コウヤマクンPayPay始める

散歩の途中ローソンに寄った。目的はPayPayデビューをするためである。それでも巧く使えなかったらに備えて、ポケットには1000円を忍ばせていた。
のど飴一袋・ガム2個・祝儀袋を買い求めレジに向かう。恐る恐る、
「あのーPayPayで支払いたいのですが」と言って、携帯の画面からPayPayを呼び出すと、店員はいとも簡単にバーコードをリーダーでなぞる。623円。完了。
思えばここまでの道程は長かった。初出の挨拶で《PayPay》に挑戦します、と言った手前実行しなければと、最初に携帯を購入したauのお店に相談がてら行くことにした。店員との対応の中でID番号は通知されているがパスワードが分からない。思い当たるパスワードを入力してみたが何れも合致しなかった。店員が「姫路のピオレの2階にAppleの事務所がありますから、そこならパスワードが分かると思います」と言うのでAppleへ出かけたが「うちでは分からない」と言う。どうすればいいのかと問うと、「パスワードを変更するしかない」と言う。「ここに連絡して相談してみてください」と電話番号を渡された。教えられた番号にしてみると、ガイダンスが流れ、その意味が全く理解できない。その電話番号を持ってまた最初のauのお店に行く。店員は丁寧に対応してくれて、新しいパスワードに変更してくれた。
三井住友銀行の口座から引き落としてくれるように依頼したが、どうも私のキャッシュカードが古すぎて支店ナンバーが違っていたらしく、郵貯銀行口座を使用することにした。もうこれで使えると思っていた。郵貯銀行口座には残高があまりないので、すぐさまいくばくかのキャッシュを入金した。PayPayの使えるドラッグストアに行き、「PayPayで」と胸を張って店員に携帯を翳したが《使えない、残高がない》と言うのである。この間入金をしたのにそんなわけがないと思ったが、出来ないというので仕方なく現金で支払った。
私は銀行に残高があれば使えるものとばかり思っていたのである。またauへ出かけ尋ねてみると、銀行口座からPayPay口座にチャージしないと実際には使えないのである。
そして本日を迎えたわけである。
【のど飴一袋・ガム2個・祝儀袋】神棚に祀りたい心境である。

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昭和・平成・令和・閑話

私は昭和23年7月6日に生を受けた。未熟児だった。5歳の時小児結核にかかり8ヶ月間入院生活を余儀なくされた。その間に院内感染で脳脊髄膜炎を患い生死を彷徨った。両親の深い愛情と高額な投薬のお陰で命を頂き今日に至っている。小学6年間4キロの道程を徒歩通学したことが幸いし健康になったと思っている。中学高校と多感な時代を過ごし、気が付けば仲間内で私だけが大学入試に失敗し浪人生活を送った。と同時に大失恋を経験し、人生で初めての挫折を味わった。1年後に中央大学に入学したが、勉学には程遠い大学生活を送った。多くの友人と、二つの哲学『やかんの哲学』『めぐり逢いの哲学』を確立したのが唯一の財産だった。
卒業と同時に父が経営する八幡建設に入社しその年に結婚もし、二男一女の子供にも恵まれた。3年間の営業マン生活と1年間アフターサービスを経験し、岡山営業所を開設し岡山営業所所長に就任した。35歳の時、現パナホーム兵庫(当時八幡ナショナル)の経営再建のため代表権のある副社長に就任し、がむしゃらに5年間を費やした。
平成を迎える頃にやっと事業経営とは?が少しだけ分かりかけてきた。自分が学んだこと、自分が考えたことをいろいろと試してみた。旨くいったことは3割程度で殆どが上手くいかなかった。試される方はたまったものではなかったと、今になって反省している。パナホーム兵庫での戦略の転換は二つあった。営業戦略的には総合展示場からの撤退で、OD所謂組織開発の分野では、能力のリストラを含めた分社戦略だった。この二つは成功だったと今も自負している。 私が八幡ナショナルに就任時には2000万しかなかった自己資本は、退任時には22億にまで蓄積することが出来た。平成23年に私は28年の長きに亘ったパナホーム兵庫の経営から退き、1年間の準備期間を経て、2世3世の経営者のための経営塾『NPO法人志澤塾』を立ち上げ今日に至っている。昭和は物で栄え心で滅んだ時代だと思っている。平成になり、ここ10年くらい前から、様々な異常とも思える社会現象に心ある人々が異論を唱え始めてきた。令和はきっと心身ともに豊かな時代になると信じている。
令和になって二つ嬉しいことがあった。一つはゴルフで三階級制覇したこと、今一つはオリンピックの聖火ランナーに選ばれたことである。ゆっくり下山していく心構えである。

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道路交通法

私は大学在学中に東京で運転免許証を取得した。大学がストライキ中で一層暇な時間を持て余していたので、その時間を見計らって教習所に通った。実家から教習所のための費用は仕送りしてもらったのであるが、中間くらいまで差し掛かった時に、教官と大喧嘩をして(あまりに教官の態度が悪く腹に据えかねた)辞めてしまったのである。気が付いたころには仕送りしてもらっていたお金はすっかり使い込んでしまっていた。困り果てて試験場(こちらで言えば明石の試験場)に飛び込みで受験したが、学科は合格したが実地はことごとく落とされたのである。実家には今更免許取得のお金を送れとは言えないし、困り果てた挙句一か八か馬券を買うという手段に出た。丁度ダービーが開催される日であった。全くの思い付きで買った《ダイシンボルガード》が勝利し、大穴馬券「39600円」をゲットし、何とかそのお金でもう一度頭を下げ、もとの教習所に戻り無事に免許証を取得することが出来た。半世紀前の事である。
この12月6日に運転免許証の点数が満点「15点」に回復した。長い1年間だった。一回は一時停止違反でそれは私の全くの不注意だから全面的に私に責任がある。今一つは覆面パトによる速度違反である。そもそも道路交通法の基本的理念は、運転手が安全に道路を通行し、事故の無い快適な運転がスムーズに行われることだと思う。その精神からすると「覆面パトカー」は違反を捕まえるための手段としか思えない。普通のパトカーだけで充分である。白黒のパトカーが見回りながら、スピードが出過ぎている車を発見したら、マイクで《スピードを控えてください》などと注意を喚起するべきである。
そうは思いませんか?
~追伸~
近日中に姫路警察に伺うつもりである。何をしに?どう考えても信号機の不合理な場所とシステムがあり、その修正をお願いに行くつもりである。

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播州信用金庫和田理事長登壇

和田氏との出会いは神戸新聞社での対談がきっかけだった。神戸新聞が理事長に新聞紙上においての対談記事を掲載したい旨を伝え、その対談相手を理事長に一任され、なぜか当時殆ど面識がなかった私が指名され対談の運びとなった。10数年前だったと記憶している。対談の内容は殆ど覚えていないが、多分顧客満足所謂CSについてだったと思う。それ以降何度かお食事をご一緒したが、これは私の推測であるが、私が全くの下戸であるため途絶えたと思っている。
今回塾での講義をお願いに伺ったところ、快諾して頂き機会を迎えたのである。
演題は『現在の金融情勢と地方経済』でお願いをした。
今現在播州信用金庫は67店舗で事業を展開されているとの事で、取り巻く厳しい金融市場と人口減少を考慮する時、やはり大都市に支店展開をしていくことが肝要で、大阪を中心にさらに20店舗を増設して乗り切ってゆく、と力強く話された。
また経営姿勢もユニークで、支店長は手を上げ立候補したものから選んで抜擢されるのだそうで、建物もすべて総ガラス張りで道を歩く人からも内部が見通せる形式になっている。これは一種の危機管理で、金融強盗を防御するためだそうである。
以前は製造業が海外に工場を作り、安い賃金でコストを押さえ製品を供給してきたが、製造業だけではなくこれからはソフト企業も、例えばコンビニやダイソーなどもどんどん海外進出していくだろうとおっしゃられた。
これからも元気で地方経済の発展の為に尽力を賜りたいと願った初冬の午後であった。

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ちょっと気になる三人

①鈴木愛の場合
ゴルフファンならだれでも知っている通り、今年度の賞金女王である。一昨年に続き二度目の栄誉である。今年はいろいろと怪我で苦しみ、途中ゴルフの出来ない時期があったが、それを乗り越え復帰するや否や、3週連続優勝し見事賞金女王に輝いた。なんと年間7回優勝したトッププロである。1勝も出来ずにプロの世界から多くの人が去っていく中、彼女は押しも押されぬ超一流選手である。その超一流選手が事もあろうか、最終戦のリコーカップのラウンド終了時に行われるインタビューの中で、彼女の発したコメントが私は気になって仕方がないのである。
~帯同キャディが風を読み間違えて林の中にティショットを打ち込んでしまった。頭にきてそのキャディを怒った~
《あらゆるプレーの責任は全て本人である》
~渋野さんにだけは勝って欲しくない~
《私も最善を尽くすから渋野さんも頑張って下さい》
どんなスポーツにおいても芸術の分野においても事業面においても、最終的には人間性が最も大切なのである。

②中田喜子の場合
彼女は才媛である。女優として各方面で幅広く活躍しており、また若くしてNHKのジェスチャーゲームの紅組のキャプテンを務め、司会者としてもその才媛ぶりを遺憾なく発揮し、お茶の間の人気を博したものである。
その彼女が「プレバト」という人気番組の中で、俳句部門で唯一女性名人位を獲得しているのであるが、若手のエリート女性が昇格試験に挑戦している中で、
~頑張って欲しいが昇格して欲しくない、私に並ばれるのはちょっと~
《それはないでしょ!中田さん》

③岩永徹也の場合
彼のIQは180である。人口の2%しか存在しないそうである。メンサ会員として登録されており、超エリート集団を形成しているのだそうだ。その超エリートの彼がネプリーグというクイズ番組の中で、ファイブボンバーというジャンルで出題されたのが、この中で今年の流行語大賞にノミネートされたものの名称を答えなさい。もちろん分かり易いヒントは図式で表されているのだが。
~彼は何一つ、oneTEAMさえ答えられなかった~
《無用のIQである》

今年もあと25日もない。そしてまた新しい年が始まる。我々の煩悩など無視して時はゆく。

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イトデンエンジニアリング会長のお話

IOTとはinternet of thingの頭文字をとったもので、直訳すればモノのインターネットの事であり、全てのモノがインターネットにつながることで、其々のモノから個別の情報を取得し、その情報を基にAIが最適な方法を選び出し、そのモノを制御できるという仕組みである。具体的にはあらゆる分野で既に動き出しており、例えば自動車業界においては10年以内位には自動運転が完全に実施されるだろうし、医療の分野では米国の医者が遠隔装置で、日本の病院で患者の手術も出来る。介護施設や建築現場、農業分野においてもIOTはすでに実用化されており、IOT抜きでは今からの産業は成り立たない。スペインのバルセロナはスマートシティと呼ばれており、IOTを駆使した街づくりが進んでいる。
播磨地域において最も進んだ最先端企業がイトデンエンジニアリングである。今回の講座は会長自らIOT技術を用いた現場を、パソコンとプロジェクターを通して我々に画像で分かり易くビジュアルに説明して頂いた。
私の最も苦手な分野であるが、これを機に避けて通れないと自覚して少しでも挑戦してみようと思った。

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畏るべし15歳

私は宮古島で令和を迎えた。しかもたった一人で。
何気なしにテレビのスイッチを入れチャンネルを回していると、大きく平成から令和へと時代が変わる局面において、様々な学者や知識人と称される人々が天皇制や経済面や社会構造の変遷について、それぞれの立場においてコメントしたり持論を展開しておられた。その中でひときわ目立つ少女の存在が目についた。
芦田愛菜である。
天才子役として鮮烈にデビューをし、福くんと歌った「マル・マル・モリ・モリ」が大ヒットし、その年の紅白にも選ばれ出場を果たした。その後女優として数々の映画に出演し、新人賞を総なめにするのである。2015年頃からぶらテレビからもスクリーンからもその姿を見ることが無くなり、どうしていたのかと思っていた矢先の出演だった。
年齢的にはご両親くらいの人達に交じって、堂々としかも淡々と述べていた。勉学の為一時休養していたのだそうだ。受けた有名中学受験は全て合格し、今は慶応中学に通っている。NHKの朝ドラ《なっちゃん》のナレーターを最年少で勤め上げた。
その芦田愛菜がこの間、11月9日に執り行われた天皇陛下即位の礼で祝辞を述べたのである。その姿は凛として全ての視聴者に感銘を与えた。
もう芦田愛菜《ちゃん》とは言わせない、末恐ろしい15歳である。
どんな大人、どんな女性に成長していくのであろうか、私は残念ながら見届けることは不可能である。日本も地球も託したい。

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私の2019年ゴルフ総括

私の2019年のゴルフは、11月4日に終焉を迎えた。

その日は微風好天の中、ゴルフ日和に恵まれた。ジョイックスゴルフクラブにおいて、クラブ選手権・シニア選手権・グランドシニア選手権制覇の記念ゴルフコンペ、ならびに祝賀会を開催した。クラブ選手権は2001年に、シニア選手権は2011年及び2012年に、そして今年グランドシニア選手権に勝利し、グランドスラムを達成することが出来たのを機に祝賀会を催した。総勢206人の皆様に参加していただき、多少の混渋はあったものの和やかなうちに無事終えることが出来た。行き届かない点もあったと思うが、文句も言わずに最後まで盛り上げて頂いた。古市忠夫プロによる始球式・岡田彰布氏による乾杯。全てに感謝しかない。これからもゴルフを益々楽しんで行こうと思った。


一方KGU(関西ゴルフ連盟)主催の競技は、ミッドシニア、グランドシニアとも予選を通過できなかった。その試合を通じて様々な課題が見つかり、来年はせめて予選は通過したいと思っている。また加古川ゴルフ倶楽部で執り行われたグランドシニア選手権では、昨年と同じ準決勝で同じ人物に同じ17番ホールで敗退した。自分自身の未熟さを思い知らされる結果となった。来年の目標がまたひとつ出来たと思い精進しようと誓った。
女子ゴルフ界は何と言っても「渋野日向子」選手の活躍を挙げなければならない。全英女子オープンでの優勝は久々にゴルフ界にとって明るい話題を提供してくれた。試合中に笑顔を絶やさず、おやつ代わりに食べていた《タラタラしてんじゃないよ》(実は私のコンペの参加賞に副賞として使用した)は爆発的に人気になり売り切れが続出し、店頭からは姿が消えてしまうほどだった。しかしながら今年の日本女子オープンにおいて、「畑岡奈沙」選手と渋野選手が同組でラウンドしている風景をテレビで見たが、畑岡選手と渋野選手ではやはり一枚も二枚も畑岡選手のゴルフの方がレベルが高いと感じた。今日本の女子ゴルフ界は黄金世代と称される20歳を中心に展開されているが、他の世代も来年は是非活躍して欲しいと願っている。
男子ゴルフ界は今氷河期かも知れない。石川遼を会長に据え、その人気にあやかろうとしているが長年の怠慢の積み重ねが今日の有様なので原点、すなわちスポンサーおよびギャラリーを大切にするところから立て直しを計って欲しい。先ず服装態度から改めるべきである。クラブハウス内でのジーパン、Tシャツ下駄ばきは慎むべきである。その中で遼君が復活したのは明るい話題である。
負けても勝っても、ミスしても上手くいってもゴルフは楽しい。こんなスポーツに巡り会えて私は幸せである。

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なつぞらとスカーレット

NHKの朝ドラにいわゆるはまりだしたのは、《あまちゃん》からだと記憶している。
能年玲奈が主演で、脇を宮本信子や小泉今日子が固め、東北の漁師町を舞台に、アイドルを目指す物語であった。そのドラマであまちゃんの母役である小泉今日子扮する春子の若いころの役を演じたのが有村架純で、その後大ブレークして今日に至っている。放送が終了した時、あまロスという言葉が流行った。私もその一人だった。片や能年玲奈は理解しがたいスキャンダルに巻き込まれ、一時は引退の危機もささやかれたが、女優名も《のん》と改名し、天性の優れた感性で少しずつ表舞台に現れるようになってきた。《のん》の出身は我々のすぐ近くの田舎町であり、有村架純も兵庫県出身者である。二人共息長く活躍して欲しいと願っている。
今、朝ドラは10月から「スカーレット」が始まっている。9月までは「なつぞら」だった。「なつぞら」はNHK朝ドラ100作記念に当たり、過去において主演した女優がたくさんゲストで出演した。山口智子・松嶋菜々子・小林綾子・田中裕子・比嘉愛未・貫地谷しほり等々である。主演の広瀬すずは若いにも拘らず、しっかりとした演技力で堂々と長丁場を乗り切った。草刈正雄との絡みのシーンでは幾度となく目頭が熱くなった。
スカーレットの主演は戸田恵梨香である。まだ始まって1ヶ月ほどだが、「広瀬すず」と「戸田恵梨香」は全く異質である。「広瀬すず」は確かに演技力はあるが、所詮演技である。一方「戸田恵梨香」は「川原喜美子」そのものである。
スカーレットも一作も欠かさずビデオ録画も挟みながら、最終まで見てしまいそうである。

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淡路島私考

    淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
        いく夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)
 
淡路島について調べてみた。
淡路島は南北53㎞、東西22㎞、周囲203㎞、面積590平方キロメートルで、瀬戸内海に位置する温暖で風光明媚な島で、人口は13万人、沖縄本島に次いで2番目である。兵庫県明石市と繋ぐ明石海峡大橋は全長3911mで、世界一のつり橋である。また四国とも大鳴門大橋で繋がっており、その橋下に渦巻く「鳴門の渦潮」は世界最大級の規模で毎日観潮船が就航しており、我々も間近で観ることが出来る。
古事記によると、天の神様たちは、イザナギノミコトとイザナミノミコトに矛を授け、国づくりをお命じになった。二人は下界の海水をゴロゴロと掻き回してから、矛を引き上げると海水が滴り落ち、その雫でオノゴロ島が生まれ、それが淡路島となって日本列島が創造され、そこから世界が誕生したと伝えられる。
江戸時代になると蜂須賀家が治める阿波の国(現徳島県)の領地となるが、その関係は極めて良好で対等的な立場で続いたが、幕末近くになると様々な思惑が交錯し軋轢が生じ始めた。明治になると庚申事変、所謂稲田騒動が勃発し、稲田氏側に多大な死傷者が出、遠く東北の地に逃れた者もあって、その確執は決定的になり、それを機に1876年兵庫県に編入された。
淡路はまた多くの文化人や高田屋嘉兵衛を初めとする経済人を輩出しており、神代の時代から今日に至るまで歴史的に興味の深い島である。食べ物も豊富で、玉葱は勿論びわ・シラス・海栗・鱧そして淡路ビーフ。淡路瓦も有名で線香も全国トップシェアである。
忘れてはいけないのは、1995年1月17日5時46分に発生した、淡路北淡を震源地とする《阪神淡路大震災》である。私は当時パナホーム兵庫の社長だった。営業部長と設計部長と三人で、タコフェリーに乗り、震災服に身を包みリュックを背負って現場視察に出掛けた。その惨状は今でも目に焼き付いている。地元やメーカーの依頼を受け少しでも復興のお手伝いが出来ればと思い、淡路に出張所を開設した。その期間は3年に及んだ。
この間淡路で久しぶりに人形浄瑠璃を観る機会を得た。室町時代に始まったとされており、三条八幡神社に発祥の碑がある。黒子に身を窶した三人の息の合った見事な人形使いにただ見とれて半日を過ごした。
無性に日愛の名物名代きつねうどんが食べたくなった。

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