廣峯神社 幸田宮司のお話

播州地区に住まいする者で廣峯神社の存在を知らないものはない。
正式には牛頭天王総本宮廣峯神社と言い、五穀豊穣を願う神様である。御神体は素戔嗚命で、正殿は国の重要文化財に指定されている。その歴史は古く、733年ころ遣唐使として唐の国に渡っていた「吉備真備」が帰国し、聖武天皇に奏上し、この地に牛頭天王をお祀りしたのが始まりとされている。途中様々な苦難があったにも関わらず1300年近く延々と繋がっていることになる。
また京都の祇園にある八坂神社に勧請され、牛頭天王の分身をお裾分けしたと文献には記されている。したがって八坂神社はさしずめ廣峯神社の支社にあたる。
2014年に廣峯神社と縁が深かった黒田官兵衛がNHKの大河ドラマに取り上げられ、それを機に《黒田官兵衛》をお祀りした「官兵衛神社」が昨年建立され、各地から官兵衛ファンが訪れているとのこと。
節分祭や御田植祭とかお祭りは年中行事として数々執り行われるが、最も由緒ある行事は11月15日に執り行われる『御柱祭』だそうである。今年はお参りさせて頂きたいと思っている。しかしながら神社の経営もなかなか厳しいらしく、文化庁や文科省からの補助は一切なく、独立して自分たちで経営していかねばならないとのこと。
大好きな官兵衛のためにも、もう少し応援してみようと思った。

初場所総括

令和最初の初場所は、終わってみれば平幕、しかも幕尻である《徳勝龍》の優勝に終わった。徳勝龍の優勝はあらゆることが記録づくめらしい。例えば奈良県出身力士では98年ぶり、とかである。それにしても後半の徳勝龍の相撲はまさに神懸っていた。本人の実力以上のパワーと運に恵まれていたように思う。
だらしない大関陣(高安も含む)の中で、体調が万全ではない中、貴景勝はそれなりによくやったと思う。豪栄道は引退の選択もありそうだが、来場所は地元大阪なので奮起して捲土重来を期して欲しい。
私は最も期待していた《朝乃山》だが、何とか10勝に漕ぎつけることが出来た。本当は優勝争いに加わって欲しかった。来場所は12勝以上白星を重ねて、大関に昇進し、かつその上を目指して欲しい。これまでの多くの大関たちは、大関になるのが目的で、なるまでは強い相撲をしたが、なってからは普通の関取だったように見受ける。
それにしても腹立たしいのは二人の横綱である。特に《白鵬》には虫唾が走る。なるほど43回の優勝を今後破る力士は現れないだろう。しかし、あの品位、品性、謙虚さの欠片もない態度や言動にはもう我慢がならない。それらについて相撲協会は一言の苦言も呈しない。辛うじて「横審」が勝ち上げと言うエルボーや意味のない張り手を注意すると、奴は「別に禁じ手ではない」をうそぶく。オリンピックの開会式で『横綱の土俵入り』がしたいらしい。絶対それだけは誰が許しても私が許さない。2連敗するとさっさと診断書を提出し休場してしまった。場所前あれだけ好調だったにも関わらず。もう一人の横綱《鶴竜》はそろそろ引退かな?二人のモンゴル横綱に勝手気ままにさせている大きな原因の一つが、あのだらしない《稀勢の里》である。今場所したり顔でもっともらしい相撲解説をしているのをテレビで見たが、嘘っぽく聞こえたのは私だけだろうか。
半世紀以上の長きに亘って相撲を愛してきた私に、どうか納得できる相撲道を展開して欲しい。最後に《北の富士》さんの解説は大好きである。舞の海さんの解説は分かり易くて納得できる。

コウヤマクンPayPay始める

散歩の途中ローソンに寄った。目的はPayPayデビューをするためである。それでも巧く使えなかったらに備えて、ポケットには1000円を忍ばせていた。
のど飴一袋・ガム2個・祝儀袋を買い求めレジに向かう。恐る恐る、
「あのーPayPayで支払いたいのですが」と言って、携帯の画面からPayPayを呼び出すと、店員はいとも簡単にバーコードをリーダーでなぞる。623円。完了。
思えばここまでの道程は長かった。初出の挨拶で《PayPay》に挑戦します、と言った手前実行しなければと、最初に携帯を購入したauのお店に相談がてら行くことにした。店員との対応の中でID番号は通知されているがパスワードが分からない。思い当たるパスワードを入力してみたが何れも合致しなかった。店員が「姫路のピオレの2階にAppleの事務所がありますから、そこならパスワードが分かると思います」と言うのでAppleへ出かけたが「うちでは分からない」と言う。どうすればいいのかと問うと、「パスワードを変更するしかない」と言う。「ここに連絡して相談してみてください」と電話番号を渡された。教えられた番号にしてみると、ガイダンスが流れ、その意味が全く理解できない。その電話番号を持ってまた最初のauのお店に行く。店員は丁寧に対応してくれて、新しいパスワードに変更してくれた。
三井住友銀行の口座から引き落としてくれるように依頼したが、どうも私のキャッシュカードが古すぎて支店ナンバーが違っていたらしく、郵貯銀行口座を使用することにした。もうこれで使えると思っていた。郵貯銀行口座には残高があまりないので、すぐさまいくばくかのキャッシュを入金した。PayPayの使えるドラッグストアに行き、「PayPayで」と胸を張って店員に携帯を翳したが《使えない、残高がない》と言うのである。この間入金をしたのにそんなわけがないと思ったが、出来ないというので仕方なく現金で支払った。
私は銀行に残高があれば使えるものとばかり思っていたのである。またauへ出かけ尋ねてみると、銀行口座からPayPay口座にチャージしないと実際には使えないのである。
そして本日を迎えたわけである。
【のど飴一袋・ガム2個・祝儀袋】神棚に祀りたい心境である。

昭和・平成・令和・閑話

私は昭和23年7月6日に生を受けた。未熟児だった。5歳の時小児結核にかかり8ヶ月間入院生活を余儀なくされた。その間に院内感染で脳脊髄膜炎を患い生死を彷徨った。両親の深い愛情と高額な投薬のお陰で命を頂き今日に至っている。小学6年間4キロの道程を徒歩通学したことが幸いし健康になったと思っている。中学高校と多感な時代を過ごし、気が付けば仲間内で私だけが大学入試に失敗し浪人生活を送った。と同時に大失恋を経験し、人生で初めての挫折を味わった。1年後に中央大学に入学したが、勉学には程遠い大学生活を送った。多くの友人と、二つの哲学『やかんの哲学』『めぐり逢いの哲学』を確立したのが唯一の財産だった。
卒業と同時に父が経営する八幡建設に入社しその年に結婚もし、二男一女の子供にも恵まれた。3年間の営業マン生活と1年間アフターサービスを経験し、岡山営業所を開設し岡山営業所所長に就任した。35歳の時、現パナホーム兵庫(当時八幡ナショナル)の経営再建のため代表権のある副社長に就任し、がむしゃらに5年間を費やした。
平成を迎える頃にやっと事業経営とは?が少しだけ分かりかけてきた。自分が学んだこと、自分が考えたことをいろいろと試してみた。旨くいったことは3割程度で殆どが上手くいかなかった。試される方はたまったものではなかったと、今になって反省している。パナホーム兵庫での戦略の転換は二つあった。営業戦略的には総合展示場からの撤退で、OD所謂組織開発の分野では、能力のリストラを含めた分社戦略だった。この二つは成功だったと今も自負している。 私が八幡ナショナルに就任時には2000万しかなかった自己資本は、退任時には22億にまで蓄積することが出来た。平成23年に私は28年の長きに亘ったパナホーム兵庫の経営から退き、1年間の準備期間を経て、2世3世の経営者のための経営塾『NPO法人志澤塾』を立ち上げ今日に至っている。昭和は物で栄え心で滅んだ時代だと思っている。平成になり、ここ10年くらい前から、様々な異常とも思える社会現象に心ある人々が異論を唱え始めてきた。令和はきっと心身ともに豊かな時代になると信じている。
令和になって二つ嬉しいことがあった。一つはゴルフで三階級制覇したこと、今一つはオリンピックの聖火ランナーに選ばれたことである。ゆっくり下山していく心構えである。