波裡庵雑記

波裡庵とはお茶室の名前である。
塾を開講するにあたり、モデルハウスを購入し、その空いたスペースを利用し茶室を増築した。その茶室を『波裡庵』と命名した。
私のお茶とのそもそもの関りは茶室から始まっている。20年以上も前からお茶室が建てたくて仕方がないという衝動に駆られ続けていた。当時はその余裕もなかったが、第一線からの引退の道筋が見え始めたのをきっかけに、本格的に茶室建築構想を描き始めた。茶室を創るのならお茶の一服も点てなければと思い、この播磨地方で最も相応しい「河嶋宗康」先生に師事し習い始めた。
7年ほどが経過し、一応初級・中級と許状も頂き上級の一歩手前まで進んだ頃に、私はこの先何十年お茶を習ったとしても極めることは出来ないと悟り河嶋社中を退くことにした。茶道は日本文化の全てを凝縮していると思う。
茶道のお点前は勿論、お道具の由来・所作振る舞い・お軸・茶花・はたまた香道に至るまでその奥義を推し量ることは出来ない。
遣唐使によって伝えられた茶は、戦国時代になると武将たちは挙って茶の湯に没頭し、貴重な茶道具を所有するのが一種のステータスになった。この時代に登場したのは堺の豪商の子として生まれた《千利休》である。利休は信長・秀吉の茶頭として重用されるがご存知の通り、後に華美さを好む秀吉とわび茶を追求する利休との間に亀裂が生じ、茶の湯に関する決定的な価値観のずれを修復することが出来ず数奇な運命を辿ることになる。
利休から数えて三代目「宗旦」を境に、《武者小路千家官休庵》《表千家不審庵》《裏千家今日庵》の三千家に分派し、利休の目指したわび茶を継承しながら今日に至っている。
茶の湯を極めることを諦めた私だが、お茶とは関わって行きたいという思いは強く、今現在は月二回の割合で出稽古に来てもらっている。各企業の社員たちにも広く呼びかけ、今では私を含めて9人の社中である。1月の初釜に始まり、5月は野点、11月は炉開きと年三回ほど茶会を催している。野点と炉開きは私の関わりの深い人々をご招待し、初釜は全グループンの社員を対象に執り行っている。私の我儘で気楽な茶の湯はまだまだ続きそうである。最後に利休居士の言葉を添える。
~茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし~

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