も無い中で船出をした。『八幡』の名前の由来は、当時「八幡製鉄」という大企業に因んで、と言う意味と、日本各地に点在する「八幡神社」の如く根を張り巡らす、と言う思いを重ねて命名した、と聞いている。
今現在グループ会社数10社、総従業員327人、資本金合計47925万、総合計売上額210億、経常利益額48000万の規模である。しかしながら、我々グループを取り巻く環境は、内外共に様々な課題が山積している。内部組織を整え、外部環境に柔軟に対応出来る備えをすることが急がれている。
《えーがいや》通信は主として、八幡建設、八幡コーポレーションのお客様を対象に、下職の皆様、社員や社員のご家族を始め、関係各位の皆様に配布している。《えーがいや》という言葉は、宍粟市だけに伝わり使われている方言で、「いい具合に」「ちょうどいいかげん」と言う意味で、スマートに言い換えれば『中庸』に匹敵する。思えば私も日頃「ええがいいったなあ」などと、頻繁に使わせて頂いている。
今後とも、えーがい、お願いします。
                            (えーがいや通信より)

歴史シリーズ~坂本龍馬の巻~

歴史には必ずと言っていいほど、表と裏が存在する。我々は残された文献と、言い伝えでしか知ることが出来ない。何故なら当人たちはこの世に存在しないのだから、確かめることは不可能なのである。
歴史上で私が好きな人物は、『織田信長』、『坂本龍馬』、そして『カエサル(英語名シーザー)』である。今回は龍馬について記してみようと思う。
龍馬が表舞台に登場するのは、司馬遼太郎によるところが大きいのではないか。司馬氏の小説「龍馬が行く」が発表されるや、一躍時の人となり、日本中に龍馬ファンが溢れ、多くの人を魅了したのである。かく言う私もその一人である。龍馬の幼少期については、姉の乙女をなくしては語れない。彼女は龍馬の良き理解者で、剣術や馬術、また和歌などの文芸面についても龍馬を教育し、スケールの大きな人物に育てた。
龍馬についての最大の謎は、暗殺者は一体誰なのか?ということである。様々な説が飛び交っているが、実行犯は見廻り組みの今井信郎ら4人であり、その黒幕は会津藩主松平容保であるという説が有力視されている。根拠は明治の世になって、今井信郎自身が語ったことによる。
しかし、歴史の面白さは自分で作りかえられるところにもある。私は今でも暗殺者は薩摩藩であると思っている。龍馬は近江屋で暗殺されたのであるが、二階部分の天井はそんなに高くなく、その部屋でしかも殆ど一撃で殺傷したのであるから、薩摩の示現流が最も適しているのでは?と想像している。その首謀者は勿論、西郷隆盛である。西郷ファンの皆さんには怒りを買うようだが、彼はどうしても徳川幕府を武力で倒したかったのである。平和主義者でリベラルな龍馬の存在が邪魔だったのでは?と。もし龍馬が生きていたら、西南戦争は起らなかったであろうし、もっと早く日本が国際舞台で活躍したであろう。あの時代、日本国、という概念を持っていたのは《坂本龍馬》と《勝海舟》だけであった。ほとんどは自分の藩、という意識しかなかった。
日本で最初に新婚旅行をした龍馬とお龍さんの結婚生活は短かったが、充実していたようである。龍馬が33歳で亡くなった後、お龍さんは再婚するが、66歳の生涯を横須賀で終える。
《日本を今一度せんたくいたし申候》
龍馬の残した言葉である。いま日本を洗濯できる人物は見当たらない。