令和2年

令和2年も残りあとわずかである。
今年私は6回目に当たる年男だった。だがあまりいい一年ではなかった。一言で言うならコロナに始まりコロナで終わりそうである。テレビの画像を通じてダイヤモンドプリンセス号を見たのは、確か今年の1月末から2月にかけてだったと記憶している。最初の頃は豪華客船の中で何が起こっているのかよく理解できなかった。自衛隊員が宇宙服のような防護服に身を包んで、慌ただしく客室を行ったり来たりしている様子が映し出されていた。どうやら何か得体のしれない感染症が船内で発生し、その対応に追われているようであると認識するには我々一般人には相当の時間を要した。その得体のしれない感染症が《コロナ》という感染症で、しかも新型コロナと呼称され、感染力はインフルエンザの比ではないとのこと。
実態が段々明らかになりその発祥地は中国武漢で、マウスを介在して人間に感染していったとのことである。そして瞬く間に世界各地に拡散し現在に至っている。私は少し以前に「澤田瞳子」女史の《火定》を読み終えていた。中国から遣隋使を介在し我が国に及んだ天然痘との闘いを繰り広げる医師の姿を思い出した。正しくパンデミックの世界である。
経済的にも文化的にも滞っている現在、その出口は見当たらず、いつ収束するかは全く見当のつかない今、我々は冷静にかつ前向きに取り組むしかない。ワクチンが普及し治療薬が整備されないとその恐怖からは解放されない。新型コロナが終息し、来るべき令和3年が少しでも明るい年になるよう、今は祈るしかない。

消えゆく本屋

先日隣町の動物病院に愛猫の薬を貰うために出かけた時のことである。JC(青年会議所)時代には通りなれた道ではあったが、何年かぶりだった。新宮町の姫新線の踏切を超すと三叉路がある。その南西に位置するところにK本屋があったはずである。それがなくなりコンビニエンスストアに変わってしまっていた。
私と本との出会いは確か小学4~5年だったと記憶している。何気なく手にした本が《三国志》だった。西暦200年前後の中国を舞台にした一大叙事詩である。魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)の覇権争いを中心に、稀代の英雄たちが繰り広げるロマン溢れる物語である。特に劉備玄徳が率いる蜀の英雄たち、仁義に生きる関羽・怪力の猛将張飛・天才軍師諸葛亮孔明の活躍はワクワクしながら読んだ記憶が今も残っている。《赤壁の戦い》は生実況中継したい気分になる。また「死せる孔明生ける仲達を走らす」も楽しく読んだものである。その後中国史に興味を持ち、「水滸伝」「西遊記」などを読破していった。高校時代になるといっぱしの文学青年を気取り、芥川・太宰・中原中也を愛読し、死について真剣に考えたこともあった。浪人時代を経て中央大学に入学して一年ほどは物珍しさも加わり、遊びまわり怠惰な学生生活を過ごしていた。ある日名古屋から上京していた、同じクラスのN君に呼び出され、彼の下宿に来るように誘われ、行ってみると
「香山、お前ら遊んでばかりいて何をするために大学に来たんだ、これでも読め」と言って手渡されたのが、『国盗り物語』だった。それを機に私の読書熱に再び火が付きあらゆる書物を読破していった。特に五木寛之はほとんど読み漁り、《ソフィア》には行きたくて仕方がなかった。また《カント》は私の哲学の一つである『やかんの哲学』、すなわち理論と実践が一致しなければ意味を持たないと知らされた。
今も年間100冊近く本を読んでいると思う。読みたい本で題名が分かっている場合はアマゾンで購入すれば、大体2~3日で手元に届く。だが私の場合は~なにか面白そうな本はないか~という気持ちで本屋を訪れるのが好きなのである。山崎のY書店も姫路のS書房も消えていった今、何処へ行けばいいの?ジュンク堂?
ベッドに横になりながら活字を目で追いたい私としては、その悩みは解決しそうもない。

アラ!塩っぺ!

令和2年12月最後の志澤塾での講師は《ブンセン》株式会社の田中社長にお願いをした。1934年に創業されたその社名の由来は「寛永通宝」の裏に「文」の文字が印されており、『文銭』と呼ばれ重宝がられていたので、そこから採られたそうである。
《おいしさの定義》というテーマで様々なおいしさを、いろいろな角度から述べられた。
①味覚センサーを駆使した科学的視点
②文化的情緒的視点。コップに入っている水の量は同じだが、解釈によって逆になる。ある人は水が半分無くなっているという、また別の人は水は半分入っているという。人は「事実」そのものを見ているのではなく、事実の「解釈」を見ているのである。ライフスタイルが解釈を決め解釈が行動を決める。《おいしさ》とは総合的価値であり、唯一の答えはない。ブンセンは、~けっこうおいしい~これが好き、という感覚を大切にし、特徴ある《おいしさ》をこれからも求めてゆく。
最後に、田中社長はあまり触れられなかったが、《ブンセン》の根本方針は紹介しなくてはならない。原文のまま記す。
  根本方針   
『 みんなの役に立つ』
株主、社員、取引先、消費者はもとより、地域社会のみんなの役に立つ会社として、発展したい。
『天下をファンにする』
 会社は、全関係者の信頼を得るだけでなく、関係のない人をも、競争者さえもファンにしたい。
『信頼と自主と向上』
 会社も、社員も、相互信頼のもとに、おのおの自由な発言と自主的な活動によって、会社の業績と、社員の生活と能力を、ともに向上させたい。
『本当の利益を』
 利益は、会社の目的ではなく、会社維持発展のための手段である。今の利益でなく、将来の利益を考え、自分の利益だけでなく、相手の利益との総和を考えたい。
『経営を公正に』
 会社は、コネにたよらず、ワイロを贈らず、利益を求めず、策略を用いず、条理にかなった公正な方法で、困難を克服していきたい。

令和2年は誰もが想像しない一年となった。来年こそはもう少し穏やかな年であってほしいと願ってやまない。

2020年ゴルフ

今年の私のゴルフは先月末に花屋敷で行われた「関西グランドシニアゴルフチャンピオン大会」で終焉した。3回も練習ラウンドに行き70台のスコアを目論み、ベストテン入りを試みたが全てがかみ合わず、87点という不甲斐ない成績で、順位も下から数える方が近いという結果に終わった。
6月にJOYXゴルフ倶楽部で執り行われた《グランドシニア選手権》の決勝戦は、エキストラ2番までもつれ何とか連覇することが出来た。その試合で《ホールインワン》を達成したことは先のブログで述べた。10月に加古川ゴルフ倶楽部において開催された《グランドシニア選手権》は1回戦でエキストラ1番であえなく敗退した。KGUが主催する大会も予選すら通過できずに終わった。様々な課題が浮き彫りにされ、今新たな目標に向かって取り組んでいる。
先日加古川ゴルフ倶楽部に所属する《O女子プロ》とラウンドする機会に恵まれた。今年の初めに体調を崩され手術されたこともあって、ドライバーの飛距離は私の方が若干勝っていたにも拘らず、そこからが全く異次元の違いがあった。よく観察してみると、ドライバーからパターまでのショットがすべて『芯』でとらえられているのである。だから正確で曲がらない。一緒にラウンドした他の女子プロも含めた4人のうちで最もスコアがいい、という結果である。そこに私の目指すゴルフの頂点があるように感じた。せめて30%くらい芯でボールを捉えられるよう練習に取り組んでいく。
一方プロの世界に少しだけ目を向けてみると、コロナ禍の状態で変則的に行われたトーナメントではあったが、男子は見るべきものがなかった。松山君には来年以降期待したい。彼は海外メジャーを制覇する力は充分に持ち合わせている。そのうち我々にいいニュースを届けてくれると思う。ほかの男子プロでは「金谷君」に注目していきたい。最も身近な「藤本佳則プロ」には奮起してほしい。
女子の世界は二十歳そこそこの若いプロの活躍が目立った一年だった(全米女子オープンは今おこなわれているが)。特に150㎝台の《西村選手、古江選手》の活躍は目を見張るものがあった。一方《原英里佳、笹生優香》など大型選手が現れ楽しみでもある。上田桃子の活躍には心が揺れるものがあった。一方渋野日向子は期待を裏切った。本人やその周りは何を勘違いをしたのか、私は世界にはまだまだ通用する実力は持ち合わせていないと思っていたが、その結果を示す一年になった。
何はさておいてもゴルフは楽しい。何歳になっても友達でいたい。

誇れる同級生Ⅱ

9月に引き続き今回も福山氏にお話ししていただいた。氏とは山崎高校の同級生で、同じクラスになったことはないが、何となくお互いを認識しあっていたと記憶している。私は大学受験に失敗し1年間の浪人生活を余儀なくされ、その後中央大学へと進み、自堕落な学生生活を送りながら、学生運動華やかな時代の恩恵を受け何とか卒業し、父が起業した会社に就職し、63歳で経営の第一線から退き今に至っている。
一方福山氏は、姫路工業大学(現兵庫県立大学)電気工学科を経て富士通株式会社に就職し、富士通テン株式会社が分社独立したのを機に転籍し、富士通テンアメリカに出向し、それを機会に北米ビジネスが氏の活躍する場所になって行った。2005年に富士通テンアメリカの社長に就任するや、ますます氏の能力が開花していったと思われる。現在は兵庫県立大学の特任教授として教鞭をとっている。
今回は~世界で勝ち抜くビジネスコミュニケーション力~と題して、海外で仕事ができ、楽しく暮らすためには、異文化を楽しみ、外国人を怖がらず、対等な関係を築き上げ、お互いが「WIN WIN」を実現していくことが信用へと繋がっていくと説かれた。例えば握手一つにしても、しっかりと力強くすることがお互いの信頼関係を築くうえでのコツである。CHANCEとCHANGEをタイミングを計りながら展開していくことが肝要であり、国内においてもグローバルな視点で物事を捉え事業を進める必要がある。真の品質は、工場ではなく市場で作られることを肝に銘じ、モノづくりを行いサービスに心がけていくことが大切である。
晩秋のこの季節に、氏の講義は理知的で我々に新鮮な考え方を提供してくれた。誇れる同級生の一人である。