七月の講座から

七月の講座は濵野氏にお願いをした。
濵野氏とは彼が23歳頃からの付き合いだから、かれこれ37~8年になる。これ程長きに亘って途切れることなく、所謂メーカー社員とお付き合いが続いているのは彼だけである。
濵野氏が大学を卒業後、研修期間を終え当時の《八幡ナショナル住宅》に、一介の営業マンとしてメーカーから出向してきた。
私はその時期より半年くらい遅れて、八幡ナショナルの「代表取締役副社長」を拝命し、八幡ナショナルの再建を託されて就任した。35歳だった。
しばらくして出向期間が終了した彼は、メーカーであるナショナル住宅建材に帰っていった。間もなく彼はメーカーの営業担当としてわが社を担当することになった。
彼との結びつきが深くなっていったのは、2005年に大阪南支店に、支店長として就任してからである。当時大赤字の支店を見事1年で黒字に転換させ、3年後には優良支店として経営優秀賞として表彰を受けたのである。その功績を認められ、社員85名の南支店から、社員270名を要する大阪支社長に抜擢された。
私は彼の出世を大いに喜び、いずれはメーカーの役員として活躍するだろうと期待していた。しかし2010年突然長野県に位置する「パナホーム東海」に代表取締役社長として出向を命ぜられた。今でも彼が新大阪の駅から不安いっぱいの声で、私の携帯電話に
『とりあえず行ってきます。香山さんの18か条の憲法だけが頼りです。』と、かけてきたのを覚えている。
彼は5年間で超優良企業に見事育て上げたのである。経営者の資質の良し悪しの判断基準の一つに、退任後、その企業の経営状態がどうかということであるが、現在もパナホーム東海は健全企業として立派にその業績を維持している。
しかしながら、濱野氏に突然の転勤命令が下り、長野から台湾に行くことになるのである。2015年のことである。パナホーム台湾のCEOに就任した彼は生来の真面目さから、手を抜かず悪戦苦闘の末、巨額の累積赤字から脱却し、定年を迎えて現在に至っている。
私はその時々で多少はお手伝いをしたかもしれないが、それは微々たるもので彼の人間観察の鋭さと優しさが、独創的な経営感覚を生み出し、独自の経営スタイルを創り上げたと思う。《ビジョナリー型》《参加型》《指示命令型》をタイミングよく使い分け、その時々において《合うか合わないか》を判断基準に経営を執り行ってきた。
『ナショナル住宅建材』『ナショナル住宅産業』『パナホーム』『パナソニックホームズ』と社名が変わっていった。来年1月7日には『プライムホームテクノロジー』という会社が誕生するらしい。
私は今でも秘かに望んでいる。濵野氏が『パナソニックホームズ』の経営を担当して欲しいと。

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