紆余曲折・聖火リレー

紆余曲折・聖火リレー

半世紀以上遡ること、1964年に《第18回夏季オリンピック東京大会》が開催された。当時私は高校生で、オリンピックを機に我が家にテレビが購入されたのを覚えている。一番の思い出としては、体操や男子レスリング(女子はまだなかった)男子柔道(柔道も女子はなかった)での金メダルも記憶にはあるが、なんといっても鬼の大松監督率いる女子バレーの優勝である。世界の女王ソ連を相手に、回転レシーブを駆使し、打ち出す強打を拾いまくり、相手のミスを誘いながら攻撃へと繋げ、見事に勝利したのである。当時東洋の魔女と恐れられ、世界の一流舞台に立ち続けることになった。
例の《おもてなし》で東京でのオリンピック開催が決まり、国民は大いに歓迎ムードに包まれた。オリンピック競技場も完成し、いよいよ一年後に開会が迫ってきたある時期に、私はせっかく日本で開催されるのだから、どのような形にせよ参加したいという欲望が湧いてきたのである。今更選手にはなれそうもない。ましてやスポンサーは無理である。残された道はただ一つ、それは《聖火ランナー》という選択である。いろいろ調べてみると、有名人でない私に残された道は公募、という形だった。公募にも二つ方法があって、一つは県に申し込みをする、今一つは推薦枠を持っているメインスポンサーに申し込む方法である。市役所に出向き兵庫県に申し込む書類を頂いたが、その関門は極めて難しいことがわかり、スポンサー企業について調べてみると、メインスポンサーは4社あって、「NTT」「トヨタ自動車」「コカ・コーラ」「日本生命」。NTTには知り合いはだれもいないし、コカ・コーラは飲まないし、残るは二社だが、と迷った結果日本生命に絞った。
すぐさま姫路支社に連絡を取り、申し込み用紙を頂いた。それが2019年7月だったと記憶している。志望動機の小論文も書き、申し込みを行った。結果は12月に判明すると言われ、ダメもとで待っていると、11月の中頃に担当者から内定の連絡が入った。口外は口止めされたが、事務員と家内には抑えきれずそっと報告をした。
そのころから世界の様相に変化が出始めたのである。『新型コロナ』という感染症が徐々に我々の身近に迫ってきたのである。2020年3月に早々と1年の延期が決まり、再度小論文を提出するように依頼があり、書き送った。その後新型コロナの脅威は増すばかりで、世界は完全にパンデミックの状態に陥った。アテネから運ばれた聖火の灯は1年近く福島にとどまる結果になり、今年ようやく3月24日福島を皮切りに聖火リレーは始まったのである。
聖火リレーの兵庫県における日程は5月23日・24日である。私は23日に音水湖周辺を走る予定だった。しかしながら緊急事態宣言下においては致し方なく、姫路城三の丸広場で『トーチキス』という形式で執り行われることとなり、昨日無事終えることが出来た。見学並びに応援者は一人の聖火ランナーに付き蜜を避けるために二人と決められ、家内と長男が参加した。夕方5時半から国宝姫路城を背景に執り行われたセレモニーはそれなりに風情があった。聖火ランナーそれぞれに個性溢れるパフォーマンスを繰り返しながら、午後7時半頃終了した。

最近東京オリンピック開催の是非について論じられているが、いわゆる知識人や文化人と称される類の人々は挙って、中止、もしくは延期などと無責任な発言を繰り返している。それがあたかも正論のごとくに、である。私は憤りを感じざるを得ない。どうしたら無事に、こう言う方法で、こんなやり方で行ったらどうかと言う提案が何故出来ないのか、と思う。国民挙げてどのような形式にせよ是非とも成功させたいと、私は願っている。

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