昭和・平成・令和・閑話

私は昭和23年7月6日に生を受けた。未熟児だった。5歳の時小児結核にかかり8ヶ月間入院生活を余儀なくされた。その間に院内感染で脳脊髄膜炎を患い生死を彷徨った。両親の深い愛情と高額な投薬のお陰で命を頂き今日に至っている。小学6年間4キロの道程を徒歩通学したことが幸いし健康になったと思っている。中学高校と多感な時代を過ごし、気が付けば仲間内で私だけが大学入試に失敗し浪人生活を送った。と同時に大失恋を経験し、人生で初めての挫折を味わった。1年後に中央大学に入学したが、勉学には程遠い大学生活を送った。多くの友人と、二つの哲学『やかんの哲学』『めぐり逢いの哲学』を確立したのが唯一の財産だった。
卒業と同時に父が経営する八幡建設に入社しその年に結婚もし、二男一女の子供にも恵まれた。3年間の営業マン生活と1年間アフターサービスを経験し、岡山営業所を開設し岡山営業所所長に就任した。35歳の時、現パナホーム兵庫(当時八幡ナショナル)の経営再建のため代表権のある副社長に就任し、がむしゃらに5年間を費やした。
平成を迎える頃にやっと事業経営とは?が少しだけ分かりかけてきた。自分が学んだこと、自分が考えたことをいろいろと試してみた。旨くいったことは3割程度で殆どが上手くいかなかった。試される方はたまったものではなかったと、今になって反省している。パナホーム兵庫での戦略の転換は二つあった。営業戦略的には総合展示場からの撤退で、OD所謂組織開発の分野では、能力のリストラを含めた分社戦略だった。この二つは成功だったと今も自負している。 私が八幡ナショナルに就任時には2000万しかなかった自己資本は、退任時には22億にまで蓄積することが出来た。平成23年に私は28年の長きに亘ったパナホーム兵庫の経営から退き、1年間の準備期間を経て、2世3世の経営者のための経営塾『NPO法人志澤塾』を立ち上げ今日に至っている。昭和は物で栄え心で滅んだ時代だと思っている。平成になり、ここ10年くらい前から、様々な異常とも思える社会現象に心ある人々が異論を唱え始めてきた。令和はきっと心身ともに豊かな時代になると信じている。
令和になって二つ嬉しいことがあった。一つはゴルフで三階級制覇したこと、今一つはオリンピックの聖火ランナーに選ばれたことである。ゆっくり下山していく心構えである。

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