野点


今年も野点を催した。
私は野点、という言葉の響きや字柄が大好きなのである。日本独自の文化であり、諸外国にはこれに類するような言葉や文化、風習は私の知る限りにおいてないように思う。
朱色の野点傘を立て、御園棚を庭にセットし、単衣の着物で白足袋に草履を履き、お点前をした。
屋内では、和菓子作りの体験コーナーを設け、和菓子職人に手ほどきを受けながら、自分自身が作ったお菓子でお抹茶を頂いてもらった。作りたてのお菓子は、ましてや自分が作ったお菓子はことのほか美味しく、抹茶の美味しさをより引き立てたように感じた。
今年もご招待をしたお客様60人ほどがお見えになり、思い思いに楽しんでいただき、笑顔のうちに、五月の爽やかな一日を過ごして頂いた。

  
 
      風薫る 笑顔のうちの 野点かな

令和最初の講座

令和最初の講座は薬師寺執事長の加藤朝胤先生にお願いをした。
先生のご法話の前に、石垣明貴杞女史に文字について、学術的見地から講義を受けた。彼女は中国におけるもっとも古い亀甲獣骨文字(紀元前1300年殷時代の文字)の研究を含め、中国各地の言葉、インドに纏わる言語、その他ラテン語を筆頭にヨーロッパの文字を合わせて8か国語を操ることが出来る天才的語学力の持ち主である。元来文字は神にお伺いを立てた占いの言葉であり、神からのお告げとして使用された。蔡倫によって紙が発明されるまでは、文字は亀の甲や木簡に記されていたが紙が発明されてから、文字は爆発的に発展をとげ、様々な経典や辞書などが作られるようになったのである。しかし中国という国は支配者が変わるごとに文化も含めたすべてを否定する特性があり、その文献の殆どは残存していない。毛沢東の文化大革命も中国の特性を顕したものとしてうなずけるところである。
加藤先生のご法話は平易な言葉で私達に生きる知恵について語って頂いた。
人間の天寿は120歳で、春季は1~25歳(人生の基盤期、基礎的な知識や習慣を学ぶ)・夏季は25~65歳(子孫継承期、家族を支える責任)・秋季65~90歳(円熟期、社会奉仕への参加)・冬季90~120歳(自己管理、未来への譲渡)であると説かれ、生涯青春、生涯現役を保つために、何事にも興味を持ち、規則正しい生活リズムで毎日を過ごすことが大切である。朝食は必ず摂り、マイナス思考は避け、読書や美術などの鑑賞をし、脳を活性化しておくことが肝要である。
法話の後我々はお写経をさせて頂き、永代供養をして頂くために薬師寺へ送付した。
私も久しぶりにお写経をさせて頂きその一瞬でも心が清まった思いである。
とても120歳までは生きられないが…

平成から令和へ

宮古島にて令和を迎えている。今年の初めに宮古島行きのスケジュールを立てたときに、新しい元号になることは分かっていたが、その新元号が『令和』になることはむろん知るところではなかった。そして今現実として、平成から令和に時代が変わっていく激動を身をもって実感している。しかも私の身の回りには私を知る人間はいない。
テレビやマスコミでこれまで幾度となくその時代の変遷について報道が行われたので、私は自分自身のことのみについて記そうと思う。私は昭和23年7月6日にこの世に生を受けた。幼年期は病弱だった。両親のお陰で今日まで命を頂いている。大学を卒業と同時に父が起こした八幡建設に就職し、結婚もした。一女二男の子供に恵まれ、長女は遠くオーストリアで生活をしており、もう20年近くになる。長男はパナホーム兵庫の経営を、次男はウエルネス兵庫の経営を執り行っている。私が本格的に経営者の仲間入りをしたのは、35歳の時に当時八幡ナショナルの再建を託されてからである。
63歳で社長を退くまで28年間経営の第一線に立ち続けた。決して順風満帆ではなかった。一度赤字を経験したが、50歳を過ぎる頃にはおぼろげながら事業経営とは?が分かりかけた。私はいろんな人に巡り合い恩恵を享受させて頂いた。結論的に述べるなら、事業経営は人間が織りなすドラマであり、人間を理解することが原点である。
私に影響を及ぼした出来事は数え上げればきりがないが、第一はJC青年会議所である。奉仕という私には無かった概念を埋め込んでくれた。第二はSTM研修である。人間は認め合って生きていくのである。第三は水口先生との邂逅である。潜在意識と顕在意識を体験させていただいた。書物としては①田中要人『社長業の実務』②坂の上の雲③ローマ人の物語のみとする。
私は典型的な凡人である。しかし他の人と違ったのは、私の置かれた環境から逃避出来ないと腹を括っていたことである。ならば自分自身のために、そして私の身の回りの人たちのために自分の全てを注ぎ込もうとしてきた。
私の命はあと10年くらいである。次の新しい元号は見ることはない。今は令和を楽しんでみようと思っている。
~令和元年5月3日宮古島にて記す~