あなたによりそって ~with you~

  3月の講座は少々重い講座になった。
神戸新聞を定年で退職された後、多少体調を崩されていたが今は元気になられ、社会福祉法人「はりまいのちの電話」事務局長として、ボランティア活動をされておられる増田氏に3月12日の講義をお願いした。
自死の予防を目的とされる《いのちの電話》は全国組織で展開されており、そのルーツは1953年ロンドンにおいてヴァラー牧師の手によって始められ、今では世界100カ国に存在し、日本では1971年東京に開局された。続いて1978年に神戸で開局され、1988年「はりまいのちの電話」がこの播磨地方に開局された。
「はりまいのちの電話」の電話番号は『079-222-4343』である。毎日365日午後2時から深夜1時まで受け付けている。年間12万件以上の電話があるにもかかわらず、つながる数は1日19件程度で、年間7000件程。その確率は6%しか受け答えが出来ていない現状である。その原因は①一人の平均通話時間が69分、長いのは2時間以上にも及ぶとの事。②相談員の数が登録人数61人、実働44人と圧倒的に少ない事。(相談員は全くのボランティアで無給)③予算が不足している。等が挙げられる。
全国で自殺者の人数はピーク時には3万人を超えていたが、今は減少傾向にある。とは言え2万人を超えており、その数は交通死亡事故者の6倍に当たる。
私は先日少しだけ寄付をさせて頂いた。
~もし、あなたが自殺を考えているなら、取り敢えず『079-222-4343』に電話してください。仮につながらなかったとしても、死ぬことはいつでもできます。せめて明日に延ばしてください。お願いします~

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桜子初節句

昨年の5月に二人目の孫が生まれた。今回は女の子だった。
初孫、倫太朗の時と同様我々夫婦の意見は採り入れられず、命名は《桜子》と名付けられた。
孫の誕生と被るように今から約半世紀前に私たちの長女として生まれた《あずさ》のことが思いだされる。あの時は友人の結婚式で東京に行き、もう一晩宿泊するつもりであったが取り止めて帰郷した。その翌日、1月15日に長女が誕生した。今《あずさ》は遠く離れたウィーンで暮らしており、かれこれ20年が経過しようとしている。年に一度夏休みを利用して日本に帰ってくる。家内は何度かウィーンを訪れたが、私は7年前に一度だけヨーロッパ旅行の途中に立ち寄って娘と旅をした。
家内は長男の嫁と一緒に桜子の初節句を祝って、先月の末に姫路のデパートに出掛け『おひな様』を買い求めた。それが自宅に届いたという連絡を受けたので私は「桜子」に合う目的とおひな様を愛でるために長男の自宅を訪問した。昔は七段飾りとか五段飾りなどが持て囃されたが、昨今は「男雛」と「女雛」の一対が主流だそうである。
中々上品な顔立ちで、多分美人になるだろう《桜子》にふさわしいおひな様だった。
小一時間ほど滞在し、長男宅を後にした。
ただ寂しく思う事がある。桜子の花嫁姿は見ることはない。明るく生きて欲しいと願うばかりである。

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波裡庵雑記

波裡庵とはお茶室の名前である。
塾を開講するにあたり、モデルハウスを購入し、その空いたスペースを利用し茶室を増築した。その茶室を『波裡庵』と命名した。
私のお茶とのそもそもの関りは茶室から始まっている。20年以上も前からお茶室が建てたくて仕方がないという衝動に駆られ続けていた。当時はその余裕もなかったが、第一線からの引退の道筋が見え始めたのをきっかけに、本格的に茶室建築構想を描き始めた。茶室を創るのならお茶の一服も点てなければと思い、この播磨地方で最も相応しい「河嶋宗康」先生に師事し習い始めた。
7年ほどが経過し、一応初級・中級と許状も頂き上級の一歩手前まで進んだ頃に、私はこの先何十年お茶を習ったとしても極めることは出来ないと悟り河嶋社中を退くことにした。茶道は日本文化の全てを凝縮していると思う。
茶道のお点前は勿論、お道具の由来・所作振る舞い・お軸・茶花・はたまた香道に至るまでその奥義を推し量ることは出来ない。
遣唐使によって伝えられた茶は、戦国時代になると武将たちは挙って茶の湯に没頭し、貴重な茶道具を所有するのが一種のステータスになった。この時代に登場したのは堺の豪商の子として生まれた《千利休》である。利休は信長・秀吉の茶頭として重用されるがご存知の通り、後に華美さを好む秀吉とわび茶を追求する利休との間に亀裂が生じ、茶の湯に関する決定的な価値観のずれを修復することが出来ず数奇な運命を辿ることになる。
利休から数えて三代目「宗旦」を境に、《武者小路千家官休庵》《表千家不審庵》《裏千家今日庵》の三千家に分派し、利休の目指したわび茶を継承しながら今日に至っている。
茶の湯を極めることを諦めた私だが、お茶とは関わって行きたいという思いは強く、今現在は月二回の割合で出稽古に来てもらっている。各企業の社員たちにも広く呼びかけ、今では私を含めて9人の社中である。1月の初釜に始まり、5月は野点、11月は炉開きと年三回ほど茶会を催している。野点と炉開きは私の関わりの深い人々をご招待し、初釜は全グループンの社員を対象に執り行っている。私の我儘で気楽な茶の湯はまだまだ続きそうである。最後に利休居士の言葉を添える。
~茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし~

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父の三回忌

父が91歳で亡くなって2年が経過した。
生前は私と事業経営や生き方について全く相容れなかったが、亡くなってみると不思議と良い面だけが浮かんでくる。本当に得な人である。あれほど入院を嫌がっていたくせに、我々の懇願にも似た説得に応じて隣町の病院に入院した翌日の朝に息を引き取ったのである。入院を承知した時点では、我々身の回りの者が代わる代わる病院に詰めようと、前日に話し合っていたのが、現の世界のように感じられた。あっけないと言えばあっけなかったが、我々の手を取らせることはなかった。(お手伝いさんは相当困らせたと思うが)~お前達の世話にはならん~と言う声が聞こえそうだった。
平成31年1月26日。心あるものばかりが相集い父の三回忌を執り行った。
昨年同様小雪のちらつく中、皆それぞれに「昨年も雪が降っていたなあ」と言いながらお墓参りをした。
場所を変え簡単な食事会を催し、子供たちの賑やかな笑い声の中、我々は様々に思い出話に花を咲かせた。
次は七回忌である。そこまでは私の代で何とかなると思うが、それ以降は子供たちに託すことになりそうだ。
ぼちぼち私も遺言書の作成に取り掛かる準備をしなければ・・・

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大川氏大いに語る!

今や大川氏を賃貸業界では知らない者はいない、という存在である。
彼との出会いは私がまだパナホーム兵庫の社長就任中に、パナホームのアパートを購入し、それをきっかけにオーナーズクラブに入会し、その総会で面識を得たのが最初だった。
それから何年か後に社長を退任し志澤塾を開講するにあたり、塾生を公募した際に彼が応募し再会したのである。2年位は比較的出席率もよかったのだが、多忙を極めるようになり、休会したいという申し出があり、塾生としては現在に至っている。
私は本当に真に望む情報とは知らぬ間に集まってくるものである、と考えている。集めようとして集める情報などたかが知れていると思っている。ある日何処からともなく彼が執筆した書物が私の手元に転がり込んできた。
題名は『新聞少年が一代で4903世帯の大家になった秘密の話』である。
私は読み終えると同時に彼にアポイントを取り、今回の塾での講義のお願いをした。彼は快諾してくれた。
2019年2月現在で、303棟・5024世帯・駐車場2733区画を所有しているビッグオーナーである。
彼は今どき珍しい《中学卒》である。彼のスタートは1987年に読売新聞の配達をする、所謂新聞少年から始まっている。彼の努力が認められ、若くして店長を任され、早くも2003年には最初の収益物件を手に入れている。彼は中古物件しか購入しない。何故なら家賃が下がる心配はないし、リフォームすればそれ以上の家賃が期待できるからである。彼が当面目指しているのは、ITやYouTubeを巧みに織り交ぜながら、母子家庭を中心に家賃0の物件の提供である。
この先が楽しみな男性であり、久しぶりにワクワクさせらる人物である。見守っていきたい一人である。
志澤塾の《枝垂れ梅》が知らぬ間に満開を迎えようとしている。もうすぐ3月である。1日からお水取りも始まる。4月には新しい年号も公になり、5月に新天皇が即位される。
これからの5~10年、正しく《下山の思想》である。

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夢を見た

昔学生のころ、特に受験勉強をしている頃、テストに出題された問題を見たとき、どこかでこの問題を見たことがある、と思ったが、どの場面で遭遇したのか思いだせなかったことが度々あった。また旅行で初めて訪れた場所にも関わらず、以前に見た風景の様な思いになったこともしばしば経験した。
夢の研究はいろいろな人が行い、大変興味深いものがある。フロイトもその一人であるが、夢の予知能力に関して様々な分野で研究し発表している。
ビートルズの大ヒット曲《Yesterday》はポールが夢の中で耳にしたメロディーをそのまま曲として表しただけだそうである。相対性理論を発明した《アインシュタイン》も夢の中でソリに乗った時に閃いた理論である。その他数多くの著名な学者や作家が、自分の見た夢に影響を受け多くの実績を残している。
~先日立憲民主党の『枝野氏』が私に会いたいとアポを申し込んでこられたのでお会いした。彼が言うのには私に立憲民主党の党首になって欲しいと云うのである。もちろん私は固辞した。しかし彼に強力に迫られた。「今の日本を救うのは香山さんしかいない」と言うのである。~
と言う夢を見た。
「厚労省」を含めた官僚社会の構図。1100兆円にも上る国の借金。幼児及び障害者を含む弱者虐待の社会環境。
どれ一つ取っても全く出口は見えない。いまさら私が出来ることはない。おそらく命果てるまでの間に解決はしないであろう。私に出来る事と言えば強く願うことくらいである。
それでもいい、願い続けよう・・・

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立春

立春、という言葉を聞くだけで何かウキウキする。寒かった冬が多少ではあるが過ぎ去っていくように感じる。
前日の三日は節分である。子供の時はあちらこちらの家に豆を拾いに行った記憶がある。私が住んでいる部落では、その当時は各家庭で豆まきをする風習がなかった。多分私の記憶では日蓮宗の宗家が豆まきをしていたように思う。子供達はお互いに誘い合って拾いに行ったものである。その宗家も心得たもので、豆を撒く時間帯を微妙にずらして、我々ガキどもが行きやすいように配慮してくれていた。
大人になるころにはその風習もなくなり、それぞれの家庭で子供たちに豆まきをするようになった。豆と言っても豆はわずかでチョコレートや飴やお菓子類を投げ、家庭行事のようになった。それも子供が大きくなると自然と行わなくなった。
今は恵方巻が流行りである。海苔業者の回し者かと思っていたら決してそうではなく、意外と歴史があって、江戸時代に一部の商家の旦那衆のお遊びとして行われていたそうである。
今年の方位は《東北東》だそうで、我が家も馴染の寿司屋で調達し《東北東》に向かって無言で丸かじり行事を執り行った。
今日からは暦の上では春である。そして3月になるとお水取りが始まる。
こうして日本の四季は我々の煩悩など全て呑み込みながら移ってゆく・・・

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文科省さん!何とかして‼相撲協会を!

私の相撲歴は相当長い。最初にファンになったのが「吉葉山」だから、かれこれ60年以上になる。その当時は個性溢れる力士がいたものである。「千代の山」「鏡里」「鳴門海」「成山」「三根山」「大内山」「朝汐」「出羽湊」「鶴ヶ嶺」「大起」・・・
次の世代が「栃錦」「若乃花」いわゆる栃若時代である。それから柏鵬時代(柏戸、大鵬)になり、それに代わって現れたのが「北の湖」から「千代の富士」時代である。そして若貴時代へと移ってゆく。
若貴が人気を浴びたのは、それまでの慣習みたいなものを打ち破ってガチンコ相撲を展開したからである。若貴が現れるまでは、千秋楽を7勝7敗で迎えた力士は必ずと言っていいほど勝ち、8勝7敗で終えたものである。それが良いとか悪いとか言う問題ではなく、当たり前のこととして受け入れられていた。
若貴の時代からガチンコ相撲になり、それと同時に怪我が多くなっていった。結局貴乃花も怪我で引退を余儀なくされたのである。確かにガチンコ相撲は面白い、が多少情もあっていいかなとって思ってしまう。
若貴時代の終焉と共にモンゴル時代が到来する。朝青龍、白鵬を筆頭に日馬富士、鶴竜、照ノ富士、逸ノ城そして今場所優勝した玉鷲。
我々が待ち望んだ和製日本人横綱「稀勢の里」もあっけない幕切れに終わってしまった。私はあの怪我の原因になった日馬富士との対戦に疑問を持っている一人である。あの勝負は決まった後に故意に覆いかぶさったと思っている。もちろんモンゴル包囲網である。
相撲は本来日本の国技である。モンゴル力士が強いから仕方ない、のかもしれないが、相撲協会、各部屋が利益に走り過ぎている、としかいいようがない有様である。一連の貴乃花事件も私にとってすっきりしない事柄だった。全く目を覆いたくなる惨状である。今や相撲協会は白鵬の意のままの様な気がしてならない。
正式には『公益財団法人日本相撲協会』という名称で《文部科学省》の管轄下にある。
このままでは相撲は日本の国技などと言えなくなる。
何とかしてほしい、文科省。
暗黒時代が来る前に、と願う一相撲ファンである。

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いくちゃんとラーメン屋

いくちゃんの場合
いくちゃんとは、宍粟市にあるマッサージ屋、正確にはリラクゼーション屋で、あまりマッサージそのものが好きではない私が唯一通っているマッサージ店である。(妻も通っている)行き始めてかれこれ6年近くになる。I子とT女とY女の三人で共同経営をしながら施術も行っている。最初の頃に三人を波裡庵に招待し、私のお点前でお抹茶を振舞ったこともあった。
時は流れ、当時はうら若き独身三人娘も結婚し、I子とT女は子育てに追われる日々で、辛うじてY女だけが細々と営んでいる。最近はなかなか予約も思い通りには取れなくなり、行く回数も減っている。と言って他のお店には行く気にもならずに自然に任している。可能な限り続けていくつもりだそうだが、はたして?

ラーメン屋の場合
姫路の飾磨にあるラーメン屋だが、今の店より3キロくらい南の線路際に在った時分から行き始めたから、四半世紀が経過していると思われる。
その間本人が体調を崩したり、奥様が亡くなったりして途切れたりしたが、すっとぼけた風貌に似合わず手早く、高菜を名物に好まれる味を武器にたいそうお客で賑わっていた。
この間行くと、一台の車も停まっていない。普段は幹線道路に順番待ちの車が3~4台並んでいるのにおかしいと思い、店の駐車場まで行くと張り紙がしてあり、
《体のメンテナンスをしております。少しの間やすませてください。歳には勝てません》
とある。店主独特のシャレである。
私は復活は難しいのでは?と言う思いがよぎった。私の心に隙間風が吹き抜けていった。

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初釜風景

波裡庵(茶室の名)が主催するお茶会は年間3回行う。5月に野点、11月に炉開き、そして1月の初釜である。野点と炉開きのお客様は私がお招きをするが、初釜はグループ全社員が対象である。今年は1月12日に執り行った。
予め出席人数を把握し、その数だけ「花びら餅を準備する。今年は220個用意した。
           午前10時から始まり、大体午後1時頃には終了する。お茶室に入れるのは6人くらいが限度なので実際のお点前で頂く人数は自然と限られてくる。
私は最初にお点前をし、1回後見についた後は志澤塾内に設置したテーブルでお茶を頂いている社員に「花びら餅」のいわれ・お茶の頂き方・腕時計や装身具は身から取り外すことなどなどを平易に話する。何かの縁でお茶会に出席することがあったときに慌てずお茶を頂けるようにと思っている。
  
  ~花びら餅 湯気の向こうは 笑いあり ~(拙作)
こうして一年が始まりそして過ぎて行く・・・・

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