今から遡る事約半世紀。私が中央大学の学生だった頃、学生運動華やかしき時代で、例の新宿騒乱罪や安田講堂事件など、歴史の1ページを飾るような出来事を目の辺りで体験をした。しかし我々のグループはその集団に属することなく、所謂《ノンポリ》と称し、殆ど毎日を怠惰に過ごしていた。
或る時、どちらのグループにも属さない友人の一人が、「香山、お前は一体何をしているのか⁉毎日毎日麻雀か女の尻を追いかけ回して!これでも読め」と言って、手渡されたのが、五木寛之の《青ざめた馬を見よ》だった。私は忘れかけていた読書熱が再燃し、斬新で潔癖な思想とおしゃれさが加わった《五木文学》の虜になり、次から次へと読破していった。朱鷺の墓・戒厳令の夜・デラシネの旗等々・・・そして長編《青春の門》は大学を卒業後も継続して読み、テレビドラマや映画にもなり私を退屈させることはなかった。何故か今でも印象に残っているのは『ソフィアの秋』である。当時ブルガリアへ本気で行きたくなったことを思い出す。
五木寛之は1932年福岡県に生まれるが、生後間もなく父親の勤務に従い朝鮮に渡り、平壌で終戦を迎えることになる。戦後の混乱期に母親を亡くし、父親と幼い弟と妹三人で命からがら、1947年福岡県に引き揚げる。劣悪な環境中様々なアルバイトで凌ぎながら早稲田大学文学部に入学するが学費が払えず抹籍される。その後は音楽プロダクションに席を置き、様々な作詞活動を展開しながら結婚もし、当時のソビエト連邦を始め北欧各地と妻女共に旅をした。帰国後、モスクワでの出来事をテーマに《さらばモスクワ愚連隊》で文壇デビューし、翌年1967年発表した《蒼ざめた馬を見よ》で直木賞受賞する。それが縁で1978年から32年間の長きに亘って、直木賞の審査委員を務めた。二度目の執筆活動休止期間中に龍谷大学の聴講生になり浄土真宗の研究をし、小説親鸞を新聞紙上に掲載し、私自身も切り抜きをしながら読む機会を得たのである。
私の人生の後半に影響を与えたのは《人生の目的》と《下山の思想》である。特に下山の思想は、今まさにその思想に従って毎日を生きている。私が最も気に入っている、大徳寺の老師の作である『お茶杓』に《下山》と命名している。
あと何年の命を頂いているか知る由もないが彼の教えに従って《生きて行く》ことに一点の迷いもない。
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