本日、2017年8月29日、再び北朝鮮がミサイルを発射した。
発射されたミサイルは北海道の上空を通過し太平洋に着弾した。
米朝は一触即発の状況である。

ある日の朝のサミットでの戯言。
私「本当にいつ米朝間で戦争が勃発しても不思議でない状態だなあ」
H氏「戦争になっても仕方ない、1週間で片が付く」
私「そんなことを言っても昨年閣議決定された平和安全法とそれに関する国際平和支援法に基づいて、日本も韓国とアメリカと一緒に戦争に加わることになる」
I氏「それは当たり前、安保もあるし」
私「アメリカに膨大な防衛費も支払っているし、基本的には米朝間の問題だから」
H氏「日本がアメリカ並みの軍事力を整備するには、今の予算の何百倍必要になる」
私「我が国は憲法で戦争を放棄しているのだから軍備などしなくていいのでは」
I氏「今の日本人は平和ボケしている。軍事力は必要である」
私「あなた方の子供や孫が危険に晒されてもいいのか」
H氏「そんなことにはならない、そのために自衛隊があるのだから」
I氏「もしHが誰かにからまれて暴力を奮われたら私はHを助ける、それと同じである。アメリカとの関係は」
私「アメリカ人も朝鮮人もイスラム人も黒人もそして日本人も命の尊さは同じである」

百日紅が夏の終わりを告げ、秋を迎えている。
米朝戦争が勃発すれば、自然界の移ろいを愛でることもなくなり、孫から笑顔も消えることになる。
核爆弾の唯一の被爆国としてあらゆる手段を尽くして戦争だけは回避すべきである。
それが日本人の務めである。

晩夏の薬師寺

私の友人の一人である釜田氏が地元の企業を定年退職後、一念発起して自身の母校である「龍谷大学」に大学院生として入学し、そこで邂逅しご縁を頂いたのが、現薬師寺執事長である「加藤朝胤」先生である。先生には過去二度志澤塾に来て頂き講話をして頂いた。今回は塾生と希望者数名で薬師寺を訪れた。お盆も過ぎた残暑の厳しい日だった。
  薬師寺は法相宗の大本山であり、天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼されたと伝えられている。ご本尊は薬師如来で、日本に現存する如来像のうち、最も古く国宝である。両脇を月光菩薩、日光菩薩に守られたお薬師様の表情を拝顔するだけで、体も心も洗われる思いである。加藤先生直々に、西塔、金堂、大講堂、食堂と案内を受け、工事中である東塔の中も見せていただいた。我々の為に献立して頂いた昼食を摂る。食前には感謝の心を込めて五観の偈と六方礼拝を唱え合唱した。
昼食後京都大学でインド哲学を主に研究しておられる石垣女史による、解脱「悟る」とは?についての講話を聴く。悟りとは、自分自身で得るもので、決して他人によって得ることは出来ない、自分や他の全ての物事から解放され執着する心が無くなり、心も体も安らかな状態になることである。また、仏教と儒教と道教の違いについても分かり易く教えていただいた。
お写経道場に移動し20名の塾生たちは、それぞれに丁子を口に含み香象を跨ぎ身も心も清め、輪袈裟をし、様々な雑念の中で276字の般若心経のお写経を行った。
いよいよ加藤先生の法話が始まる。今回は、《般若波羅蜜多心経の心》についてお話して頂いた。魔訶とは大いなるという意味で、般若とは知恵、波羅蜜多は幸せを戴くためにという意味、心は中心、経は教えである。要約すれば、大いなる知恵により、幸せを戴くための中心になる教えが、般若心経の中に記されている。つまり我々が生きていく上においてどうすれば、どのような考え方で過ごせば、幸せで豊かな人生を生き抜くことが出来るかを説いているのである。
とらわれないこころ・かたよらないこころ・こだわらないこころが人を幸せに導くキーワードである。
~ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲~(佐々木信綱)
秋にもう一度訪れたくなった。

初盆

今年の1月末に父親が91歳で亡くなった。
私の人生において初めての身内の初盆を迎えた。10日頃からあちらこちらから線香や様々なお供え物が届いていた。
ゴルフも控え、お盆の間は実家で過ごし、生前親しかった人や親戚の人々にお参りに来て頂き、その対応に追われた。
15日には檀家の「願寿寺」の住職が来られ、読経をして頂いた。
1人の人間が亡くなるということの影響の大きさをつくづく味わっている。
まだまだ落ち着くまでには至っていないが、長男としてやるべきことを粛々と進めてゆく。

   初盆や 良いところのみ 思い出す

早まった宝塚行き

今年1月末に私の父が91歳で亡くなった。初盆を迎える。
私のスケジュールを考慮して、今年の宝塚行きを1週間早めに執り行った。
8時、姫路に居るT君、私と同郷のA君3人は山崎出発。9時現地で川西に住んでいるK君と、奈良に居住するM君と待ち合せる。
26年になるらしい、高校時代の友人が下りの特急列車に草津駅のプラットホームで轢かれ命を落としたのは。それからお盆のお墓参りは一度も欠かしたことがない。
お墓をタオルや束子で丁寧に洗い、用意したお花を飾った。お線香を点て、蝋燭を翳し心から手を合わせる。
それがすむと近くの宝塚ホテルのカフェでプチ同窓会が始まる。一気に50年前にタイムスリップされ、全員が高校生に早変わりする。
姫路に居るT君は、大阪の技工士の専門学校を卒業後、インターン時代を経てコツコツと技工士業に精を出し、ありがたいことにご子息がその職業を継承し、時々は手伝いながらのんびり暮らしている。
川西に住んでいるK君は、同志社大学を卒業し、当時は珍しかったが外資系の製薬会社に就職し、5年を残して早期退職をし、仲間内では最も優雅に毎日を過ごしている。
奈良に居住するM君ほど人間的に良いやつはいない。先ず人を疑うことを知らない。人の悪口を聞いたことがない。大阪市大を卒業するや、趣味を生かして近畿日本ツーリストに就職し、生来の熱心さで出世はしたが、リストラ担当を任されたときは相当落ち込んでいた。今は優しい?奥様と、素直な長女と三人暮らしである。
同郷のA君は、毎年宝塚行きを段取りしてくれる。彼がいなかったら途切れていたと思う。龍谷大学を卒業後地元の会社に定年まで勤め、業務から離れると、一念発起して母校である龍谷大学に再び入学し、仏教全般と浄土真宗を主に学んだ。
A君がやにわに携帯電話を取り出し、東京住まいするH君を呼び出す。それを順番に回しそれぞれにたわいのない会話をする。H君は我々仲間では断トツの秀才で、京都大学卒業後住友商事を蹴って日産自動車に入った。誰もが将来の役員候補(副社長クラス)と信じて疑わなかった。が、例のゴーン氏の出現でそのコースが外れ、定年後趣味の俳句でメキメキ頭角を現し、所属する同人雑誌の編集長を任されている。
一口に50年と言っても、とてつもない時間である。古稀を迎える年齢になり、今からをどう生きるか?という命題からは逃れられそうもない。誰かの言葉ではないが、「生きてるだけで丸儲け」と思い、その時その一瞬を過ごそうと、改めて思った《宝塚行き》であった。